ディテールまで拘らないと気が済まない
庭園の中央に設えられたバーコラには、絡ませた早咲きの蔓薔薇が溢れんばかりの花を咲かせ、爽やかな香りが漂っていた。さり気なく周囲を伺うが人影は見えない。私はホッと息を吐き出して、恨みがましい目でアレンを見上げた。
「ここまでしなきゃいけないものですかね?」
「もちろんだ」
大真面目に答えるアレンだが、いくらなんでも真面目が過ぎやしないだろうか?だが私はこの時、アレンの真面目がクソが付く水準だと言うことに、まだ気が付いていなかったのである。
徐ろに跪いたアレンが、胸元を探りビロード張りの小さなケースを取り出した。パカンと開けばドドンとグリーンガーネットのリングが鎮座している。こんなにもリアリティを追求するとは、アレンは相当な凝り性なのかも知れない。
「まさかこれ、私の指に嵌める気ですか?」
「君が受け入れてくれるのならば」
「では断る選択肢もあると?」
するとアレンが苦しげに顔をゆがめた。
「それは君の気持ち次第だが……わたしは全身全霊で受け入れて欲しいと望んでいる」
ここまで凝り性なのだ。全身全霊で望むのは理解し難いが、ディテールにまで拘らないと気が済まないのだろう。
「だけど、任務が終わればお返しするものでしょう?失くさないかと気が気じゃないんですけれど」
「いや、それはない。何時までも君の物だ。永遠に君の指で輝いていて欲しい」
つまりご褒美なのか?初日でこの騒ぎだもの。婚約式に茶会に夜会、これからもっと激務になるのは目に見えている。このくらい頂かないと割が合わないのかもなぁ。
「ではお言葉に甘えさせて頂きます」
安心したのだろう。アレンは強張っていた頬を緩め、目を細めて微笑んだ……のは構わないのだが。
「リゼット・コンスタンス・ルイゾン嬢」
跪いたまま私の左手を取り薬指の先に指輪を添えたアレンに、真剣な眼差しで見上げられ、私は思いっきりドン引いた。真っ直ぐに向けられた瞳にはひきつっている自分の顔が映っている。
この国の正式なプロポーズである『指輪の誓い』。
男性が永遠の愛を指輪に託して誓い、受け入れた女性が指輪を嵌めることを許す、というものだ。まさかとは思うが名前を呼んだと言うことは、アレンはこれから指輪に誓いを立てる気なのか?
そこまでする?リアリティってそんなに追い求めなきゃいけないものなのじゃなくない?
だが私の考えと真っ向から反してばっかりのアレンの考えは、また一致しないらしい。アレンは両夫妻も一目置くであろう熱の籠った眼差しで私を見つめ、重々しく口を開いた。
「命ある限り貴女を愛する事をこの指輪に誓う。どうかわたしの妻になって欲しい」
「…………」
やっぱり言っちゃったよ。それでも誓ったのが神様じゃないだけまだ良いのかな?バチが当たりかねないもんねぇ。
囮捜査が殿下の命令である以上、私には付き合う以外の選択肢はないのだろう。ここまでやるかという呆れはあるが、この堅物真面目にもっと適当で良いじゃないかなんて言っても無駄だ。そしてノリノリの名演技を見せている両夫妻にも申し訳ない。
「お受けいたします」
溜め息混じりの返事が終わらぬうちに、私の薬指に指輪が押し込まれていた。
それから私達は、どちらからともなくバーコラの脇に置かれた白いベンチに腰掛けた。指輪を嵌めているってことはプロポーズを受けたということで、便宜的にとはいえ何だか直ぐにサロンの両夫妻の元に戻るのが気恥ずかしかったからだ。
アレンはハンカチを取り出すとサッと広げてくれた。本当に凝り性だ。スパイもなにも作業中の庭師までもが気を利かせたつもりらしく撤収している。庭には我々以外誰もいないのにどこまでも婚約者になりきるつもりらしい。
並んで座ったもののこれと言った話題もなく、地面をピョンピョン飛び跳ねる小鳥を眺めていたのだが、何気なく視線を巡らすと、その私のボケっとした横顔を凝視していたアレンと目が合った。
「どうかなさいました?」
「あ、いや……昨日と随分違うなと思って……」
見てはいけないものを見てしまった的な感覚なのか、アレンの視線が泳いでいる。ちょっと気の毒に思えるくらいの狼狽ぶりだ。
「ほら私、元の顔がパッとしないので、逆に化粧映えするらしいんですよ」
「そんなことはないだろう?綺麗に整った顔立ちだ」
「それがですね。ちょっとタレ目だとか鼻が丸いとか、多少崩れても個性があった方がインパクトがあって可愛らしく見えるんです。私のようにどのパーツも平均的、並び方も定位置という顔は印象に残らないんですよね」
アレンは無言のまま不服そうに顔を歪めた。一瞬ご親切にどうもと思ったが、ん?と疑問が頭に浮かぶ。パッとしない私がハイスペ近衛騎士アレンの婚約者。凝り性のアレンはこの不自然な組み合わせに不満があるのではないか?
