アレンは頑張りやさん
大急ぎで婚約式用のドレスを仕立てたり、アクセサリーや靴を揃えたり。慣れないことも沢山あったが、結局私は泊まり込んだ伯母の屋敷でも封蝋をしまくっていた。というのも婚約式が想像以上に大掛かりで招待状が大量だったのだ。その上結婚式と披露パーティの招待状は日時が迫っているので婚約式でついでにお渡しするそうで、封蝋の総数は二倍。
家族だけってことはないだろうがそんなに派手にはやらないと踏んでいたのに、実際の招待客名簿の厚さにひっくり返るかと思った。私の後見人は侯爵夫妻の伯父と伯母。名簿には有力貴族がぞろぞろ名を連ねている。そして突然のお知らせにも関わらずほぼほぼ全員から出席のお返事が届いた。
それはベンフォード侯爵家も同様で、女官長と非番の同僚が数人参列するだけのこちらとは違い、職場関係のお客様も多数いらっしゃる。これじゃあ普通に前世のホテルでやる結婚披露宴だよ……と白目になる規模だ。その人数が収まる大広間があるベンフォード侯爵邸は豪邸間違いなし。自分の婚活への影響ばかりを案じていたが、次男とはいえあちら様は大丈夫なのだろうか?作戦が成功すればアレンの評価は爆上がりで、出世街道まっしぐらだからいいのかな?
迎えた当日。お急ぎ料金をドカンと上乗せし、どうにか間に合うように仕立てて貰った白いエンパイアドレスに身を包み、肩下までのショートベールを付けた私は、伯母夫妻と共にベンフォード侯爵邸に到着して馬車を降りた。
通された客間にはアーネストとその両親……相変わらず私との関係性はわからないが、伯母の義姉とその旦那様がいらしていた。アーネストはまだしも、そのご両親とは数回お目に掛かっただけなのに、付き合わせて本当に申し訳ない。実はアーネストの奥様も是非参列したいとのことだったが、大きいお腹で何かあっては困るからと説得され渋々引き下がったそうだ。それから件の元おしゃれ番長である従姉とその旦那様、侯爵家の嫡男の従兄と奥様。伯父のお父様の先代侯爵とその夫人と、私の……というよりは伯母の身内が大集結していった。
にも関わらず、皆さん揃って枯れた私を案じていて下さったらしく、良かった良かったと大はしゃぎだ。偽装婚約なのに申し訳なく肩身が狭いったらないのに、事情を知るはずの伯父と伯母は一緒になって浮かれている。凄まじい役者魂を見た気がする。
やがてお客様が揃い時間になったと執事が呼びにきた。いよいよ偽装婚約式の始まりである。
今日は天気が良く書類への署名は庭園で行うそうだ。中央の噴水まで続く道に赤い絨毯が敷かれ、その先に設置された署名台の前でアレンが立っている。
私はアーネストのエスコートで絨毯の上を歩き出した。挙式の際は父親と歩くのだが、婚約式は兄弟や従兄等がこの役目を務める。アーネストは従兄じゃないんだけど、デビューでエスコートしてもらった時同様丁度いいのだそうだ。
この国は結構色々とざっくりである。
さて、署名台まで辿り着き見上げたアレンはどうも様子がおかしい。うるうる潤んだ瞳と上下する肩……あぁこれ、両家顔合わせの時と同じ状態だね。
「アレンって緊張しいなの?」
「いや?冷静沈着が歩いているような男だよ」
コソッと耳打ちするとアーネストがにやつきながら答えた。
「だがどうやらそれも任務中だけみたいだな」
「だって、これだって特殊任務なのに」
そこにアレンの腕が伸びてきて私はたたらを踏んだ。真面目さんはゴソゴソ話し込んでいるのが気に入らなかったらしい。
「距離が近い!」
「え?」
「アーネストと近付きすぎだろうっ!」
いきなり地鳴りのような低音で文句を言われてしまったが、仰る通りこれは不味かったかも知れない。アレンの目の前でアーネストと親密にしているように見えちゃうものね。
挽回しようとしてか、アレンは私の腰を引き寄せた。不本意であるが特殊任務だから文句も言えない。大人しく耐えるけれど、これはもう任務完了の折には絶対にボーナスアップの交渉をしてやる。
というドロドロの内心など一切見せずにアレンに微笑みかける私も、なかなかどうして役者ではないか。それなのに肝心のアレンが『ウっ!』と唸って横を向いてしまうなんて、職務怠慢で足を踏んでやりたくなる。
署名台の奥で噴水を背にしたアレンのお父様が挨拶を始めた。疑いなんか持ちようがない完全型の文面である。あの息子にしてこの父あり。お父様も完璧主義とお見受けする。
そんなことを思いつつふと署名台の上を見ると、そこに置かれているのは婚約誓約書だ。この国の婚約式とは、列席した全てのお客様に証人になって頂き誓約書に署名するものだ。今我々は婚約式の真っ最中なので誓約書があって当然なのだが、だからって……
何故本物の誓約書がココに?
