ここにもまた一人の名優がいた
魂が抜けかけていたアレンも、ボードリエ公爵邸に到着する頃には正気に戻って一安心だ。強引に押し込まれたのが嘘のように颯爽と馬車を降り、にこやかに手を差し出してくれている。それに応えるべく私も恥ずかしそうに微笑んでアレンの手を取り、大広間に向かった。
今夜はアンジエリーヌのママさんであるボードリエ公爵夫人のお誕生日を祝う夜会だ。公爵夫妻は女官になった私を何かと気にかけて下さっていて、いつしか後見人その二みたいな感じになっていた。婚約したと聞き是非二人でと今夜の夜会に招待されたのだ。
というのも作戦上の設定で、公爵夫妻にも協力要請がされているそうだ。公爵家のパーティは盛大で招待客も多い。我々の婚約を知らしめるのに持ってこいの場だというわけだ。
「ご無沙汰いたしました。おば様、お誕生日おめでとうございます」
そう言ってお辞儀する私を夫妻はにこやかに迎えてくれた。
「まぁ、リコチャン。しばらく見ない間にすっかり大人っぽくなったこと。それに本当に綺麗になったわ」
ありかちな社交辞令を述べたママさんが『ねえあなた?』と同意を求めたが、どうもパパさんはそれどころではない感じだ。妙に殺気立ってアレンを凝視しているのだ。
「君はベンフォード侯爵家のご子息だったね」
パパさんがアレンにビリビリした厳しい声で尋ねる。なんか、質問というよりは詰問、いや、尋問ぽくはないですか?
どうしたパパさん?
「はい。第三近衛騎士団所属、アレン・ベンフォードと申します」
「ふむ、娘から話は聞いている。非常に有能で将来有望、王太子殿下からの信頼も厚いそうだな」
そう良いながらもパパさんは眼光鋭くアレンを見つめている。後ろめたいことがあってみろ、絶対に見抜いてやる……みたいな雰囲気なんだけど、何故でしょうか?
アレンもさぞかしポカンだろう……とそっと様子を伺ったが、至って大真面目に向き合っていた。
「アレン君?」
「はい、閣下」
パパさんはなんとなくではあるがちょっと寂しそうな目で私を見つめ、それからアレンを睨んだ。そう、今度こそ睨んだ。絶対に睨んだ。
どうしたパパさん?
「わたしはね、貴族の結婚に愛だの恋だのは無用だと思っていたんだ」
いきなり何の話だと首を捻る私とは違い、アレンは真剣な眼差しでパパさんを見つめ、『はい』と短く答えた。
「だがね、初恋を実らせた娘は誰にも負けぬほど幸せになった。それを見るにつけ、リコチャンにもそんな幸せな結婚をして欲しいと思うようになったのだよ」
ふっと表情を和らげたパパさんだがそんな話は初耳だ。これはアレか?妃殿下の幸せボケが伝染し、脳内にお花畑が広がったのか?色々謎だがパパさんは若干涙目になっておられる。
どうしたパパさん?
「君も知っての通り、リコチャンは娘の妹のようなもの。つまり我々夫婦の下の娘も同然だ」
はい?
私は思わずパパさんを二度見した。いかにも都会に不馴れな田舎者丸出しだった私は、確かに夫妻に良くして頂いたがそこまでだったとは。まぁねえ、王太子妃になったアンジエリーヌとは気軽に会うこともできず、随分寂しい思いもされたのだろう。顔見知りになっていた私はちょこちょこ公爵邸へのお使いを頼まれて夫妻を訪ねていたし、顔を出した私を構うことで寂しさを紛らわせていたのかも知れない。
……という事情はあるが、それがどうしてアレンへの殺気になるのだろうか?
いよいよ眉間を寄せて悩み始めた私を他所に、アレンは騎士らしく胸を張り直立不動でパパさんと対峠している。
「アレン君?」
「はい、閣下」
もう一度同じやり取りを繰り返したパパさんは、ふとママさんに視線を送った。ママさんが優しく微笑むと大きく頷きそしてまたアレンを睨んだのだが……
パパさん、その真っ赤に潤んだお目目はどうしちゃったのよ?
これには今まで表情一つ変えなかったアレンも少々狼狽え気味である。ついでにパパさん、一歩踏み込んでアレンの両肩をガシッと掴んで大きく息を吸った。
「我々は、貴殿のリコチャンへの思いを信じて良いのだな?」
パパさんの指が白い。結構力んでいるのだろう。けれどもアレンはたじろぐ事なく真っ直ぐにパパさんを見つめている。
「もちろんです。わたしはリコを愛しています。リコはわたしが見つけた宝石です。誰にも渡しません」
あー、そんなこと、女官長にも言ってましたっけね。相当お気に入りの文面なのかもね……ていうかそれよりもだ。一体全体この二人は何を始めたんだろう?
「リコチャンを必ず幸せにすると約束できるのだな?」
「もちろんです」
「リコチャンを悲しませるようなことをしてみろ、地獄に叩き落としてやる!」
「リコを悲しませたりはしません。誰よりも愛し、誰よりも大切にします!」
「もう一度聞く、貴殿を信じて良いのだな?」
「はい、リコは唯一無二の私だけの宝石です。命ある限り永遠に愛し続けます」
はぁん、なるほどそうか!
私は心の中で膝をバッシバッシと打った。協力を要請された夫妻も茶番劇に加わったということでございますね!