「騎士様、やっぱりご不満ですよね?」
「は?」
「でも私、住み込みの女官でメイドも雇っていなくて。だから身の回りのことは自分でするんですけれど、朝が弱いので着飾るよりも一秒でも遅くまで寝ていたいんです。なので身だしなみは必要最低限で、それでも朝ごはんをちゃんと食べるようになったからまぁ良しとするって、妃殿下も仰るんですが」
「何を言っているんだ?」
アレンの眉間がギュッと寄ったが、できない約束はしないに限る。あなたに釣り合うように日々頑張って綺麗にします!とは口が裂けても言えない、というか言いたくない。
私は前世からの筋金入りのねぼすけなのである。
「ですから、今日みたいな日は人の手を借りますし……というか今朝は強制的に身ぐるみ剥がれてお風呂に突っ込まれたんですけれど」
「…………」
「それ以外は無理なので、我慢して頂けたら有り難いです。あ、でもこれでも一応王太子妃私室付き女官ですから、流石にノーメイクじゃないですよ。女官長に叱られますもの」
「あ……いや、別にそれは……構わない、というよりも……き、君は、手を加えなくても問題がないのだし、あまり手を加えられると心臓が持たな…………あ、いや…………もういいっ!」
……ナニ?どうして今『もういいっ!』が発動した?きっかけなんか何もないじゃないのよ!
ムカつくがアレンは所詮若造だ。アーネストと同級生なのだから24歳のはず。ここは脳内28歳の大人のオンナの余裕で、うっすらからかうだけに留めてやろう。
私は敢えての猫撫声で話しかけた。
「騎士様、どうかなさいましたか?」
「…………アレンだ」
「…………あぁ、そうですね。言われてみれば騎士様はおかしいわ。もうすぐ婚約者になるのですもの」
何故かアレンが『ゲホっ!』と咽た。
「いっそ様も無しにします?その方が信憑性が増しますよね?アレンって」
アレンが激しく咳き込み苦しそうに悶えている。拳で胸を何度も叩きゼエゼエと辛そうな呼吸を繰り返し、涙が滲んじゃったのかコソコソと目元を拭ってからこくんと頷いた。
ということは、アレンで行こう!なんですね。
いいですよ、そのくらいは付き合って差し上げますよと私は拳を握った。
「ところで君はどうしてリコチャンなんだ?アーネストや伯母上殿はリゼットと呼んでいるようだが?」
「えーっと、故郷の風習……みたいな?」
と、言えなくもない…………のではないか?とてもじゃないが強気で主張はできないけれど。
「それならわたしもリコチャンと」「い、いえいえっ!リコチャンはちょっと」
「駄目なのか?」
途端にしゅんとしたアレンが謎だ。しかしこの美型に項垂れながら上目遣いで見上げられると、必然的に胸がキューンとしてしまう。
だけどリコチャンはなぁ。毎度毎度大真面目にリコチャンと呼ばれるなんて、面白過ぎて困る。多分毎回笑いが堪えられずに怒らせるとしか思えない。
「じゃあ、『リコ』はどうですか?アレンだけの特別な呼び方ですよ?」
「ドゥワッフぉ!!」
やっと落ち着いたのにアレンはまた激しく咳き込み始めた。身体が資本な推し事なのに喘息持ちなのだろうか?ちゃんとお医者様に診て頂いているのかな?
心配してアレンの背中を擦ったり叩いたりしたのだけれど、どうも私はとっても下手くそらしい。収まるどころか逆に盛り返すので手出しができず、早々に諦めたのだった。




