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常識の裏側にあるもの  作者: ばらせん
2/6

-2- テスト

-2-


ラスの言葉が酒場の喧騒に紛れて消えていった一方、頭の中で反芻する。


魔物とは何か。

魔物とは“〈魔法〉が使える人”を指す言葉である。つまり魔物は〈魔法〉以外に違いはない、ただの人間(・・・・・)だ。

教会で語られる歴史では魔物と人は遥か昔から敵対し、長い歴史の中で小競り合いを繰り返したらしい。特に最後の戦争である“人魔戦争”では種の存亡をかけ、両勢力共に大きな損失を受けたとのことだ。その時にいくつかの技術が失われ、文明の衰退も発生したらしい。結果は人間側の勢力が辛勝したとのことだが、勝利と言えるのかは疑問だ。

現在、明確な魔物の勢力圏は存在しない。しかし絶滅したわけでもない。細かく勢力を分散し、隠れ住む生活を続けているとされている。


人間にとっての魔物とは何か。

一言でいえば外敵だ。当然戦争の爪痕は根深く、今でも人にとって魔物は見た目が人に似ている別の生物、怪物のように考えているし、教会でもそう教えられるらしい。


チイは魔物襲撃事件で〈魔法〉を使った。

魔物しか使えないはずの〈魔法〉。それがチイは使える。使えてしまった。

チイは魔物だった。

人間にとっては不思議な力というだけでは済まない力。そこからはあっけなくチイは指名手配犯(そう)なっていた。


「チイが見つかったのか!」

「つい先日報告があった」

「他の魔物達と共にいたとも報告があったそうですね。どうやら魔王やその勢力とも何らかの関わりがあるみたいです」


チイの居場所は魔物の中にしかない。当時は漠然と理解していたことであり、同時に目を背けていた事実だ。それが今言葉にすることで現実感を帯びていく。


「そんなことはどうでもいい。チイが今どこにいるかわかってるのか?」

「情報はパルテオン渓谷。もともと魔物の目撃情報がいくつか挙がっている場所だ。おそらく集落でもあるのだろう。とりあえず報告によると五体無事ではあるようだな」

「そう、か」


目元に手のひらを押し付け、椅子の背もたれに寄り掛かる。

心に引っかかっていた何かが一つなくなり、軽くなった気がした。


「今日はノンが“つぎはぎの傭兵団”として最後の依頼があるというので場を設けたというわけです。まあそれは良いんですが、なぜ日程の調整や連絡まで私がやったんですかね。私も暇じゃないんですよ?」


そんなのお前くらいしかやれる奴いないからだろう。


「俺だって思い出話だけで終わるとは思っていなかった。だがこんな話なら先に伝えておいてくれ。趣味が悪いぞ」

「手紙で伝える内容ではなかったのもありますが、危ないのですよ。チイのことが教会や正規軍の他の誰かに知られるのは」


だからただの食事だとしか手紙には書いていなかったでしょう?とラスは言う。


「今回はチイを発見した部隊がチイのことを知らなかったようでな。報告上では単に魔物がいたという報告にしてあるようだ。偶然報告した隊員の話を耳にしてな。確認すれば黒い三角帽子を身に着けた女の魔物だと。それで確信した」


チイが最初に出会った頃からずっと身に着けていた黒の三角帽子。たしかにそんな特徴的な帽子をしている魔物なんてチイくらいだろう。というかまだあの帽子を着けているのか。


チイは未だに指名手配をされたままだ。

アヴェ市民にとって魔物の襲撃はまだまだ記憶に新しい。今はまだばれていないにしても、魔物の居場所が正規軍に割れればチイが殺されるのも時間の問題だ。それに魔王とかいうのも出てきているようだし、普段よりも魔物に対する対応に緊張が高まっているはずだ。


「さっき依頼がどうとか言っていたけど、まさか」


ノンは口の端を僅かに持ち上げる。


「理解が早いな。本当ならここに残りの馬鹿二人もいるはずだったが、仕方ない。まずは貴様らからだ。貴様らには――――」



―――ガシャン


唐突に響き渡る音。

食器が落ちて割れる音と言うにはいささか派手だ。

騒がしかった店内を一気に静かにしたのはやや離れた席で飲んでいたであろう男と先ほどの店員だった。


「どうやら店員は変わっても客の質の悪さはそこまで改善はされてないみたいですね」


さっきの店員の子が傭兵らしき男達に捕まっていた。何やら言い合いをしている。

あの子はともかく店主は平和ボケしすぎだ。

あんな可愛い子、絡まれるのは明白だろう。

実はものすごく強い?いや、それはないか。今も腕掴まれて抵抗している。


「そら見たことか。早速問題を起こしたな」

「あ、おい」


ノンは話を遮られたことでイラつきながら席を立った。近くの壁に立てかけていた剣を手に持ち、そのままずんずんと騒動の中心に向かう。発した言葉と行動が噛み合っていない。騒動に自分から首を突っ込むのは正規軍の職業柄故か。

