第1話最後の晩餐4
(美味しい……)
女は溜め息を付く。
男と女は、お互いが、少しずつ落ち着きを取戻す。
「まぁ、色々お気の毒な感じですけど。僕的には、四十万円を持って来れなかった事と何か関係が? って感じなんですけど、貴方がご主人に暴力を振るわれているからと言って、アレを、はいどうぞって渡すと思います? 四十万円を頂くまではお返し出来ませんよ」
男がコーヒーを啜りながら女に言う。
男の顔は、すっかり卑しい脅迫者の顔に戻っていた。
女は、少し険しい顔をして男の顔を見ると、深呼吸をして話し出した。
「さっきも言った通り、四十万円は用意していません。それに貴方が確かにアレを持っていると言う証拠が無いじゃ無いですか! あんな手紙だけではとても信用出来ませんわ!」
「証拠ならありますよ」
そう言って、男はテーブルの上に白いB5サイズの封筒を置いた。
「そっ……それは!」
女が封筒に飛び付く。
男は素早く封筒を自分の手に戻す。
ガンッっと、鈍い音がした。
「ギャー!」
勢い余った女が顔をテーブルにぶつけていた。
女は痛みで、しばらく、「うぅっ」と呻いていた。
「だっ……大丈夫ですか?」
女のあまりの様子に男は声を掛け、女の肩に手を置こうとする。
その瞬間、女は顔を上げ、立ち上がり、素早くテーブル越しに男につかみ掛かった。
しかし、水に濡れた床は、割れたグラスの破片で滑りやすくなっており、女は足を滑らせた。
女は、そのまま男の方に倒れ込む。
男が咄嗟に身を引くと、女は、ゴンッとテーブルに勢い良く顎を打ち付ける。
「ギャーッ!」
女の悲鳴が店の中に響く。
他の客が、迷惑そうに女を見た。
客の一人は耳を塞いでいる。
女は、打ち付けた顎の痛みに耐えられず、テーブルに顔を埋めたまま動けないでいたが、何とか声を絞り出して、呪文のように「返せ、返せ」と繰り返し呟いた。
他の客の冷たい視線が男と女に突き刺さる。
「お客様、お静かに。他のお客様のご迷惑になります」
店員(また、さっきの女性店員だ。どうやら店には、この女性店員しか従業員は存在しないようだ)が側に来て、女を冷やかに見下して言った。
「ちょっ……」
女は、顔だけ、なんとか店員に向け、何か言おうとしたが、既に店員は背中を向けてテーブルから離れていた。
「ちょっと! この割れたグラスと濡れた床! 片付けて行きなさいよぉ、後、空のカップもぉー」
女が声を上げて言うと、他の客が口許に人差し指を当ててシーッとやる。
「まぁ、落ち着きましょうよ! 飲み物でも飲んで!」
男は女にそう言うとコーヒーを啜った。
女が二度もテーブルに倒れ込んだと言うのに、男と女のカップは何事も無かったかの様にテーブルにきちんと載っていた。
女は、忌々しげに小さく、「くっ!」と言うと、マンデリンを飲み干した。
「このコーヒー、すっかり冷めていましたわ!」
冷たくなったコーヒーは味が落ちていたが、頭に血が上った女を落着かせるには役にたった。
男は女の様子を観察した。
女が少しは落ち着いた様だと感じた男は封筒の中から一枚の紙を取り出してテーブルに置いた。
女が紙に手を伸ばそうとすると、男が紙の上に手を置いて、女の顔を見ながら言った。
「これはコピーなので、もう飛び掛かって取り返そうとしないで下さいね」
「コッ……コピー?」
「コピーです」
女の体から力が抜ける。
(この男は本気で四十万円を脅し取る気でいるらしいわ! 意外に用意周到じゃないの)
女は男が侮れない相手と気付く。
「貴方の本気は何となく伝わりましたわ。ただ、私がお金を用意出来なかったのも事実です。少し、話し合った方が良いようですわね」
「分かりました。手短に済ませましょう」