38.大淫婦と竜の魔女(3)
――ファブニールが討伐される直前。白騎士ウィリアム=ブラックスミスの猛攻を凌いでいたホーリーホックが、事の撤収を急いでいた。
周囲のマナに依存することなく、体内に貯蔵されていたマナを消費し、一時的ではあるが自らの最大出力を上回る力で振りかぶった右の拳が走る。空気摩擦に炎が上がった。
それを、重心を落として紙一重で躱し、体重を乗せていたウィリアムの左膝を蹴って崩して距離を取る。
大木を蹴ったような衝撃が足に残るが、いかなる攻撃でも意味をなさないほどの防御能力を誇る白騎士からの離脱を最優先とした。
「ちっ、しつこいぞ・・・・・・!」
「光栄だ! 女を口説くのには、ときには強気でいかなきゃ、だッ!!」
素早く動くホーリーホックを捉えるために、強く踏み込んで足場を砕く。足場が衝撃で崩れ、踏みしめる足から力が分散する。ホーリーホックの視界の隅で、――切断されて地面に横たわる邪竜の尾を持ち上げ、その血を浴びている存在に気付いた。首から掛けたペンダントが急速に光を帯びた。
「逃さねぇぜ! ――『ドラゴン・ストライク』――!!」
足を取られたホーリーホックへと、彗星のごとく蹴りが胴体を捉えた。内臓が潰れ、骨が砕ける感覚が伝播する。貫かれた身体からは――一瞬にして無ヘと変貌した。
「消えた・・・・・・? ちっ、どこだ!?」
掴んだはずの勝機が、一瞬にして消失する。ウィリアムが辺りを見渡しても、気配の一つもなく、上空から巨大な光の剣が邪竜の身体を貫いた。
///
「――クソックソックソッ!! 全部台無しだ! クソったれ!」
渓谷での激闘から逃亡したホーリーホックが森の中を走る。『三ツ子島』へ侵攻した西側へと急いだ。
西側の絶壁の影に、最悪を想定して脱出用の魔法陣を準備していた。最後の線を繋げ、魔力を通せば転移術式が完成する。
幻覚を用いてウィリアム=ブラックスミスの毒牙から免れたが、いつ追いつかれるかわからない以上、最速での逃走が求められた。
岩場を飛び越え、西の端に到着すると、――ホムライトが先回りして待ち構えていた。
「どこへ行く、竜の魔女。ここには逃げるための何かがあるのか」
猛毒であるファブニールの血を全身に浴び、腐臭と鉄の匂いをまとった魔女は、先程までの存在ではなかった。
幼少期にファブニールの幼竜の血を受け入れたときから、彼女には竜の呪いがある。肉体を強制的に成長させ、魔法少女から大魔女へと昇華されたことで、ホムライトは王国における最強の一角へと成り上がった。
「ここで逃せば、我々の国権に関わる。誰かが許しても、ワタシが許さない」
「忌々しい・・・・・・最後まで邪魔をするのか『虹の防人』」
「剣を取れ。決着をつける。文字通り、一対一だ」
大剣を構える『赤』の大魔女。ファブニールの血により先の戦闘のダメージはほぼ回復し、マナも確保したことで本来の力を取り戻した。
対し、砕かれた左腕を垂らし、致命傷を躱し続けた竜の魔女。ペンダントから錬成される魔力が全身を包む。
しばしの静寂の後、――振り下ろされる大剣がホーリーホックの身体を捉えた。
「ちっ・・・・・・また幻覚かッ!」
予備動作なく切りかかったホムライトを欺き、初動のアドバンテージを取ってホーリーホックが走り出す。目指すは脱出用の魔法陣。仕上げを遠隔で行うことで到達と同時に転移する。
「目的は転移魔法陣か!」
遠隔で術式を完成させたことで目指す先がどこか悟られるが、もはやそれは関係がない。先に到着さえすれば、転移と同時に術式を破壊して隠匿する。緊迫する状況に、背後から迫るホムライトを妨害するために詠唱破棄で発動した『黒縄ノ深淵』が視界を塞いだ。
それにより、ホムライトの行動は二手遅れた。彼女勝利条件は、今回の騒動の黒幕であるホーリーホックの捕縛と、展開された転移魔法陣の保全となった。移動先がわかれば、ホーリーホックの目的も背景も判明する。そのためにはこの二つをどうしても抑えなければいけない。