数瞬ノンの背中に手を伸ばしたまま呆然としていたが、慌ててついていく。

そのまま騒動の中心となっていたテーブルまで移動し、ノンは捕まっていた店員の子を絡んでいた客から引き離した。


「あん?おお、あんたも美人じゃないか。なんだ、俺達と話したいのか?」


こいつ正気か?いや随分酔っているようだが。

本当に目の前の女が誰だか気づいていないのか?最近来た新顔か。でなければ怖いもの知らずだな。ほら、すでに何者かを気づいた奴らはその場から離れ始めたぞ。


「無駄に喋るな。今すぐ目を醒ますか。叩き出されるか。それだけに答えろ」

「あ?そのか細い腕でか。くはは。じゃああんたが俺達の宿の部屋まで見送ってくれないか?それなら出てってもいいがな」

「馬鹿が。今すぐ眠りたいならそう言え」

「おい、さっきから調子に――――」


ノンは立ち上がろうとした隣の男の肩を押さえ、にらみを利かせた。

肩を押さえられた男は最初こそ不思議そうに、次第に必死にその腕を払おうとするも固定された杭のように動かない。動かせない。

周囲に座っていた男の仲間達も空気の変化を感じ取ったのか、次々に立ち上がる。四、五·····結構いるな。


「貴様らは運が良い」


周囲を確認し、手を放すノン。

抑えていた力がなくなり、唯一座ったままだった傭兵の男が勢い良く立ち上がる。


「非番でなければ、業務妨害で独房にぶち込んでいた」


ノンの右腕がわずかに剣の柄に向かって動き始めると次の瞬間、鞘に納まったままの剣が振りぬかれる。

鈍い音が静かになった店の中心で鳴り響く。連続して鳴り響くと同時、一人、また一人とその場で倒れこむ男達。最初の数人が反応すらできずに動けなくなった頃には、残りの男達も慌てて抵抗を見せ始める。一人は殴り掛かり、一人は後ろから掴みかかろうとした。

ノンは見えているかのように後ろから掴みかかる男に振り返り、勢いのままに拳を振りぬく。殴られた男はそのまま店の床に顔から叩きつけられる。ノンは倒れた男には一瞥もせず反転し、眼前に迫った男の拳を片手で受け止め、鳩尾を逆手に持ち替えた剣の柄で突く。膝から崩れ落ちる二人の男。これであと

···と思ったら残りはすでに店の外に逃げ出していた。流石に現役傭兵、逃げる判断が早いな。


気づけばノンは倒れた男達をついでのように踏みつけつつ、元の席に戻ろうとしていた。そこまでくると次第に客達も騒ぎだす。

「ライカちゃんに手ぇ出すからだ!」「おい、あいつの持ってる剣、軍のじゃねえか?誰なんだ?」「い、いつ戻ってきたんだ。傭兵引退したはずだろ!」「女帝の復活だ!」

静まり返っていた店内は一気に歓声で騒がしくなった。


近くの客達は倒れた男達の懐から金を奪い店の外に引きずって投げ捨てる。それを成した客の一人が「おーい。今日はこいつらが奢ってくれるってよ」と言い、どっと場が沸いた。その間、俺は席に戻ることもノンに話しかけることもできないほど驚いていた。

屈強な男たちを制圧したことで驚いているわけではない。それよりも物を壊さずに制圧した事実に衝撃を受けている。昔は喧嘩の度に店に迷惑料としてその日の稼ぎを払っていたくらいだ。昔もこのくらい理性的に済ませてくれていればと思わずにはいられない。


