美少女名探偵☆雪獅子炎華 (5)オッカムの剃刀
☆1☆
《フォートナム・アンド・メイソン》
イギリス王室御用達の最高級の紅茶である。
優雅で気品溢れる芳香を放つ最高級茶葉を入れたティーカップに、繊細で華奢な指先が絡まり、雪獅子炎華が淡い桃色の唇を近づける。
それも束の間、無粋な呼び鈴とともに無粋な訪問者が現れる。
炎華の午後のアフタヌーン・ティーは中断を余儀なくされる。
無粋な客は鬼頭警部である。
「君を探すのに苦労したよ、炎華くん。しかし、ここは、何と言うか、その……絶景であるな」
鬼頭警部が額の汗を拭き拭き、戸惑った顔つきで喋る。
五月とはいえ、沖縄は真夏のような暑さだ。
炎華は最高級リゾートホテルの最上階、エメラルド・グリーンの大海原が見下ろせる広々としたテラスで、子供には大き過ぎるデッキ・チェアを用意し、そこに優雅に腰かけアフタヌーン・ティーを楽しむつもりだったのだ。
炎華の愛くるしい瞳が鬼頭警部を見据え、
「探しものは他にあるのではなくって? 鬼頭警部? いったい、私に何のご用かしら?」
鬼頭警部が応える、
「今、テレビでも相当、話題になっている事件の事なのだ。行方不明になった子供の事件の事なのだ、炎華くん。君も小耳に挟んでいると思うのだが」
炎華がアクビをしながら、
「私は、テレビはほとんど見ないの。退屈な番組しかないもの。ラジオかネットのほうが断然、面白いわね」
鬼頭警部が肩をすくめ、
「ふむ。となると、君は北海道で起きた八股君行方不明事件は一切知らないというわけだね」
炎華が顔をあげる、
「一応、テレビのデータ放送は読んでいるわ。だけど、詳しくは知らないわ、どんな事件なのかしら?」
鬼頭警部が警察手帳を広げ、
「それじゃあ、かいつまんで、事件の顛末を詳しく話すのだ。よく聞いてくれたまえ、炎華くん。小さな子供の命が、君の類まれな推理一つにかかっているのだ」
炎華が嘆息し、
「仕方ないわね、アフタヌーン・ティーはお預けにするわ。いいわねユキニャン」
「ウニャン!」
我輩は肯定の鳴き声を上げる。
我輩は飼い猫である。名前は、
ユキニャン。
探偵であるゴスロリ少女、雪獅子炎華の相棒を務め、探偵の真似事をしている猫探偵である。
☆2☆
鬼頭警部がカバンの中から取り出してテーブルに広げたのは、ここ数日間の新聞の束である。
なぜなら、
「やれやれ、テレビを見ないというのは考えものなのだ。とりあえず、八股君行方不明事件の記事の載っている新聞を、いくつか買い漁ってきたのだ。参考にしてほしいのだ」
炎華が小さな肩をすくめ新聞を手に取る、
「ネット全盛の時代に紙媒体の情報なんて古臭くて何の役にも立たないけど、手軽に読めるという利点がなくもないわね」
炎華が新聞を静かにめくる。
水晶のように美しい瞳が紙上の文字を追う。
新聞にはざっとこんな記事が書いてある。
サンキョウ・グループの産狂新聞より抜粋。
北海道八神山、中腹の山中へ山菜採りに家族で旅行に出掛けた八峰山雄氏の長男、八峰八股君(九歳)が六日夕方より行方不明となる。
山雄氏の証言では目を離した数分後に行方が分からなくなった、という事で事件性が懸念される。
午後八時、家族は捜索を断念、警察へ届け出た。
午後八時という時刻はかなり遅い通報と云わざるを得ず、その両親が疑われても仕方がない。
現在、警察による十人体制による捜索を続けているが八股君発見には至っていない。
八股君が毒キノコを食した可能性もあり、極めて憂慮すべき事態である。
炎華が顔をしかめる、
「鬼頭警部、産狂新聞を選んだのは何故かしら?」
鬼頭警部が胸を張り、
