本のソムリエが物騒な本ばかり見繕ってくる
思い返すと、あの本屋との出会いは何か運命的なものだったのかもしれない。
そもそも、普段ブラック企業務めで残業ばかりの俺がその日は珍しく18時半に退社できたのが僥倖とも言えた。
最寄り駅で降り、家路への途中近くの商店街の中を通る。驚いたことにまだどこの店も開いていて明るく活気があった。ああ、ここはシャッター街じゃあなかったのかと思いながらぼーっと歩いていく。
「凄いねここの人!」
「ねー! こんなサービスがあるなんて!」
空っぽで何も考えられない俺の頭の中にウキウキとした声が入ってきて強くこだました。その声に惹かれ見ると、目の前の本屋から出て来た二人組の女性が話に花を咲かせている。
「私、今日早速コレやってみる!」
女性の一人が手元の袋から取り出したのは一冊のムック本。大して興味が無かったがちらりと目を走らせ、俺はぎょっとして思わず二度見する。そこにあったタイトルは
『週刊 ルービックキューブを作る』だった。
え? ルービックキューブって作れるの? 創刊号は真ん中のパーツとか? ものすごく気になる。
「いいね~。私も家でお気にいりのお茶を淹れてこの本をゆっくり見よう♪」
もう一人の女性が袋から取り出したのは六法全書かと思うほど分厚い本。彼女は恋人を見るようなうっとりとした顔で表紙を眺めている。
「はぁ~まさか『全国公園すべり台図鑑』に出会えるなんて。これ昔欲しかったけど高くて買えない内に絶版になっちゃってたんだ~」
「しかもさ、ミヤの顔を見た瞬間に『これは如何ですか』って即出しだったよね!」
「うんうん、凄いよあのソムリエさん!」
ん? 突っ込みどころが多いな。ええと『全国公園すべり台図鑑』ってナンだ? しかもあの子、どこにでもいる普通の女性だったのにその図鑑に恋でもするかのように見つめてたぞ。それにソムリエって……?
疑問にとらわれている間に二人は話しながら行ってしまった。本屋の入り口にポツンととり残された俺はそのまま首を回し店頭を眺める。何処にでもあるような……いや、俺が小さい頃の平成ヒトケタなら何処にでもあったが、今はあまり見ないような古くさい店構え。いかにも商店街の中でひっそりと生きている昔ながらの本屋だ。入り口脇の窓ガラスには毛筆で縦書きの紙が貼り付けてあった。
『本のソムリエサービス有り〼』
その異質さにパチンと目が覚めたような気がした。おいおい、〼と来たか。これじゃ平成どころか昭和中期だろう。その貼り紙の雰囲気とソムリエと言う洒落た言葉が全くマッチせず怪しさを醸し出している。
本のソムリエ……先ほどの女性たちの会話と照らし合わせ推測するに、お客一人一人に合う本を見繕ってくれるサービスという事なのだろう。最近すっかり磨り減って失くなっていた好奇心が俺の中で肉を付け、背伸びをしてグッと大きくなった。その勢いを借りるように本屋に足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
紙とインクが織り成す本屋特有のあの匂い。そして本棚にギッチリと詰められた本の背表紙たちが作る色とりどりの世界。その真ん中にモノクロで描かれた男がいた。
成る程、ソムリエらしく白いシャツに三つボタンの黒いベストと黒いズボンを身につけている。その顔は紙のように白い。艶がなく炭のように真っ黒な髪はきちんと撫で付けてはいるが一房だけ額に垂らされていた。カサカサの唇は血色を失っていてほぼ灰色だ。
「あ、あの~、本のソムリエってのを見たんですが」
勢いで本屋に入ったのも束の間、男の異様な雰囲気に一気に呑まれた。ついオドオドしながら貼り紙のあったガラスの方を指差す。と、男がニタリと笑った……ように見えた。口を開いても真っ白な歯しか見えないので彼を象るモノクロの世界は変わらない。
「はい、はい。これは如何ですか」
男は傍らの本棚から音も迷いもなく一冊の本を取り出す。先ほどの女性の一人が持っていたようなムック本だ。確かに『ルービックキューブを作る』は興味があったから良いなと思ったが、俺に手渡されたその本のタイトルはちと違っていた。
『週刊 手榴弾を作る』
創刊号はロックピンがついて190円! お求め易いお値段……っていやいやいや!!