「まさか、治療が必要な怪我をさせていませんよね。嫌ですよ?またあなたの後始末で〈神聖呪法〉を使うのは」

「加減は覚えた。問題あるまい」

「あの!待って。待ってください!」


先ほどの店員の子も呆然とした様子から立ち直り、騒ぎ始めた人とテーブルを避けながらノンに駆け寄ってくる。

そんな混沌とした状況の中、店の奥から料理を載せた皿を持ったガタイの良い男が顔を出してきた。


「どうしたぁ?何の騒ぎだ。また誰か喧嘩でもしたか?」

「て、店長。」

「遅いぞ」


店主は相変わらず、傭兵よりも傭兵みたいな見た目だ。顔にある傷はどこで付けたのか。

早く事態を収拾するために動いてもらいたい。


「あ、まさかお前···ノンか。懐かしい顔見せたと思えばまた喧嘩か?この店ぶっ壊すのはよしてくれよ」

「また?記憶にないな。そんなことは」

「本気でそれを言っているなら教会で頭に〈神聖呪法〉でも受けてこい。何なら思い出させてやろうか。忘れもしねぇ、テメェはまだ開封してねぇシャルトルイの酒瓶をチンピラの頭に叩きつけたんだ」

「······その件は金で示談が成立したはずだ」

「覚えてるじゃねえか。それに金払うのはあたりめぇだろうが!あの酒はそう簡単に仕入れられねぇ高級品だぞ。金があってももう手に入らねえんだよ!」

「···昔のことをいつまでも。そんなに大事なら自慢げにカウンターに置いておくな」


ノンは小声で呟く。


「あ?なんか言ったか」

「それより従業員が襲われていたぞ。管理が杜撰だな」


露骨に話を逸らしたな。しかも正当化するためにしれっと嘘を混ぜている。

傭兵の男は店員の手を掴んではいたが、まだ襲っていなかった。


「あ?またか。最近は減ったと思っとったが。ライカ、無事か?」

「あ、はい。そちらの方が助けてくれたので大丈夫でした。お知り合いですか?」

「ああ、ノンだ。待て、その剣。まさか正規軍に入ったのか。あのノンが品行方正な軍人なんて信じられん。正規軍も何を考えてやがる」


その意見には正直同意だ。


「まあいい。今日は客として来たんだよな?ああ、他にも連れがいんのか、っておいおいおい!今日は何かの記念日か?“つぎはぎの傭兵団”のお前ら二人が揃ってとは」


止める間もなかった。


「つ、つぎはぎだと!?」「生きてたのか!」「俺は気づいてたぜ」「正規軍に入ったってことはやはり」「···裏切り者」「何でここにいやがる!」


「落ち着けてめえら。こいつらは客!絡むなら客じゃなくなってからにしろ!酒没収するぞ!」


一気に静かになった。

ここにいる理由なんてのはここ以上に安い酒を飲める場所がないからだからな。納得はするが酒以下と言われているようで釈然とはしない。


「あ、あの!やっぱり“つぎはぎの傭兵団”ってあなた達だったんですね!」


酒よりも関心がある人もいた。

もう隠すことはできないか。


「ライカちゃんだったか」

「は、はい!」

「お礼は受け取ったからもう“つぎはぎの傭兵団”なんて忘れな。周りの客達の反応でわかるだろう?俺達はあまりあの時のことは思い出したくないし、他の奴もそうだろう。君の行動は誰かの敵意を買うかもしれない」

「あ、その、そんなつもりは」

「そんなつもりが無くとも巻き込まれてからでは遅い。何度も言うが忘れるのが君のためだ。ついでにこの店も辞めた方がいいんじゃないか?さっきみたいなこともあるし」

「おい!黙って聞いてりゃ辞めた方がいいだと!?調子に乗るなよ。つぎはぎ!」


一人の客が立ち上がり、抗議の声をあげる。


「ライカちゃんはな。誰とも知らねえ。つぎはぎの奴らに礼を言うだけのために一生懸命だっただけなんだよ!それなのにテメエは人の心がねえのか!」


顔を真っ赤にして叫びやがって、これではこちらがまるで悪者だな。

まああえてそうなるように言っているわけではあるが。


「よく言った!」「いいぞ」「そうだ!そうだ!俺達のライカちゃんが辞めちまったらこんな店誰が来るか!」「あ」


「おい!誰だ。今俺の店を馬鹿にした野郎は!」


酔っ払いも多い。再び混沌とした状況になってきた。

この隙に元の席にさっさと戻ろうとすると店員の子。ライカから返答があった。


「それでも!あの時は守ってくれてありがとうございました!燻製料理もすぐにお持ちしますね!」


こりゃあライカを舐めていたらしい。あれだけ言われてまだお礼が言えるなら本気で感謝していたということだったんだろう。そこまで拘るくらいだ。つぎはぎの傭兵団が直接助けた市民の中にいたのかもしれないな。


