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婚約って結婚のお約束のことよ?


 ゼエゼエと肩で息をしながら思わず右手を突き出した。すかさず殿下がその手を握り『いやぁおめでとう!』と上下に振っている。


 「ちょちょちょちょちょちょちょーっ!おめっ、おめでとうって……婚約って何?何のことっ!」


 殿下の手から引っこ抜いた右手を高速で振り同時に首を小刻みに左右に振る私に、妃殿下はことんと首を傾げて見せた。


 「梨子ちゃん知らないの?婚約って結婚のお約束ってことよ?」

 「そ、そ、そ、そ、そ、そ、そうじゃなくてっ!誰と誰が婚約っ?」

 「誰って……この中で未婚なのはリコチャンとアレンだけでしょう?」

 「で、でもっ、な、な、な、な、な、な、なんで婚約なんですっ?」


 最早錯乱状態と言っても良い私を一同が珍しそうに眺めている。そりゃいつもシラッとしていますけれど、突然婚約しろなんて言われたらパニックにならない方がおかしいじゃありませんかっ!


 だがお相手とされているアレンは至って冷静だ。凄いな近衛騎士。ホントに取り乱さないんだな。なんかほんのり笑顔まで浮かべているし。


 「これは作戦上必要なことだ」

 「作戦?………………あー、そ、そういうこと?」


 作戦上必要……詳細は知らんがジョルジュを煽るために婚約したと思わせる、偽装婚約ってやつか。


 あー、びっくりしたよホントに!


 私はグニャっと背もたれに寄り掛かった。


 「それならそうと先に言ってくださらないとっ!」

 「ごめんね、驚かせた?」

 「当たり前じゃないですか!」

 「特別ボーナスだって弾んじゃうぞ!」

 「当たり前じゃないですか!」


 流石に殿下にそれ以上の罵詈雑言を吐くわけにもいかず、私はギリギリ膨れっ面のみに抑えてアレンに尋ねた。


 「それで、どういう作戦なんですか?」

 「三年前の一件は元はと言えばわたしがきっかけだった。元凶のわたしと君が婚約などジョルジュには赦し難いだろう。きっと何かを仕掛けてくる」

 「なるほど、私を囮にして現行犯逮捕に持ち込む……と」

 

 つまり偽印璽付きラブレターを送り付けられた私が、ルストッカ庭園にのこのこと出掛けて行きジョルジュが近付いたところで御用という算段なのだろう。でもなぁと考え込むとアレンがちょっと前のめりになって私の顔を覗き込んだ。


 「ジョルジュが浅はか過ぎて逆に色々拗れてね。捜査に支障をきたしている。絡んでいるのが大物のクルドス公爵なのも問題だ。少しでも決め手に欠けては立件は難しいだろう」

 「それはわかりますけど、どうしても必要なんですかね?」


 あまりにも唐突な偽装婚約による囮捜査。いくらジョルジュがあんなでも、そう上手く事が運ぶのだろうか?


 怪訝な顔の私に向かい一同が一斉に頷いた。相変わらずの完全アウェイである。


 「ついては一週間後に婚約式を執り行う」


 ごく普通の予定を告げるみたいにアレンがサラッと述べてくれちゃっているが……


 「お一人で?」

 「まさか、二人の婚約を結ぶ場だぞ?」


 呆れたように仰るけれど、そこまで本格的にやる必要があるのだろうか?


 「疑われては元も子もない、そうだろう?全て完璧にしなければ」

 「はぁ……そうなんですかね?」

 

 また私一人を置き去りにして一同が頷き、それに背中を押された形のアレンは意気揚々と胸を張って余裕を見せている。


 「君の後見人はベーゼン侯爵夫人だろう?」

 「えぇ、そうですが?」

 「先程了承は頂いた。領地のご両親にも書状を送っている。そちらは数日掛かるが、断ることはあり得ないと夫人から太鼓判を頂いた」

 「はぁ、そうなんですね」


 殿下からの捜査協力と言われたら、断りたくても断れないよね。というか、あの二人なら『そうなんだ、頑張れ!』くらいしか思わないだろうし。


 どんどん抜けていく私の魂は両親を思って遠い故郷へと想いを馳せ……ようとしたのだが、


 「明日、ベーゼン侯爵家にご挨拶と結婚のお許しを頂きに伺う。君も同席してくれ」

 

 というアレンの言葉で一気に引き戻された。


 「え?なんで?」

 「必要なプロセスだ」

 「そうですけど、そこまでしなくても……」

 「いや、絶対に必要だ。わたしの両親も張り切っている」

 

 ご両親まで巻き込むんかい!と思わず呆れ返ったが、アレンはポカンとしている私ににっこりと笑いかけた。


 「では、明日また会おう!」


 立ち上がり両殿下に一礼すると、さっさと執務室を出て行ったアレン。私のポカンは未だ継続だ。それどころか一向に回復することなく、翌日までポカンとしたまま頭に?を浮かべていたのであった。



 

 翌日から一週間、妃殿下に強制的に休暇を取らされた。アレンは両親と伯母の屋敷に来ると言うし、一週間後には本気で婚約式を行うらしい。その打ち合わせやらなにやら、特にそれなりのドレスなんて必要なく一枚も手持ちがない私は、至急誂えるように命じられブティックの紹介状を握らされた。