「な、なんですかこれ」
「タイトルを見てわかりませんか? 毎号集めると手榴弾を組み立てられます。少しずつ出来上がっていく手榴弾を眺めながら、いつかこれを使う日が来ることを想像すると嫌な事も吹き飛びますよ」
嫌な事どころか、完成して使ったら何もかも吹き飛んでしまうじゃないか。
「い、いやぁ……これはちょっと」
「おや、そうですか。まぁこれは完成まで時間がかかりますからね。もっと良いものがありますよ」
そう言うと男は棚の奥へ引っ込んだ。完成まで時間がかかるのが問題じゃなかったんだけどな。
待つ間に小さな店内を軽く見回すが他に店員は居なさそうだ。あの男が店主なのだろうか。
「はい、こちらもオススメですよ」
戻ってきた店主(仮)が持ってきたのはB6判くらいのソフトカバーの本だった。ああ、よくあるノウハウ本や自己啓発系か、と思いながら男から本を手渡された俺は固まった。何故なら、その本の表紙には恐ろしく物騒な文字が刻まれていたからだ。
『完全犯罪マニュアル2 毒殺編』
「……あの、これは?」
「読んで字の如くですよ。ちょっと入手するのが難しい毒もありますけど、銃を手に入れるよりは現実的でしょう?」
「いやいやいや、要らないですよ!」
俺が本を突き返すと、店主は少しだけ不服そうな顔をした。
「ええ、そうですか? じゃあこれならどうでしょう」
次に彼が出してきたのは大きくてそれほど厚さの無い、フルカラー写真の本。表紙にはセクシーなビキニを着て眩しい笑顔の健康的な女性が写っている。写真集だろうか? 確かにちょっと俺好みのタイプだった。
「あ、それなら……」
思わず手を伸ばし、彼から本を受け取る。ワクワクしながらパラリと中をめくってみるとドギツイ内容だった。
先ほどの表紙の女性がいかつい男にコブラツイストをかけている写真が大写しになっている。いかつい男は苦悶の表情を浮かべていた。その横には「こうして→こうすれば極る!」とコブラツイストに至るまでの技のかけ方の解説写真も小さく載っている。
「え!?」
驚きのあまりページをパラパラとめくる。しかしどのページにも期待していたようなセクシーなグラビアはなく、代わりにどれもこれも先ほどの女性から関節技や打撃技や目潰しなどをくらった男が苦しんでいる写真と、ソコに至るまでの技のかけ方の解説などが載っているばかりだった。
俺は本をそっと閉じて表紙を確認する。もしかして表紙のカバーだけ別の本に差し変わっていたのではと思ったのだ。しかし先ほど渡される時に店主の手で隠れていたタイトルは中身に沿ったものだった。
『アマゾネス鈴木直伝! 女の子でも相手をぶっ倒せる技☆徹・底・解・説!』
流石にこれはない。本のソムリエというから期待したのにがっかりだ。俺は彼に本を返しながら言った。
「なんなんですかさっきから。物騒な本ばかりじゃないですか!」
「あれ、これもお気に召しませんでしたか。おかしいなぁ」
おかしいのはどっちだよ! と言いたいのをぐっとこらえ、帰ろうとする俺を店主は引き留めるように言った。
「うーん、じゃあこれで最後にしましょう。こちらは如何ですか」
彼がまた音もなく差し出したのは薄めの文庫本だった。紫とオレンジが混ざった色合いのシンプルな表紙に、白い文字で『あの人とあなた』と記されている。今までのように物騒なタイトルではなかったのでちょっとほっとした。純文学の小説だろうか。
「ああ、じゃあこれで」
値段も安かったので中身を確認せずに購入した。
「ありがとうございました」
モノクロの店主は、モノクロのままニタリと笑った。
未だになぜあの本を買ったのかわからない。
そもそも、いつもは終電で帰る事も多くヘトヘトな俺が小説を読む時間などなかったはずだ。だがなんとなく、あの時は買わなくてはいけない、読まなければいけないと思わされた気がする。
俺は二軒隣のお弁当屋で唐揚げ弁当を、スーパーで発泡酒を買って帰った。自宅で温め直した唐揚げをつまみつつ発泡酒を飲むがあまり味を感じない。退屈しのぎにスマホでネットを見ようと思った瞬間あの本の存在を思い出し鞄から取り出す。
夕暮れの空に似た美しい色の表紙に引き込まれるように本を開いてみると、最初のページにはこんなことが書いてあった。
『これは、あなたの物語。あの人とは、あなたのすぐそばにいる人です。離れたくても離れられないあの人の事を思い浮かべて読んでください』
奇妙な前書きだなと思った。それに全く当たっていない。俺のすぐそばになんて誰も居ないのに。俺はボロアパートでの独り暮らしだし彼女はいない歴=年齢。普段忙しすぎて連絡を取らない内に学生時代の友人たちとは縁が切れてしまった。
彼女や友人どころか誰も俺のそばに寄り添う人は居ない。両親は鬼籍だし、ブラック勤めで毎日サービス残業で帰宅は遅いし、おまけに上司がネチネチと俺の頭のてっぺんからつま先までダメ出しをしてくる。