「何を格好つけているのですか。でも少し報われましたね」

「一番報われなければいけない奴がここにいないがな」


ラスは「ですね」と呟き、それきり黙る。

しばらくするとライカは言ったとおりにテーブルに燻製料理の乗った皿を並べて、何も言わずに一礼して戻っていった。


「懐かしいですね。最初にここに来た時もこれを食べました」

「値段が安くて、満足感もそこそこだからな」


さて。


「さっきの続きだ。結局俺達に何を依頼したいんだ?」

「いや、その話の前に確認しなければならない。貴様らはチイのことをどう考えている」

「どう、とは?」

「チイに対して何を思っているか、考えているかを聞いている」


ノンはこちらをまっすぐに見つめ、その目があまりに真剣で言葉に詰まってしまった。

先に口を開いたのはラスだった。


「あの魔物襲撃の直後、チイは自ら姿を眩ませました。我々にも黙ってね。そうするしかなかったと言えばそれまでですが、納得はしていません」

「ラス···」

「私も納得していない。となれば話を聞きに行くしかあるまい」

「直接会いに行くと?魔王という存在まで出てきている以上、下手をすれば我々だけでなくチイも死にますよ」


もし、チイが魔王に与していた場合は敵対まである。


「魔王の存在が出てくれば魔物と人はまた戦争だ。そうなればチイはいずれ死ぬ。遅いか早いかの違いだ。····計画は立ててある。あとは意思があるか否かだ」


ノンは視線を燻製肉に向ける。


「私は一人でもチイに会いに行くと決めている。あいつに意思があれば連れ戻す方法も考えがある。ついでに貴様らにも協力する機会をやる。共に来い」


ノンは普段通りの様子だがこちらはそうもいかない。

具体的なことは何もわからない。それでもわかることがある。ノンはすでに命を懸けている。


「計画はいつです?」

「来るかどうかが先だ。部外者に情報は渡せん」

「行きます」


思わずラスを見る。

ラスは次期司教だと言っていた。下手をすれば築き上げたものすべて失うぞ。どうしてそんな簡単に決められる。


「ふん。キン、貴様はどうだ」


視線を戻すとノンが真っ直ぐにこちらを見つめていた。

話を振られてチイのこと、鍛冶屋のこと、そして魔物の襲撃、チイの使った魔法が脳裏をよぎる。


「······時間をくれ」

「何?」


反射的に先延ばしにする言葉が口をついて出た。

自分でも驚く。だが口が閉じることはない。


「······足手纏いだ。第一線で戦っていたのは傭兵でいたあの時が最後。ノンのように軍に所属もしていなければ、ラスのように〈神聖呪法〉も使えない。それに世話になった鍛冶屋に迷惑をかけられない。すまない。背負っているものがあるんだ。すぐには決められない」


後から次々と出てくる言い訳。自覚があるだけ質が悪い。

だから、と続く先の答えを言う前にノンは席を立つ。


「表へ出ろ。久しぶりに見てやる」

「な、何を」

「色々言っていたが要は実力が不安なのだろう?だったら手っ取り早く実力を確認してやる。さっさと来い」


もう傭兵の時とは違うにもかかわらずノンの言葉で条件反射的に席を立ってしまった。知らない自分の習性に暗然とする。

ともかくこのままだと本当に模擬戦闘という名の暴力を受けることになる。断らなければ。そんな内心とは反対にノンに言い返す言葉は出てこない。

席を立ったまま、呆然とノンの背中を見ていると見かねたラスが助け舟とばかりに口を挟む。


「もう日が沈んでいますよ」

「近所の子供がよく遊んでいた空き地があったな。そこならば広さは十分。この時期であれば月明りがあれば問題ないだろう」

「空き地とはいえ都市の所有地ですが。子供はともかく、我々が勝手に使っていいのですか。ノン小隊長殿?」

「ばれなければ問題ない」

「よくそれで軍人ができていますね」


ノンを止める余地がない。

呆れたように溜息を吐くラスを無視し、ノンは店の外へ。

女帝には逆らえない。周りの傭兵が昔ぼやいていた言葉を思い出した。






-3-


店への支払いはラスに任せて無理やりに連れてこられたのは、店からほど近い空き地。

空からは月が覗き、前にいるノンの姿をはっきりと照らし出す。

若干酒の抜けていない頭でどうしてこうなったのかを考える。

ノンが強引に始めたこと?本質は違う。ノンはノンの考えの元で動いている。ラスもそうだ。俺だけが動けていない。流されるままにただ生きている。だから今こうしてノンと向かい合っている。チイとのことはただの切っ掛けに過ぎない。