「我が家は昔から産狂新聞の定期購読をしておってね、なかなか興味深い記事を書いていると思うのだが、何か不満でもあるのかね、炎華くん?」
炎華が呆れながら、
「そう、その定期購読はすぐに止めたほうがいいわね。百害あって一利無しよ」
鬼頭警部が目をむいて問い返す、
「そりゃまた、一体どうしてかね!? 炎華くん!?」
炎華が静かに説明する、
「まず産狂新聞は、行方不明の記事のあと、いきなり事件性を示したわね。目を離した数分後に姿が消えた、だから誘拐事件だ、と、断定したいのでしょうけど、今の時点では山雄氏の証言だけが頼りで、証言自体に信憑性がない。さらに、遅い通報という事だけで両親を疑っているわね。素人探偵のやりそうな事ね。すぐに身近な者を疑うのは、大手新聞社のやる事ではないわ。そのあとさらに、毒キノコうんぬんと書いているわね。この記事に関しては、もう冗談にも程があるというレベルの駄文よね。蛇足にもほどがあるわ」
鬼頭警部が額の汗を拭きながら、
「ま、まあまあ、炎華くん、落ち着きたまえよ、事件当初は色々と憶測が生まれるものなのだ。この程度の憶測記事はよくある事なのだ。だから気にしないでほしいのだ。ところで、翌日からの記事にも目を通してほしいのだ。そうすれば、産狂新聞の正確さがよく分かるのだ。なにしろ我が家で定期購読している超・愛読新聞なのだから」
頑固な鬼頭警部に対し炎華が、
「そう、歪んだ愛情が感じられるわね」
と言いながら翌日の産狂新聞を広げる。
産狂新聞より抜粋。
八峰八股君行方不明事件は捜索人員を増やし三十人体制となる。
行方不明現場から五キロ離れた山小屋の中からも幼い八股君の姿は発見されず、捜索を強化するため、警察犬による捜索が始まった。
より一層、捜索範囲を広げ、現場から三十キロ圏内がその対象となる。
無論、事件が山菜採りの最中に起きた事が前提となるため、子供の脚力で三十キロもの山中を踏破出来るとは到底思えない、警察の努力も今回は疑問を感じざるを得ない。
警察は山雄氏に対し、より一層の証言を得るべきであろう。
昨今の児童虐待事件なども考慮すべきである。
五月とはいえ夜間の冷え込みは厳しく、深夜から雨が降り続いている。
捜索は難航が予想される。
依然、行方不明である八股君の健康とその安否が問われる。
炎華が眉根を寄せ不機嫌に、
「つまり、産狂新聞の言いたい事はこういう事よ、子供が行方不明になったとはいえ、三十キロも歩けるわけがない。その圏内を探しても見つかるはずがない。犯人は父親の山雄氏で児童虐待の可能性がある、早く逮捕して尋問しろ、と、こう言う事よ。疑わしきは罰せよ、と書いているのよ。きっと、この記事を書いた記者は戦前の特高警察やゲシュタポに高く評価されるわね。そんな、いい加減な憶測で親を疑うなんて。しかも、行方不明の少年の安否を気遣っているように見えるけど、実は、八股君の死を匂わせているわ。この記者は相当ネガティブな記事を書く事が好きな変態記者よね」
さすがの鬼頭警部も少し動揺した様子で、
「そ、そそ、そうかね、わしには、ただの普通の記事にしか思えないのだが」
「フニャ、ニャニャンッ!」
『どう、考えても変態!』
と、我輩は否定の意思を示した。
「あら、ユキニャンも『変態!』って、言ってるわよ。猫にもわかる駄文がどうして鬼頭警部にはわからないのかしらね?」
鬼頭警部が頑なに、
「そ、そそ、そ、そうかね……だが、わ、我が家では……」
絶句する鬼頭警部を無視して新たに産狂新聞をめくる炎華。
産狂新聞より抜粋。
八峰八股君行方不明事件に新たな進展が見られた。
山雄氏の新たな証言によると、八股君は山菜採りの最中ではなく、シツケの為に山雄氏自身が山中に放置したというのである。