 その朝、久し振りに伯母の屋敷を訪れてみれば、使用人の皆さんが準備で大騒ぎになっている。私のせいではないとはいえ大変恐縮だ。


 「お嬢様、ほらほら、早くなさいまし!」


 私の姿をみるや殺気立ったメイド長がすっ飛んできたが、早くなさいましとはなんだ?約束の時間まではまだ三時間もあるのだ。これだけ余裕を持ってやってきたのを褒めてもらおうくらいのつもりだったのに。


 文句を言う間も無く身柄を確保された私は、何故かバスルームに連行され身ぐるみ剥がれて風呂にドボン。三人がかりでピカピカに洗われてから髪とお肌のお手入れ、ヘアメイクにお着替えと勝手に事が進んでいく。一応気を遣って手持ちの中でも一番綺麗めなワンピースを着てきたのだが、そんなものは何処かにポイっとされて、お嫁に行った伯母の娘さんが着ていたというクリーム色のドレスを着せられた。


 母とは違い美貌と女子力で侯爵夫人の椅子をゲットした伯母。その娘さんだけあって従姉もおしゃれ番長として名を馳せていたそうだ。シンプルな中にもちょっとしたアクセントを効かせた小洒落たデザインは、数年前の物なのに私の綺麗めワンピースの百倍は素敵である。

 

 支度が終わろうかという時になり様子を見に来た伯母は満足そうに手を叩いた。


 「見てご覧なさい。ちゃんと着飾ればあなたってこんなに美人さんなのよ!お仕事に夢中になって、娘らしい事なんて何もしないのだからもう!」


 一応断っておくが、パッしないながらも私は決して不細工ではない。しかしながら華がなく地味なのだ。普通のパーツが行儀よく並んだ顔は人を惹き付ける個性がなく、そんなところも私のパッとしない存在感に繋がっているのだろう。


 多少手を加えれば改善の余地はある。だが手を加える時間があるのなら寝ていたい。しかもこの前世をひきずったかのような直毛の黒髪はさらっさらで、纏め髪などする傍からほどけていくのだもの。普段身の回りの事を自分でしている私はひっつめるしかないのだ。


 スゴ技を持つメイド達がふわっと編み込んでハーフアップにし、下ろした髪はくるるんとカールさせて貰うと、やや柔らかな印象になる。顔だってパウダーはたいてリップ塗って終了!のセルフメイクとは違い、ほんのりピンクの頬や整った眉、キリッとラインを引いて丁寧にルージュを塗った唇という加工をすれば、それなりの仕上がりだった。


 しかしだ。作戦上の偽装婚約にここまでする必要がどこにあるのだろう?


 「あぁ、本当に嬉しいわ。リゼットが近衛騎士様と婚約だなんてねぇ」

 「伯母様……この婚約ってどういうものか、ちゃんと聞いているわよね?」


 妙に浮かれている伯母の本気で喜んでいるような様子に不安になって確認すると、伯母は私の肩をポンポンと叩いた。


 「聞いてる聞いてるぅ!もちろん聞いていますとも!」


 と力強く答える伯母はアーネストの叔母でもある。昨日訪れたアレンだけではなく、捜査に加わっているであろうアーネストから説明されているだろうし、よもや早とちりなどしていないはずだ。


 これはあれだ。私が枯れているせいで心配を掛けすぎて、偽装とはいえ浮かれちゃっているのだろう。本当に申し訳ない。




 やがて約束のお茶の時間になり、ベンフォード侯爵家の馬車が到着した。普段の騎士服ではなく正装の騎士服を身に着けたアレン。続いて侯爵と夫人が馬車を降りた。


 「本日はお時間を頂き感謝いたします」

 

 ピシッと髪を撫で付けたアレンは昨日よりも大人っぽく、ついでに色っぽい。正装と相まって凄い破壊力で思わず目が釘付けになってしまう。これで性格が良ければ……いや、せめて癖の強さがなければ良いのになぁ。


 実に惜しい人だ。


 気がつけば、出迎えた伯母夫妻がアレンやご両親と挨拶を交わしている。しかもなんか物凄くナチュラルに、結婚を申し込みに来た人達と来られた人達っぽくだ。近衛騎士を身内に持つ家庭はこういうスキルも必要なのだろうか?ただただ驚きだ。


 「姪のリゼット・コンスタンスですわ。さぁリゼット、御挨拶なさい」


 一通りのやり取りが終わり伯母が私を呼び寄せた。ジョルジュなど影も形もないこの屋敷なのにこの茶番劇っているのかな?


 疑問しなかないがどうやら皆大真面目なので、私だけサボるわけにもいかないだろう。これでも王太子妃私室付き女官。マナーは女官長(鬼教官)から叩き込まれている。王城仕込みの貴婦人の所作を見せてやろうじゃないか。


 静々と一歩前に進み出てにこやかに微笑んでからスカートを摘まんで膝を折り、腰は曲げずに視線だけを自然に落としまして……


 「リゼット・コンスタンス・ルイゾンでございます」


 しおらしくそう言うとアレンのお母様が『まぁー!』と感嘆の声を上げた。


 「なんて素敵なお嬢様かしら?まるで天使のようじゃありませんか!ねぇ、あなた?」

 「いや、本当に。我が息子がこんなに素晴らしいご令嬢を捕まえるとは、まるで夢のようです」


 こ、このべた褒めは……アレンのご両親、セリフを用意していたに違いない。しかもこのナチュラルな演技。これを見て、誰が茶番劇だと見抜けるだろう?凄いな、近衛騎士ファミリーって。


 私は大いに感心しながら負けじとおほほと品よく恥じらってみせた。

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