ノンが持っていた直剣を体に押し付けられる。


「これを貸してやる。構えろ」

「本当にいきなりだな」


こちらの声など聞こえていない様子でノンは周辺の地面を見渡しながら歩き回る。


「私は、これでいいか」


そう言ってノンが手に取ったのは地面に落ちていた腰の高さくらいの長さの木の枝。子供がチャンバラごっこでもしていたのだろう。


未だ覚悟ができていない。呆然と渡された正規軍の直剣を見つめる。

俺の心理状態が伝わったのか、ノンが口を開く。


「意味ならある」


ノンは木の枝を確かめるように二、三回素振りして正面に向き直る。


「チイのこと。未だ後悔しているのだろう」

「···後悔に“まだ”なんてない。ずっと背負うものだろ」

「その割に当たり障りのない言い訳で協力を拒むのはチイにそう言われたからか?」

「···」

「曲がりなりにも元“つぎはぎ”として活動を続けた貴様に戦力として期待していないこともない。だが私の計画に貴様は必須ではない。つまり、どっちでもいいんだ」

「だったらなんでここまでする」

「気に食わないからだ。流されるまま他人の意思に従い生き、死ぬ。それを貴様が疑問にも思わないことも含めて反吐が出る。昔の貴様はもう少しマシだったはずだがな」


俺はずっと変わっていない。いや変われていないと自分では思っているが、ノンの評価とは違っているみたいだな。


「ここで私がすることはただの八つ当たりだ。いいから抜け」


理解はしたが納得はできないまま、正規軍の翼の紋章が縫われた鞘から剣を引き抜き、鞘を放る。

対してノンは真っ直ぐに木の枝を向けてくる。

その瞬間、ノンが持つただの枝がまるで真剣のような凶器に見えた。

ノンの気配が、圧力が、肌を通して訴えかけてくる。

先ほどまで酒でぼやけていた頭が危機感からか強制的に素面に戻る。


納得とか、意味とか。今は考える余裕はない。

気を抜けば明日はベッドの上から動けないだろう。

傭兵だった頃に培った経験が自然とノンを相手に剣を構えさせる。

どうせ殺す気で打ち込んでも当たりやしない。相手の実力に対してのそんな歪な信頼もあったからかもしれない。

意識を戦いのそれへと切り替える。


「いくぞ」


ひりついた空気の中こちらの様子の変化に気づいたノンが呟く。こちらの意識を変えるためにわざと殺気でも放ったとでもいうのか。相変わらずの化け物だな。


月明かりの下、戦闘が始まった。


静まり返った空き地。先制はノンから。

一瞬、屈むような姿勢になったかと思えば十歩ほどの距離は一瞬で無くなる。

気づけば目前で水平に引き絞るように腕を振りかぶっていた。

咄嗟にバックステップを踏むことで距離を放すと、目の前を通り過ぎる枝。その余波で発生した風が顔を撫でる。


さっきまでのように気が抜けていれば、踏み込みの速さに反応できずに終わっていた。

幸運もあったにせよ、初撃は躱した。そうなればこちらの優位が出てくる。


「うらあ!」


ノンが振り切った腕を戻す前に大振りで剣を打ち込む。

相手はただの枝なのだからそのまま攻めるべきだと冷静な自分が体を動かす。いくらノンでも木の枝で鉄製の剣がまともに受けられるわけがない。


ノンに向かって垂直に振られる剣。ノンは僅かに半身になることで直撃の軌道から外れる。まさか見切られているのか。そんな簡単に。嘘だろ。今出せる全力の振り下ろしだぞ。

空気を割く音を立て剣は地面に向かう。すぐに戻すのは不可能。

一瞬、ノンの剣を持っていない方の拳が僅かに緑色の光を纏うのが視界に映る。まずッ!