かねてからの疑問に正答が提出された形である。
この事実は虚言に踊らされた捜索隊一行に対しての後ろめたさゆえ、との言動が見られるが、最早、山雄氏の信頼は失墜したといわざるを得ない。
さて、八股君を放置したあと、山雄氏は五分ほど車を走らせた後、再び現場に戻った、との証言だが、その時は八股君の行方は完全に知れなくなっていた、との事である。
過剰なシツケであり、かねてより懸念されていた児童虐待の疑いはさらに強まった。
警察は慎重にも慎重な取り調べを行い、これら、全ての証言が真に正当なものである裏付け調査を行うべきである。
炎華が細く長い溜息をつき、産狂新聞を床に投げ捨てる。
「意訳する気にもなれないけど、しいて言えば、この記事を書いた記者は狂っているわね。かねてからの疑問、というのは、その後の児童虐待がどうこういう記事と繋がっていて、山雄氏が八股君を虐待死させて、山中に遺体を捨てた、という事を匂わせているのよ。しかも、山雄氏は正直に、シツケのために八股君を放置した、と事実を告白しているのに、この記者は邪推したあげく、山雄氏を殺人犯扱いして、警察に厳しく尋問しろ、と、戦前の特高警察やゲシュタポ並みに訴えているのよ」
鬼頭警部が青ざめながら唇を震わす。
「ま、まま、まあまあ、記者さんの中には時折、先走って、うっかり事実から、ちょっぴり、かけ離れた憶測をする者もいるものだよ、炎華くん。でも、そこは広い心を持って許してあげるのだ。どこの世界にも、一人や二人はこういう憶測をするうっかり屋さんがいるものなのだ」
炎華がジト目で鬼頭警部を見つめ、
「一人や二人だけならいいのだけれど」
さらに産狂新聞より抜粋。
八峰八股君行方不明事件は一週間が経過した。
もはや八股君の生存は絶望的といわざるを得ない。
すでに警察は百人体制で八股君の捜索を継続中ではあるが、三日の後に捜索を終了する見込みであり、現地の捜査員の間には、すでに絶望感が漂っている。
最後の切り札、頼りにしていた警察犬は、現場から十キほどの場所で八股君を見失い、右往左往する始末である。
無責任な世論は宇宙人による誘拐とか、現代の神かくし。
あるいは、酷い話になると、山雄氏自身が八股君を殺害後、山中に死体を遺棄した、と、心ない憶測をまくし立てる者もいる。
当社は一切、憶測に頼る事なく事件解決を願うものである。
行方が知れないなら現地にこだわらず、より八股君に身近な範囲で捜索を確実に行うべき、と進言したい。
犯人が巧妙に事件の隠蔽を図った可能性は、シツケの件で明白であるはずなのだから。
炎華が産狂新聞を破り捨て、
「一番無責任なのは、この戦前の特高警察やゲシュタポ並みに頭の悪い記者ね。あえて意訳するとこうなるわ、生存は絶望的、と根拠もなく書き出して、その根拠の無い記事を正当化するために、捜査員にも絶望感が漂う。と、いい加減な事を書いて死亡説を助長し、さらに記事を面白おかしくあおるように、宇宙人による誘拐だの、現代の神かくしだの。世論の噂話を借りて、山雄氏自身が殺害後、山中に死体を遺棄した。と、自分の考えを暗に伝え、極めつけは最後のエセ探偵ぶりね。八股君に近い範囲の捜索をしろ、というのは、つまり、山雄氏が自宅かその付近で八股君を殺害し、その近くに遺体を遺棄した、と勝手な推理をしているのよ。お笑い草もいいところだわ。こんな空想じみた非現実的な推理はただの子供の妄想よ。こんな駄文に付き合う私の身にもなって欲しいわね。これは新聞じゃなくて戦前の特高警察やゲシュタポ並みのお馬鹿な記者が書いた二チャンネルのブログでしかないわ」
「ウニャンッ!」
我輩も炎華に同意する。