パパさん……ここにもまた一人の名優がいた。愛娘同様の私を本当にこの男に任せても良いのだろうか?という不安から、ガンガン当たりまくるその演技、思わずブラボーと叫びたくなりました。そして見事なまでのアドリブ対応のアレンも流石の一言だ。非常に有能で将来有望というパパさんの言葉に疑問などひとつも浮かばない。
「まぁまぁあなた」
ママさんが穏やかに微笑みながらパパさんの腕に触れると、パパさんは力なくだらんと腕を下げた。
「心配しなくても大丈夫。アレン卿は本当にリコチャンを愛していますとも。そうじゃなければ、こんなに甘やかな眼でリコチャンを見つめたりしないでしょう?ねぇアレン卿?」
アレンはそうじゃなくても全然見つめられる有能な男なのであるが、だからこそ否定はせず話に乗るのだろう。アレンは言われた通りのあま~い目で私を見つめ、それからママさんに『仰る通りです』と答えた。
「さぁ、うるさい頑固おやじには構わずに二人で踊っていらっしゃい。お式まで時間がないのですもの、貴重な婚約期間を無駄にしてはいけないわ」
私とアレンは優雅ながらもほら行った行った!くらいの勢いのママさんに急かされて、大広間の真ん中に進み出た。ママさん、あなたもかなりの実力者とお見受けしました。こりゃもう若い二人を微笑ましく見つめ応援する貴婦人にしか見えませんもの。私の胸はリスペクトではち切れんばかりである。
そして、よりによって始まったのはワルツではなくクイックステップだった。跳んだり跳ねたりの素早い足さばきに自然とアレンとの距離がぐっと狭まる。出掛けの様子が頭を過ったが、踊るアレンはとても楽しそうだ。リードも上手で三連続の高速ターンを決めた私を危なげなく受け止めてくれる。どうやらダンスのパートナーとしてウマが合うらしく、アレンとのダンスは誰よりもしっくりくる。曲が終わる頃にはすっかり息が上がり、私達は窓際に置かれたソファに移動した。アレンが持ってきてくれた林檎の発泡酒が乾いた喉を潤してくれる。
「リコはダンスが苦手なのかと思っていたよ」
「あぁ、私が出不精だからね?」
私は得意気に顎を上げた。
ルイゾン領の民族舞踊はテンポが早くてステップが複雑。とにかく難しいのだ。田舎だから年に一度の収穫祭がメインイベントで、領民達は三日間踊って踊って踊りまくる。物心ついた頃から一緒になって踊っていたのだもの、夜会のダンスなんてチョロいものだ。
「ダンスは好きだし実は得意なのよ?」
「そうだな、こんなに踊り熟すとは驚いた。それなら今まで逃げ回っていたのはどうしてなんだ?」
「だって……壁際って煩わしいことばかりなんだもの」
アレンは不思議そうに首を傾けている。
「誰からも誘われなければ気不味いのは勿論なんだけど……」
当時のことを思い出し私は思わず溜息を吐いた。
「先に誘われたお嬢さんに見下されたり勝ち誇ったような目で見られるじゃない?それもイラッとはするけれどね。もっとイヤなのはいざ誘われたら妬み嫉みの視線を背中に浴びる方ね。しかも踊った後にはまたそこに戻らなきゃいけないでしょう?パートナーがいないから仕方がないし、だからこそ早くエスコートしてくれる相手を見つけなさい。その為にも夜会に出なきゃって周りにはやいやい言われたのだけれど。丁度ジョルジュの事があったから、あれを言い訳にして戦線離脱しちゃったの」
『リコらしいな』と呟いてアレンはクッと喉の奥で笑った。
「だからまた夜会に出るなんてって気が滅入ったりもしたけれど、壁際に立たなくても良いなら楽しいものね。アレンが居てくれるからだわ」
「リコ……」
掠れた声で私の名を呼んだアレンだが、それきり何も言わなかった。どうしたのだろうと見上げると、何かを強く訴えるような、そして懇願するような瞳が私を射抜くように見つめている。
こんな目をするなんて、どう考えても恋してるようにしか見えない……と恐怖すら感じた。ここまでの演技ができるのだ。いっそ役者になった方が良いのでは?
「ジョルジュに感謝すべきだな」
「え?」
アレンの瞳に映る私がぱちくりと瞬きを繰り返している。何故にジョルジュに感謝をする?奴が何を考え何を企み何をして何を言って、でもって私にこてんぱんにやられたのをあなたは全部ご存知ですよね?
「隠れる言い訳を与えてくれたおかげで、リコは誰にも見つけられずにいてくれた」
アレンの指が私の頬を撫でた。いやちょっと、演技だとはわかっていても心臓に悪い。この美型に見つめられこんなことを言われているのだ。なるほど、それでジョルジュに感謝を……なんて納得している余裕もなく、どうしたってときめいちゃうではないか!
「ひっそりと隠されていた宝石を見つけたのはわたしだ。もうリコを一人になんかさせるものか」
やめてくれーっ!と脳内で絶叫するもこれも特殊任務である。けれども無駄なときめきのせいで上手い返しなんて思いつきゃしない。となればリアクションに頼るしかなかろう。
私は頬を撫でるアレンの指に自分の指を重ね、恥じらうように首を傾げ目を伏せた。アレンよ、こんな感じでどうだろうか?
「どぅっふ……ふぉふぉえっフォ!」
……また咽たのか。
残念だがアレンは役者になるのは断念したほうが良いだろう。有能な近衛騎士に、演技ができるという付加価値があるならばそれが一番良さそうだ。
慌てて林檎酒を煽っているアレンを見ながら、私はそう確信した。