それらを妨害する『黒縄ノ深淵』。空間固定の束縛術式を回避したことで、ホムライトとホーリーホックの距離が離される。
届かない。取り逃がしてしまう。多くの仲間が傷付き、重大な損害を起こした元凶を目の前で逃せば、この王国における最大級な汚点となる。
「間に合ったッ!!」
そう叫んだホーリーホック。あと一歩。いや、半歩で彼女の視界は一変し、戦場となった『三ツ子島』からの脱出を完遂する。
そう思った彼女の身体を、――
「――『祝詞讐園』――」
虚空より出現した幾重もの鎖によって拘束された。
///
――聖都クーゲルスより西部に位置する駐屯地。
北方型の猿人種により構成された『亜人解放戦線』の襲撃を受けていた『緑』の技工士・エウレカ=ヘイマーディンガーであったが、前線を離れている駐屯地であり非戦闘員が多い中で、奇跡的に人的被害はゼロとなっていた。
そして、襲撃した『亜人解放戦線』の戦闘員は、無数の鎖によって手にしていた武器や爪を破壊され、多くが肉体を貫かれたことで絶命していた。
その中で、リーダー格と思われる猿人種を拘束することに成功している。
「・・・・・・殺せ。我らは行動するだけ。生き残ることに執着はない」
「それを言って、捕虜を殺すはどこにもおらんえ。ワッチの仕事は、お主だけでも生きながらえさせて、今回の整理をつけることじゃ」
「生き恥を晒すなど、あってはならん。遺された亜人にとって、我らの意志を継ぐためにも、――我らの時間はもう終わった」
「なに・・・・・・?」
「――死して英雄となる。地獄の淵で呪っているよ」
「全員離れろ! 自爆するぞい!!」
エウレカの叫び声と同時に、危険を察知した面々が回避行動を取るも、すでに息のない猿人も、リーダー格の猿人も、体内に仕込んでいた爆薬によって爆裂霧散した。
立ち込める爆煙。亜人の近くにいた者の数人が負傷したが、彼らに搭載されていた爆薬は、本人を確実に自害するために準備したもの。自爆攻撃を完遂するためのものではなかったため、『亜人解放戦線』以外の死者はでなかった。
「やられたわい。ここまでするとは思わなんだ・・・・・・」
爆発の衝撃で全身に浴びた土埃を払い、周囲を見渡すエウレカが頭を掻く。襲撃してきた『亜人解放戦線』全員が死亡するという最悪の事態となったことで、事の顛末が不明となった。
「・・・・・・試作中のものがうまく作動してよかったわい。じゃが、片付いたと思ったら飛翔装置を盗むとは、アーバンデーセツの小娘はとんだジャジャ馬じゃわい」
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「――ぐっ・・・・・・。なんだ、・・・・・・この鎖はッ!?」
あと半歩。転移魔法陣まで距離にして1メートルもない地点でホーリーホックの身体は空間に縛り付けられた。
虚空より伸びた鎖により捕縛された魔女のそばには、無数の鎖が絡まり合ってヒトのような形をした何かが立っていた。
「ちっ。マグライトと思って来てみれば、ホムライトだなんて。ねぇ、こいつ誰よ?」
悪態をつく、メリー=バックハイド=アーバンデーセツ――愛玩メイドのような襟や袖口にフリルの付いた黒いドレスを着た、毛先のはねた銀色のボブカットの中に、目付きの悪い緑色の瞳が睨みつける。
王立聖家2位メーガス家の筆頭分家であり、第1予選にて自身のマナ切れに伴う魔力炉心の融解によって脱落していた彼女ではあるが、強力な魔女であるホーリーホックを拘束するほど練度の高い呪いの鎖を展開していた。
「メリー、どうしてここに。その魔法は・・・・・・」
「これ? エウレカの爺さんがあたしに無理やり試作品の疑似魔炉を埋め込みやがったのよ。リハビリに半年かかったけど、さっき試運転したから、第2予選中だしどさくさ紛れにマグライトをぶっ殺そうと思ってね」
