パッとしない伯爵令嬢とパッとしまくっている公爵令嬢
「ねぇ梨子ちゃん?差し出がましいかもしれないけれど、これからどうするか考えはあるの?」
「……一人娘だからそろそろお婿さんを見つけなきゃなって思ってはいるけど?」
両親は嫁に行くならそれでも良い、そうなれば従弟を養子にするからとは言っている。どちらにせよ相手を見つけて結婚するのが差し当たっての目標だ。
アンジェリーヌは頬に手を添えてスッと視線を斜め下に流した。美女の流し目とはなんたる眼福。ときめきに胸を押さえる私であったが、アンジェリーヌは何だか不服そうに私を見つめた。
「それは梨子ちゃんじゃなくてご両親の考えじゃない?」
「否定はできないけれど……でもこの世界ではそれがスタンダードでしょう?それなら従うしかないしそれで構わないと思う」
「普通のお嬢さんならね。でも……別の世界を知っている梨子ちゃんにとっては物足りなくはないかしら?」
私はほんのちょっとだけ考えたけれどすぐに首をふった。
「私なんて転生してもこんなものよ。フロンティア精神もバイタリティもないし、あの田舎から出たところで行く当てもないもの」
「じゃあもしあてが有ったらどうする?」
……そんなこと、考えたこともないけど?
首を傾げて瞬いていると、どうしたことやらアンジェリーヌがワクワク顔でグイグイと前のめりになった。
「実は私、結婚が決まっているの」
「……!?そうなのっ!おめでとう、結衣ちゃん!」
正確にはおめでたいのはアンジェリーヌで結衣ちゃんではないのだが、あんな風に人生を終えた結衣ちゃんが生まれ変わって幸せになるのだからこんなに嬉しいことはない。突拍子もなく告げられた突然の報告に今迄の淀んだ空気が吹き飛んで行く。
公爵家のご令嬢なのだから意に沿わない政略結婚の可能性もなきにしもあらずだが、ポッと頬を染めているアンジェリーヌはハッピーオーラダダ漏れだ。それもその筈。幼馴染みだったお相手が成長と共に恋する人になり、そしてその人も同じ気持ちだと知らされプロポーズされたのだそうだ。
「だけど彼は立場のある人で……私に隣に立つ資格があるのかって不安はあったのだけれど……彼が……共に歩んで行きたいのは君だけだって言ってくれて……」
モジモジ惚気るアンジェリーヌが可愛い。そして彼氏さん、何だか小説に出てくる王子様みたいな口説き文句ですね。そりゃあ公爵令嬢と幼馴染みって位ですもの、彼氏さんもどちらかの名門上位貴族のご子息様なのでしょう。そもそもアンジェリーヌの周りに立場のない人なんて居ないんじゃないの?
「そんな訳で丁度人を探していたんだけど、どう、梨子ちゃん。考えてみない?」
「あぁ、婚家に連れていくメイドさんね」
公爵令嬢ともなると侍女やメイドも嫁入り道具の一つなんでしょうねと頷いたものの、それはどうだろう?上位貴族の宮殿みたいなお屋敷の管理をするスキルなんて何も無い。掃除をするだけで一生分のお給料でも足りないような高価な壺なんかを割りそうだ、というか割るに違いないという予感しかない。
「折角だけどメイドさんなんて私には無理よ。普通の家事とは訳が違うもの」
「そうじゃなくてね、探しているのは女官なの」
「……ふへ?」
女官って……宮廷で王族に仕える女性じゃなかったっけ?
