37.ドラゴンスレイヤー(ズ)
渓谷に響く光の雨。残光を引く矢が絶え間なく降り注ぎ、脱皮を遂げようとしていた無防備のファブニールの肉を削いでいく。
行動も回復も阻害する弾幕により、目下の脅威を強制的に拘束した。
「ご苦労だった、シシカーダの娘。ここは、私が預かろう」
レベッカとマグライトを救助したセルの前に、1人の男が歩み寄る。
腰には剣。幾千の戦場を超えてきた一騎当千の証。
背には『黒』の外套。聖グレイトウェルシュ王国における最優の一角であり、誉れ高い騎士教団を率いる男。
「エイブラハム、さま・・・・・・」
「ちっ・・・・・・、『黒』の騎士まで来たのか・・・・・・。足止めすら満足にできないとは」
ホーリーホックに焦りの表情が浮かぶ。
敵対する聖グレイトウェルシュ王国において、優先すべき事項のうちの1つが、『黒』の騎士・エイブラハム=ヴァン=ペンドラゴンの足止めであった。
『竜殺し』の黒騎士――歴代で最大の竜の討伐数を誇るエイブラハムこそ、大邪竜ファブニールに対する最悪のカウンターとなる。ウィリアムも危惧していたとおり、聖都内でのファブニール討伐はかなりの弊害があるが、無人島である『三ツ子島』でなら障害はない。
「・・・・・・言葉巧みに従えて駒の1つとしたのだろうが、貴公には、あの男の誇りはわかるまい。道を違えなければ、彼は良き友となれただろう。彼の愚弄は許さんぞ、亡霊よ」
鞘から引き抜かれる剣によって金属が擦れる音が小さく鳴る。向けられた切っ先は淀みなく、迷いはない。
「逃げるなよ。壮大な計画の尻拭きは、粛々と行ってもらうぞ」
騎士が重心を落とす。いかなる攻撃にも対応できるよう、わずかに剣先を上げて右にずらす。
片腕の魔女は構えすらない。ただ、垂れる左腕と共に立っていた。
けれど、首から掛けたペンダントの輝きが弱まることはない。
暫しのにらみ合いの末――残像が映るほどの速度でエイブラハムの剣先がホーリーホックの首へと滑る。
魔女は半身でそれを躱し、右手の集積された魔力はぶつけるだけで炸裂する爆弾と化していた。ウィリアムのように体内に膨大な魔力を貯蔵している場合は幾分かの防御が可能でも、魔法の耐性がない騎士であれば、一撃で爆殺できる威力がある。
がら空きとなったエイブラハムの胴を狙うホーリーホックの右の拳は、――最小の動きで軌道を変えた刃により阻まれた。
接近戦ができる魔女相手に、騎士はすべての行動に対策を練っている。
わずかに傾いていた切っ先は、相手に避ける手を残していたに過ぎない。あえて、行動を限定させる誘いの刃。躱せないなら一刀のもとに命を狩り、躱されれば払う刃が追撃する。
躱した先に滑り込んできた切っ先に気付いたホーリーホックは身体を捻って致命傷を避けた。わずかに斬りつけられた左肩を庇う余裕はない。崩した体勢にすら追い打ちが迫る。地面すれすれを潜る刃が振り抜かれ、魔女の胴体を斬りつける。
「――『黒縄ノ深淵』――!!」
2人の間を遮るように黒い正三角形の物質が3つ出現した。絶対的空間固定束縛術式は物理的・魔術的な干渉を徹底的に拒絶する障壁。最大の障害をそのまま拘束しようと結界内に閉じ込める。
「づっ――!?」
突如、魔女の背中に感じた衝撃。
背後には、剣を振り下ろしたエイブラハムがいた。結界が閉じるまでのわずかな隙間で、かつ黒い壁で視界が遮られたことを利用して虚を突く一閃。だが、――
斬りつけた刃は、甲高い金属音をあげて中程から折れた。まるで鋼鉄に力任せに打ち付けたかのように芯の部分から破損する。
予想以上の出来事に騎士が距離を取る。
本来の太刀筋なら、振り下ろした刃を返し相手の足の腱を切り落とし、崩れたところで追撃の刺突か首を刎ねるが、魔女の背からは出血すらなく、剣のほうが打ち負ける結果となった。
「思った以上に硬いな。名剣の一振りがこのざまとは」
「ちっ・・・・・・。白騎士とは違ったバケモノめ・・・・・・」
エイブラハム側から距離をとったことはホーリーホックにとっては僥倖だった。
魔女の仕組んだ最後の手段だけはまだ使いたくない。後数回打ち合えば種が割れることは明白であり、計画の最後で頓挫することは許されない。
一撃の爆殺を目論んだ拳ですら致命傷にならない圧倒的な防御性能を誇る白騎士ウィリアムに対し、洗練された精密かつ速く重さのある剣戟を放つ黒騎士エイブラハム。騎士の双璧の脅威は、『瞬獄』のホムラの比ではない。
「――おい、エイブ。横取りは許さねぇぜ。こいつはオレのだ」
爆発の影響で上半身があらわになったウィリアムが近づく。
筋骨隆々の黒い肌。女の胴回りほどある太い腕。そして、ファブニールやホーリーホックの攻撃を受けても、ダメージが微塵も見られない。
「そういう競争心は捨てろ、ウィリアム。これは有事だ。事態の収束こそが最大の優先事項だぞ。だいたいお前は――」
「説教すんな。いいからお前はあのトカゲでも殺してこい」
「やれやれ・・・・・・。いつになったら大人になるんだ、お前は」
踵を返す黒騎士。竜殺しがファブニールに向かおうとしている。そうなれば、魔女の計画は確実に破綻する。それだけはあってはならない。