―――Ability 《ラピッドナックル》―――


顔をかち上げられる。


木の枝(これ)だけだと思ったか?抜けている。弛んでいる。呆けている」


上向いた顔を戻して顎を押さえる。

アビリティで殴られたか。下からか?くそ、打ち込みが速すぎて躱せねえ。


アビリティというのは習得すると特別な力を扱えるようになる代物だ。身体能力の底上げをするバフ系の常時発動型アビリティやさっきノンが使ったような自身の意思で発動するアビリティ、特殊なものではアビリティ保持者以外が発動のトリガーになるカウンター系のアビリティがある。これらは何らかの条件を達成することで習得することができるが、個人によって多少条件が異なることや難易度が変わったりすることもあるらしく、習得自体が才能に左右されるというのが通説だ。

修行によって習得するという話もあるが、特定のアビリティを狙って習得するというのも難しく、望んだアビリティとは異なるアビリティを習得することもある。当然、習得自体ができないこともある。

苦労して習得する必要があるのかといえば、必要はないがメリットはあるといったところか。アビリティを習得した者とそうでない者の間にはそれだけ差がある。

例えば、《ラピッドナックル》は単純な拳による突きだが、アビリティではない通常の拳よりも突くスピードが段違いに早い。単純な殴り合いならこのアビリティ持ちに勝つのは難しいだろう。


「本気で来い。でなければ多少の怪我では済まんぞ」

「―――とっくに本気だよ」


回復のために無理やり喋って時間を稼ぐ。

一撃で意識が飛ばされかけた。直前で打たれると思ってなければ剣を落としていたかもしれない。


「私は相手が領主であろうが、結婚を控えた女だろうが、傭兵団の元仲間だろうが、戦える敵ならば加減は一切せん」


この女、昔も戦いに対する考え方が極端だと思ったことがあったが、今も変わってない。半殺しにされる程度は覚悟する必要があるかもしれない。

にしてもその理屈だと俺は敵か。ふざけんな。誰が好き好んでお前の敵になるんだ。敵になるくらいなら正規軍に捕まる方を選ぶ。


「そんなだと嫁の貰い手に困るぞ」

「私の拳一発だけでは随分余裕と見える」


ダメージの回復に向けていた意識を慌てて剣呑な気配を発するノンに向ける。気にしてたのかよ。冗談だと言えば許してもらえるだろうか。

背中を流れるのはただの汗か。冷や汗か。


とはいえノンは口ではそうは言いつつも今度はこちらから攻めてくるのを待つ構えだ。

だったら楽かと言えばそうではなく、例えるなら落ちたことのない堅牢な城を一人で攻略するような気持ちである。


にしてもさっきから体が重石を括り付けたかのように遅れている。

緊張感や疲労もあるが、一番はやはり鈍った体がついてこないのが原因か。

意識と肉体の差はすぐにはなくならない。今の状態で挑むしかない。

未だ前線にいるノンと離れた俺。結果は見えているが、足掻かないとより酷い目に合うのは間違いない。


今度はこちらから踏み込み、大振りで袈裟に剣を振りぬく。

わずかの隙もないノンの態勢。

案の定、ギリギリで躱される。そこまでは読み通り。

空振りの先、勢いそのままに鞭のように振りぬく。

手首を使い振りぬいた剣。遠心力で力が上に向いた瞬間、手を放す。結果、持っていた剣はくるくる回りながら夜の空へと飛んでいく。

その直後、ノンの意識が上に向くのを目線で確認。武器を手放す予想外の行動に一瞬逸れたか。ここで初めての隙。今しかない。逆の手に隠し持っていたフォークで顔面を突く。


フォークはさっき店で拝借したものだ。

咄嗟だったんだ。店主許せ。


一般人なら目を瞑るだろう。

近接戦闘に慣れていれば気づいた瞬間に顔を逸らして躱そうとする。

いずれにせよ隙ができるはずだ。その隙にもう一撃入れる。


―――Ability 《徹底防御》―――


バキと音がした。

人とフォークで出せる音じゃない。


枝で止められた。アビリティを使われたか。

押しても微動だにしない。フォークの歯が枝に突き刺さり、フォーク自体が歪んでしまっている。


あの距離からアビリティを発動する反応も十分に人外レベル。しかも片手で止めやがって。

とはいえ情けないかもしれないが現役正規軍人に力で勝てているとは最初から思ってない。


深く突き刺さったフォークを懐に引き込み、拮抗していた力を失くす。そこでようやくノンが前のめりに体勢を崩した。下へ傾くノンの顔へ半円を描くように死角から右拳を打ち込む。