「この国って貴族に仕える女官もいるんだっけ?」
「いないかな……女官の職場は王城だけよ」
「…………結衣ちゃん、立場がある人って……もしかして……」
私の喉がごくりと音を立てる。それでも確かめなければと口の形を『お』したものの、出てくるのはヒュウヒュウという腑抜けた風切り音のみ。そんな私にニコリと笑いかけ、アンジェリーヌはなんてことないように言った。
「リチャードは我が国の王太子殿下なのよね」
「…………ヒョっ!」
奇声と共に飛び上がった私のお尻は座っていたソファの上空30センチを舞ったと思う。
「じゃあ結衣ちゃんは結婚したら」
「王太子妃よね」
「…………」
私は暫く我を忘れて、おまけに瞬きするのも忘れてアンジェリーヌを見つめていた。
それでもハッと我に帰り、そして思わずぶるりと震えて背もたれにしがみついた。
結衣ちゃんが、っていうか転生先のアンジェリーヌが王太子と結婚!結衣ちゃんが、っていうか目の前の、手を伸ばせばペタペタ触ることすら可という距離感に座っているアンジェリーヌが王太子妃殿下になるのだ!そうか、公爵令嬢クラスになると王太子と幼馴染みだったりするのか。そしてあのプロポーズ、そりゃあ王子様っぽい訳だ。正真正銘の王子様なんだから。
ここまで潔く格の違いを見せつけられると嫉妬も僻みも妬みもあったのではない。ただひたすら感心感動だ。北澤家の一員としての誇らしさすら感じてしまう。
「だからほら、王太子妃私室付き女官を選んでいる最中なのよ。仕事内容は身の回りを管理してもらう秘書みたいな感じ」
「それこそ無理よ、王太子妃の秘書なんて凄いお仕事」
メイドさんにすら不安しかない私が未来のファーストレディの秘書なんて、無謀も良いところではないか。
ナイナイと手を振ってみたが、アンジェリーヌは何が何でも私を口説くつもりらしい。
「企業の総務課で働いていた梨子ちゃんなら問題ないわ」
「いやぁ、総務課勤務って言っても、私なんてそれこそ誰でもできるような雑用係だもん」
「大丈夫、私室付き女官の仕事は幅広いし人数もそれなりにいるから。梨子ちゃんは一番若いし社交界にも出たてでしょう?誰も即戦力だとは思わないわ。雑用も沢山あるから、先ずはそう言うアシスタント業務を覚えて徐々に責任のある仕事ができるようになればいいんだもの。ね?やってみない?」
「うーん……」
「そんなに難しく考えなくても良いのよ。いずれ領地に戻るにしても暫く王都で働くのは良い経験になるわよ。人脈だってできるし」
「でもなぁ……大体どうなの?そんな大事な人事を簡単に決めるのって。だって今生じゃ今日が初対面だよ?」
尤もな疑問だと思うけれど、アンジェリーヌはカラカラと笑った。
「そんなの親戚筋の令嬢って言えばどうとでもなるわよ」
「……?今日が初対面なのに?」
「ベーゼン侯爵夫人は伯母様なのでしょう?何代か前にこの家からお嫁に行った人がいたはずよ」
「私には一切血の繋がりがないけど?」
「いいのよ別に、親戚筋には違いないから」
アンジェリーヌよ、むしろこれは前世の縁故採用ではないか。女官っていったらこの世界の女性にとって最難関ともいえる狭き門のお仕事じゃないの?いいのか本当に?
訝しむ私になんてお構いなしにアンジェリーヌは俄然やる気だ。何を言おうと論破してみせるぞというモチベーションの塊と化し更にグイグイ迫ってきた。
「試しにやってみてやっぱり辛いってなっても戻る場所があるんたもの。トライアル雇用だと思って気軽に始めたらいいわ」
「女官ってそんな気軽に始めるようなものじゃない気がする……」
「そうだけど、気心の知れた人間が居てくれるのは心強いものなのよ」
いきなり取って付けたように不安げに目を伏せてみせたけど私達今日が初対面です。そして従姉妹だった前世でもそんなに関わりは無かったよね?
しかしアンジェリーヌは訝しさワンランクアップの私の視線にも一切怯まない。可愛く首を傾げてにっこりと微笑んだかと思うとテーブルの上の呼び鈴を手に取った。
「ね、取り敢えずご両親に打診してみましょうよ。私からもお手紙でお願いしてみるから」
そう言うなりアンジェリーヌはチリンチリンと呼び鈴を鳴らしてメイドさんを呼び、レターセットの用意を頼んだ。数分で届けられたレターセットは二組。一つはアンジェリーヌから両親への就職の打診。もう一つは私から両親へ、こういうお話があったけれど受けていいかと一応相談するようにとその場でペンを握らされた。そして一応をやたらと強調されたのは言うまでもない。
それでも私は両親が土下座も辞さぬ勢いで断ると信じていた。誰よりも娘をよく知る両親が、そのパッとしない能力で務まる仕事ではないと恐れおののくのは間違いないのだ。けれども届けられた返事は『有り難く拝命し誠心誠意お仕えしなさい』というものだった。
両親よどうした?何が起こった?
何が何やら解らないまま私は故郷に戻ることもなく王都に留まり、二ヶ月後に行われた王太子殿下とアンジェリーヌ公爵令嬢のご婚儀と共に、王城生活がスタートを切ったのであった。