第1話最後の晩餐5
男は話し合いなどする気は無かったが、女を興奮させると面倒だと思い、取りあえず、話し合いに同意する事にした。
男が紙から手を離す。
女は紙を眺めた。
紙を見る女の様子は、何処か魂が抜けた様だった。
紙には綺麗な文字で、こう書かれている。
一、暴力を振るわない事。
二、帰りが遅くなる時は必ず連絡する事。
三、浮気をしない事。
四、キャバクラには出入りしない事。
そして、一番最後、五の項目には、こう書いてあった。
五、暴力を止めなかったら殺す。
「この紙は、契約書ですわ。結婚する前に、主人に約束させたのです。一番下に主人のサインと捺印がありますわ」
女が、サインがあるカ所を指差して言った。
「契約書……まぁ、そうだろうと思いましたけど、随分な内容の契約書ですね。特に、最後のコレ……良くご主人はサインしましたね」
男は、女の落した封筒を拾った日の事を思い出した。
何が入っているのか中身を確認しようと封を開けて見たら、紙切れ一枚しか入っておらず、しかも、その紙に書いてある文書の内容は冗談にしか見えない物だった。
つまらない物を拾ってしまったとガッカリした男の目に、血相を変えて落した物を探す女の姿が目に入った。
女の慌て振り。
女の焦りや絶望が浮かんだ顔に、男は確信した。
コレは、あの女にとっては価値のある物かも知れないと。
先程までの女の態度からも、この紙切れがこの女にとって、重要な物である事は良く分かった。
女は、コレを喉から手が出るほど欲しがっている。
女にとって、この契約書はどうしても必要な物なのだ。
男は、この紙切れが女にとって、どれだけ価値がある物なのか、女の口から直接聞く必要があると考えた。
(この女、金を全く用意していないと言っているが、そんなに大事な物なら何をしてでも返して欲しいはずだ。全く金を用意していないと言う事も無いだろう。金の値段を下げるつもりで出し渋っているのか? この女がどう言うつもりでいるのか知る必要がある)
男が、女の話を真面目に聞く気でいるらしいと見ると、女は話を続けた。
「主人とは、結婚する前から付き合っていたのです。私の一目ぼれでしたわ。優しくて誠実な人に見えたのですわ。事実、その通りだった……ただ、主人は気に食わない事があると、私に暴力を振るったんですの。暴力は日に日にエスカレートして、些細な事でも私に腹を立てて、私をサンドバックにしてきましたわ!」
「DVですね……」
「ええ、その通りですわ。地獄でした……主人はヤキモチ焼きで嫉妬深く私の浮気を疑っては暴力! 暴力! 何度別れようと思ったか知れません」
「別れられなかったんですか?」
男の質問に、女は両手で顔を覆って「ええ」と小さく呟いた。
女は泣いているらしかった。