「はぁ、はぁ、そこは当たるところだろうが····」

「私に防御系のアビリティを使わせるか。その前後の流れも悪くない。意外とやるじゃないか。次はどうする」


振りぬいたはずの俺の拳がノンの残った方の手で受け止められてギチギチと音を立てる。

そのまま手を握りこみ、僅かに口角の上がったノンが力に任せて押し込めてくる。

やはりアビリティなし、素の反応でも止めてくるか。

右手は外せない。左手も今は使えない。残った四肢に自由はなく、あげくにノンは油断しない。

だがその態勢は万全には程遠い。まだ諦めるには早い。


膠着した状態。ちらと目線だけ上を見る。

視線に気づいたノンが咄嗟に上を向く。

先ほど投げた剣がくるくると回りながらちょうどノンに向かって落ちてくるのが見えたのだろう。


―――想像の中では。


現実は明後日の方向に剣が飛んでいるだけだ。

それに気づいたノンが上に向けていた顔をこちらに戻すのと同時、突き出した頭がノンの顔面に刺さった。今度はアビリティを使う隙はないだろ。

頭突きの反動で掴まれていた手が離れ、お互いに一歩二歩と後退する。

痛ってぇ。俺の頭割れてないよな。


「本当に、悪くない」


顔に手を当てていたノンがボソッと呟く。

手の隙間から見えるのは血が滲む口元。

思わず必要以上に後退する。


「お、おい。この辺でもうやめないか。平等に一発ずつ。充分だろ」


ノンは木の枝をへし折り、投げ捨てた。あ、ダメか。

ノンは拳と手の平をパンとぶつけ合わせ、前傾になった。

その姿に明日はベッドから出られないかもしれないと諦観が浮かぶ。


「第二回戦だ」


―――せめて三回戦は勘弁してくれ。本当に死んじまう。


~~


―――終わりか。


地面に仰向けに倒れたまま起き上がることもできないキンを確認し、地面に突き刺さっていた直剣と鞘を拾う。

離れた場所から様子を覗っていたラスが空気の変化を感じ取ったのか、こちらに近づいてくる。


「どうでしたか?近接戦闘は見てもあまりわからないので教えてほしいのですが」

「以前に比べて動きは固いし、体力もない。鍛錬不足だな」

「では本人の言う通り、鈍ってはいたようですね。今は鍛冶師のようですし」


ああ。と肯定を返そうとして口の端から血が出ていることに気づく。

舌打ちをしつつ、手拭で血を拭う。

女の顔に躊躇い無く頭突きか。もう二、三回教育して(殴って)やるべきだったか。


「それでもその辺の傭兵よりは使えるな」

「合格、ということですか?」

「···それはこいつ次第だ。実力があっても中途半端な覚悟で付いてくることは許さん。士気に関わる」

「そう、ですか」

「貴様は···」


拾った剣をラスの喉元に突き付ける。

それでもラスは身動き一つせず、ちらと突き付けられた剣先を一瞥するだけだ。顔色も変えない。


「覚悟はできているようだが、私の邪魔はするなよ」

「何のことですか?」

「チイが他の魔物と共にいたとは貴様に伝えたが、その魔物が複数だったことは教えていない情報だ」


『他の魔物()と共にいたとも報告があったそうですね』

と酒場でラスは言った。つまり最初からチイが魔物の集団に混じって生活していることを知っていたということ。おそらくは他に私が知らない情報もあることだろう。


「····そちらこそ、チイ以外に何か別の目的があるのではないですか」

「···」

「話せない、と。はいはい、分かりました。無理には聞きませんよ。お互い目的がある。それでいいでしょう」

「好きにしろ。貴様がどうしようと関係ない」


突き付けていた剣を下ろし、鞘に納める。

ラスが肩を竦め、キンの元へ向かうのを横目に私は空き地を後にする。

治療でもするのだろう。

ラスは〈神聖呪法〉の使い手。あの程度の怪我であればキンの目が覚めるまでには治療系のアビリティで全快させることも可能だろう。


「全く、前途多難ですね」


空き地を立ち去る直前、ラスが呟いた言葉が耳に残った。



ライカは十代の女の子。平和なアヴェで両親と共に暮らす。

得意なことは掃除。料理は少し苦手。食材を焼いたり煮たりする間にじっとしていられず、他のことをする癖がある。そちらに没頭してしまい、気がついて慌てて火を消す頃には食材が黒くなってしまっていることがある。

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