私は思わず誓約書を手に取り裏と表を何度もひっくり返し、それから持ち上げて日に透かした。間違いない、正式書類の証である、王国のエンブレムの透かし模様が入っている。
「どうかしたか?」
耳元で囁いたアレンは先程までとは別人みたいに落ち着いている。この由々しき事態がわかっていないのだろうか?
「どうしましょう!これ、本物ですよ!」
「それが何か?」
アレンは柔らかな笑顔を浮かべて私の手から誓約書を取り上げ、満足そうに頷くと台に戻した。
いや、戻すんかい!
「だってこれはマズいでしょう?正式書類ですよ?本当に婚約しちゃいますってば」
アワアワ取り乱す私を落ち着けようとしているのだろうか?腰に回されたアレンの手に力がこもった。
「大丈夫、何も心配いらない」
「本当に?」
「あぁ、大丈夫だ」
力強く言われちょっと落ち着きを取り戻してみれば、確かに我々のバックには超大物が付いているわけで、たとえ署名済だろうと書類の一つや二つもみ消すのは朝飯前に違いない。つい取り乱してお恥ずかしいと見上げたアレンに愛想笑いをしてみると、アレンがまたパキっと固まった
「それではアレン、誓約書に署名を」
丁度ご挨拶が終わりお父様にそう促され、アレンは慌ててペンを取った。サラサラと名前を記し、続いて私も名前を書き込む。
さて、これにて第一段階終了と胸を撫で下ろしたところで、いきなりアレンに両肩を掴まれクルッと向きを変えられた。予定には無かった行動にほえっ?と戸惑っているうちに、アレンは素早く私の前髪を撫でつけて額にキスをした。
もう、場内大盛りあがりである。
聞くところによると、最初にこれをやったのはリチャード王太子殿下なのだとか。世紀の結婚と呼ばれた二人の婚約式でのデコチューは人々を熱狂させ、それ以来マネする者が続出しているらしいが……アレンよ、これはいかがなものだろう?
真面目なのは悪いことではないし、職務に真摯に取り組む姿勢も素晴らしい。だが、モノには程度というものがあり、これはやはり逸脱している気がするのだか?
けれどもアレンを見上げれば幸せそうに目を細め、可愛くてならない婚約者のように私を見つめている。まさに迫真の演技、なんならこの男が主演男優賞を総ナメにしそうだ。全米が泣くかも知れないとすら感じさせてくれるじゃないか!
アレンがこんなに頑張っているのだ。それなら協力を受け入れた身としては私も文句ばかりは言っていられない。多少……とはいいかねることではあるが、ここはぐっと堪えなければ。
見せてやろう、王太子妃私室付き女官の淑女の微笑みを!
花のように笑う私を見て息を呑むアレン。え?そんなに意外だった?だから私、実はデキるコなんだって!何事もやろうと思えば一定の水準まではイケるんだから。ただ突出したものがほぼない器用貧乏なんだけどね?
でもこれで特殊任務で足を引っ張らないかという心配は、かなり取り払えただろう。安心したまえ、アレン。私はこの任務のパートナーとして、君の隣に立つに相応しい人材だ。
落ち着き払って振り向いた先には、アーネストがスタンバっている。婚約式ってね、結婚式とは違って退場もエスコート役の男性となのよ。
だが、ではお先にと歩きだそうにも足が前にでない。いつの間にかアレンの腕がまた腰に回っていたらしい。そのまま振り向いたものだから、今わたくしはアレンにバックハグを喰らっている状況なのである。
「ちょっとアレン、腕!」
コソコソっと注意したらやっと腕の力が抜け、私は無事脱出を果たした。一部始終を見ていたアーネストの口元がピクピクしている。だよねぇ。アレンの拘りっぷり、ネタの領域に入りそうだもん。
「リゼットは……苦労しそうだなぁ」
アレンの視線を意識してか、アーネストは忍び笑いしながらそう呟いた。