上司の指示で作った資料を「なんでこんなの作ったんだ。俺は頼んでない」と言われて心がぐちゃぐちゃになったり、あいつのミスを押し付けられた事さえもある。でも同僚も先輩もかばってくれない……というか多分皆、自分の仕事で精一杯で俺をかばう余裕までないのかもしれない。俺自身がそうだから。
「あ」
凄く皮肉なことを考え付いてしまった。今、俺のすぐそばにいるのはあのムカつく上司だ。でもあいつを思い浮かべながらこの本を読んだところで当てはまらないだろう……そう思ってページを捲った。
『あの人とあなたがいる、この小さな場所を壊してください。その手に持った手榴弾で。』
最初の行から物騒な文言が記されていた。だが何故か一気に引き込まれ、目を離せない。俺は残りの唐揚げを食べるのも忘れむさぼるように文字を追う。主人公は『あの人』と小さなコンクリートの部屋に二人きりで閉じ込められていて部屋から出るには壁を破壊するしかないと言う設定だった。
主人公は、手榴弾を使うなんて無責任だと主張する『あの人』と何度も話し合い、対立する。だが最後には手榴弾で壁を爆破し、散らばるコンクリートの外にある青空を望む。これでハッピーエンドかと思ったら違っていた。
『俺に逆らうとは。後悔させてやる』
手榴弾で壁だけを破壊したので『あの人』は生きていたが、何故か突然怪物に変身し主人公を襲う。主人公は逃げつつも薬の知識があったのでその場にある毒薬の材料を集め、混合して怪物にそれを投げつける。怪物は悶え苦しむがすぐには死なない。
『このまま逃げられると思うな。お前も道連れだ』
怪物の手が伸び、主人公は捕まってしまう。だが主人公は以前見たプロレスの試合を咄嗟に思い出し、見よう見まねでコブラツイストをかけた。
『うわあああやめろ! やめてくれ!』
怪物は苦しみ、そして毒薬がじわじわと効いてきて事切れた。主人公は晴れて自由の身になったのだ。
なんだか超展開のとんでもない話だったが、一気に読んでしまった。そして最後のページにはこんな後書きが印刷されている。
『どうですか。あの人はもう倒されましたよ。あなたはあの人から離れていいんです。全力で離れてください。その先にはきっと青い空が待っている事でしょう』
ふと気づくとテーブルの上の唐揚げは冷め、発泡酒はすっかりぬるくなっていた。
俺は次の日、会社に出勤するなり退職願を上司に差し出した。
上司は俺を「無責任だ」とか「後悔させてやる」とか「このまま逃げられると思うな」とか喚いていたが、その度に俺はあの本の超展開を思い出しておかしくなってしまい笑いをこらえて対応した。最初は怒り狂っていた上司もニヤニヤ顔の俺を見て徐々に気味悪がりトーンが落ちていった。
そうして有休を貰いつつ引継ぎをして1か月後、俺は会社を辞め転職した。新しい会社は前職よりも少しだけ給料が安かったけれど、きちんと定時に帰れたし問題も早めに周りと共有出来てミスを押し付けられる様な事はない。俺はこの会社で長く働こうと心に決め、通勤に便利な場所に引っ越した。
そこから半年ほど後。俺は唐突にあの本の存在を思い出した。だがどれだけ探しても本が見つからない。引っ越しの時にどこかに紛れて失くしてしまったのだろうか。
何となくあの本をもう一度手に入れたくなりネットで『あの人とあなた』と検索したが、紫とオレンジの表紙には出会えなかった。諦めても良かったが、ひとすじの後ろ髪を引かれるような想いが残る。俺は次の休みに以前住んでいたアパートの最寄り駅まで行ってみることにした。あの本屋に行けばもう一度購入できるだろうと思ったのだ。
「……ない」
明るく活気のある商店街の中、本屋があった場所だけが固くシャッターを閉じている。上を見上げると看板が剥がされた跡しか残っていなかった。ネットで検索してみたが、やはり本屋の情報はない。店の両隣は自販機とATMだったので、二軒先の弁当屋でトンカツ弁当を買ったついでに店員に聞いてみる。
「本屋さん? そういえばあったような……」
「凄く顔色の悪い店主で、本のソムリエサービスをやっていたようなんですが」
「ごめんなさい。覚えていないわ」
「……いえ、すみません」
俺は少しばかり気落ちし、左手に弁当の袋をぶら下げて帰路についた。
思い返すと、あの本屋との出会いは何か運命的なものだったのかもしれない。
好奇心も興味も身体さえも磨り減って、ただただ味気の無い毎日を過ごしていた俺に運命の神がチャンスを与えてくれたような気がする。
だから現状に満足している俺は、もうあの本屋を求めて彷徨う資格を持ってはいないのだ。他の悩める誰かの前にあの本屋は現れるのだろう。
俺はその夜、トンカツをビールで流し込みほっと小さな幸福を感じてそんな結論に至った。
お読み頂き、ありがとうございました!