物騒なことを言っているが、状況としては奇跡に近い。
通常、魔力炉心が融解すれば意識どころか生命活動にすら影響が出る。心臓とかなり近い機能を持つだけに、魔力炉心の損害は直接心臓の破壊へと繋がるが、エウレカによって埋め込まれた疑似炉心によってメリーは生命活動も魔力生成の機能も取り戻していた。
それでいて、第1予選のときよりも純度の高い呪いを練り上げて、強力な鎖の呪人を顕現させている。
「あんたたち、魔力が似過ぎなのよ。肝心なマグライトはどこよ」
「・・・・・・いや、今のお前に伝えれば、すぐにでも手を出しに行くから言えない。今はそいつの捕縛が優先だ」
「だからこいつ誰よ。殺していいの?」
「ダメだ。ワタシが許さない」
呪いの鎖は、ホーリーホックの魔法行使すら抑制していた。魔力を通していた転移魔法陣からは、時間経過により徐々に魔力が霧散している。今となっては、動けるようになっても即座に転移は発動しない。
「・・・・・・クックックッ」
絶望的な状況で、ホーリーホックから笑い声が溢れる。
「何笑ってんのよ気持ち悪いわね。その口も塞いでやろうか」
「待て。こいつからは聞くことが多い」
「クーゲルスは面白いな。こうも私の計算が狂うとは恐れ入ったよ」
観念したのか、ホーリーホックからは魔力の気配が消えていた。首から掛けたペンダントも輝きを失っている。
「貴様の目的の終着はどこか知らんが、これで詰みだ。すべてを開示してもらうぞ」
「ああ。私は失敗した。すべてにおいて大失敗だ。まさか、最後の最後によくわからん小娘にしてやられるとは思わなかった」
「やっぱりぶっ殺そうか」
「いや、すべてにおいて、小娘たちにしてやられた。第一級魔法少女なんてとるに足らないと思っていたのに、火神の神憑りから、流れは私になかったのだろう」
あの場にカガリが来なければ、きっとレベッカは死んでいた。レベッカが死んでしまっていれば、ファブニール討伐において結果はどうであれ、今以上の損害が出ていたことは確実である。
そういう意味では、『炎獣』の祝福を受けた彼女の存在こそが、この出来事をひっくり返す最初の一手であった。
「だが、――失敗はしたが、お釣りはあった。『虹の防人』の三騎士の力量もわかった。なによりも、ハチロクと賢者の石は大きい。これは、私にとって最大の功績だ。作戦の失敗すら覆すほどのな」
「作戦と言ったか。やはり、貴様の後ろには何かがいるな。それも、吐き気を催すほど強大な」
「恐れ多いな、大淫婦。お前以上の存在はそうそういないぞ。ファブニールの血を自分から受け入れるなんて、狂気の沙汰では語れないほどにな」
輝きを失っていたペンダントの中で魔力が加速する。『祝詞讐園』の呪いによって体外に放出することのない魔力が、際限なくペンダント内で蓄積し、氾濫する衝撃で、――
「メリー! 離れろ!!」
「ちっ・・・・・・」
「――また会おう、クーゲルス諸君」
ペンダントに亀裂が入る。溢れ出た高濃度の魔力が空間を押しつぶすようにして、ホーリーホックの身体ごと消滅した。
「逃げられたのか・・・・・・?」
身体を縛っていた鎖は千切れ、ヒト一人の存在が完全に消失している。空間ごと飲み込む圧縮によって、励起していた転移魔法陣も欠損して効力を失活していた。
「いや、これは自決だ。証拠を遺さず、存在そのものを消滅させている。首にかけていた魔石の破壊がそのトリガーのようだ。残念ながら、――ワタシたちの負けだよ」
成体化した大邪竜ファブニールの討伐と、一連のテロにおける黒幕の竜の魔女ホーリーホックの消失によって、今回の騒動は幕を下ろした。
多くの謎を残し、そして、強大な敵の影を知ることが叶わぬまま、最大の損害を被ることで・・・・・・。