鬼頭警部が悲しげに破り捨てられた産狂新聞を拾い集めながら、
「そ、そそ、それで、炎華くん。君の推理では、この事件は一体どういう事になるのかね? た、確かに、産狂新聞の記事は間違った部分があるかもしれないのだ。だけど、八股君が見つからない以上、必ずしも間違った憶測とはいえんのではないかね?」
炎華が妖しげに瞳を細め、子供ながらも妖艶な笑みを浮かべる。
「八股君の居場所なら、狂ってはいるけれども、この産狂新聞の中に、ある程度は書かれているわよ。余計な憶測や推測を切り捨てて素直に事件と向かい合えば、真実はおのずと現れてくる物よ。それが本当に正しい推理というものよ。そうよね、ユキニャン」
「ニャウンッ!」
我輩は同意した。
炎華が続ける、
「まず第一に、鬼頭警部に一つだけ質問したい事があるわ。それは、最初に捜索した山小屋に、布団や毛布があったのか? という事よ」
鬼頭警部が警察手帳をめくり、
「いや、山小屋の中には、そういった物は無かったのだ。近くのキャンプ場を利用する人たちの、一時的な休憩所でしかないのだ」
炎華が続けて、
「それなら、身体をおおえるような、大きな布か、何かはないかしら?」
鬼頭警部が瞳を見開く、
「おおっ! そういえば、山小屋の奥にキャンプで使う大きなテントがあったのだ」
炎華が推理を展開する、
「これで答えは出たわね。子供は山小屋のテントの中にくるまって、今頃、寝ているはずよ。五月とはいえ、北海道の山中は寒いわ。道に迷って山小屋にたどり着いた子供が寒さをしのぐために、少しでも体温を確保しようとすれば、必ず、何かの布で身体をおおうはずよ。つまり、その布はテントの布だった。というわけよ」
鬼頭警部がいぶかしげに、
「だが炎華くん。山小屋の中は捜索隊が一度確認しておるのだ。しかも、警察犬は山小屋から五キロ先、現場から十キロも離れた所まで捜索しているのだ。残念ながら、そこで立ち往生してしまったのだが、ともかく八股君を見失ったのだ」
炎華があわてもせずに、
「よく考えてみて、鬼頭警部。捜索を開始した時刻は夜の八時過ぎ、山小屋はさらに夜遅くに調べたはずよ。もし、小屋の中が薄暗かったら、テントの中で寝ている小さな子供を発見するのはとても難しいわ。当然、その時刻は子供も疲れてグッスリ眠っているから、自分を探しにきた捜索隊に気づくとか、目を覚ますような事は決してないわ」
鬼頭警部が最後の抵抗を試みる、
「だが、警察犬は? なぜ行方不明の現場から十キロも離れた場所を探したのかね?」
炎華が最後の抵抗を打ち砕く、
「簡単な事よ。子供は一度、山小屋を通り過ぎたあと、進めるだけ、先に進んだのよ。それが山小屋から五キロ先の地点。だけど、体力的にもうこれ以上進む事が出来ないと子供ながら正確な判断をして、それで十キロ先から回れ右して、山小屋へ引き返したのよ。警察犬が八股君の足取りを見失ったのはそのためよ」
炎華が先程とは対照的に少女らしい柔らかな微笑みを浮かべ、
「さあ、早く現場に戻って子供を助けてあげなさい。子供は山小屋に必ずいるわ。私の推理はこれで終わり」
炎華の推理を聞き終えた鬼頭警部がお礼の返事もそこそこに、大慌てで部屋を退室する。
炎華が我輩に向かって問いかけてくる。
「ユキニャン、多くの憶測や推測があっても、余計な枝葉を削ぎ落とせば、自然と事実だけが浮かび上がるものよ。この現代の消去法の事を、昔の神学者は何と言っていたか分かるかしら?」
「ニャニャム、ニュ、ニャニャニャ、ニャン!」
我輩は元気に答える。
「そう、ユキニャンの言う通り【オッカムの剃刀】よ」
そう言い終え、炎華は少しだけ遅いティータイムを再び始めるのであった。
☆完☆