「行かせる――」
「行かせるんだよ。オレのマントを燃やしたんだ。付き合ってもらうぜ、お嬢ちゃん」
魔女の前に立ちはだかる黒い壁。黒肌の巨躯が腕を広げる。その違和感に、思わずホーリーホックの足が止まった。
「身体が、・・・・・・大きくなってる」
「ああ、男の子ってのはいつだって成長期だからな。よそ見してると、喰っちまうぜ!!」
魔女の視界から黒い壁が消える。刹那、視界の下からせり上がる圧力に後ろに飛ぶ。
「お返しだ! ――『ドラゴン・ストライク』――!!」
流星の如く疾走する。ウィリアムの体内で循環し、加速したマナが全身の筋肉に浸透した。振り抜く拳はまさしく竜の一閃と化す。
「ぐっ――!!」
それを、とっさに右腕で受け止める。ファブニールに流そうとしていた魔力を総動員して身体を強化した。そうでなければ、この一撃で致命傷になると判断したからに他ならない。
右腕に受けた衝撃は緩和することなく、魔女の身体が絶壁に叩きつけられる。
「まだまだ! ――『ドラゴン・ストライク』――!!」
間髪入れず追撃の飛び蹴りが襲う。常人を逸した威力に渓谷が崩れだした。
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「――さて、では竜狩りの授業を開始しようか」
リリィの弾幕によって行動を制限されているファブニールに近寄る白騎士。腰に仕舞っている二連式信号拳銃を抜き、空に向けてトリガーを引くと――赤と白の彩光弾が渓谷の上へと伸びていく。
しばらくすると、豪雨のように放たれていた弾幕が止み、全身を傷付きながらも長い首を持ち上げたファブニールが咆哮した。
それは、好き勝手攻撃を繰り出していたリリィ=ルン=ルン=ギュンスターへの怒りか。
それとも、目の前に立つエイブラハム=ヴァン=ペンドラゴンへの本能からの恐れか。
「よく吠えるな、ファブニール。気が済んだか。思い残すことはないか。哀しき竜よ。貴公の旅は、ここで終わりだ」
一歩、前へ歩み寄る白騎士。対し、巨大な身体のトカゲが一歩、下がった。
「お前たちも見ておけ。いつだって私がいるわけではない。私だって、いつ何時でも、竜に勝てるわけではない。世代の移り変わりは残酷だ。だからこそ、その眼でよく見ておくことだ」
エイブラハムに促され、崩れ落ちた石橋の上に、――王立聖家1位・ナターシャ=マクガフィン、騎士教団1位・ジェノム=フェルト=ペンドラゴン、騎士教団3位・ジャンヌ=ジェンヌ=マルタ、拝水教団の神憑り・アユーニャ=D=フォースが立っていた。
「父様、新しい剣です」
「よい。これだけの長さがあれば十分だ。この規模なら、祝福のない剣は木の枝と変わらん」
エイブラハムは娘が弟から受け取った剣を突っ返し、中程から折れた剣の柄を力強く握る。
「わずかにマナが漏れているな。先程の大技でマナ吸いが緩んだか。余波まではカバーしきれん。各自、自分の身は自分で対処しろ」
巨大なファブニールの前に立つ一人の男。竜から見れば、吹けば飛ぶような小ささ、踏めば潰れるような脆弱さ。
けれど、その背中は消して小さくない。全身を包むその闘志は、身体の大きさを錯覚させるほどの凄みがある。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」
渓谷に、威嚇の咆哮が木霊した。
それよりも――速く。邪竜の前腕に太刀筋が通る。腐臭の混ざる血しぶきが散った。
重く――歪に再生していた翼の1つが切断される。斬撃が硬い鱗を両断した。
鋭く――わずかに捉えた関節の間を刃が断つ。重い身体を支えていた後ろ脚が崩れ、巨大な身体が倒れ込んだ。
邪竜とて、やすやすと竜殺しを許しはしない。
小さく捉えきれない男の行動を面で抑えようと周囲に黒炎を吐いた。全身の傷口から吹き出る触れれば毒となる血を撒き散らして牽制する。
追撃を図ろうとしているエイブラハムに対するカウンターは、進む先どころか退路も塞いだ。
その範囲は、数十メートルにも達し、たとえ加護や祝福があろうと、逃れることのできない死の檻となる。
それが竜殺しの最高峰である『黒』の騎士であろうと変わりはない。彼が打ち破ってきた竜の中でも、目の前の大邪竜ははるか上の位に君臨する。
けれど、この場に立つのは彼一人ではない。
「――『彼方の荒神』――!!」
「――べシュロイニグング、フルクラム、――ヴィレンスクラフト――!!」
アユーニャの左眼の魔法陣が加速する。
ナターシャの周囲に黒い光の粒子が飛び回る。
その後に出現したのは、ファブニールほどの巨大な水神と無数もの岩の檻――ファブニールが吐いた炎を消す洪水と血の霧を遮る『岩檻』の猛襲だった。
「――見事だ」
こじ開けられた今際の隙間から、黒い影が疾走した。ファブニールの七つある複眼のうち四つを刹那で潰す。邪竜の恩讐を込めた咆哮を、『彼方の荒神』が抑えつけて反撃の初動を抑制した。
『三ツ子島』のほぼ全域に達するマナ吸いの驚異は、レベッカとマグライトによる一撃でほころびが生まれていた。
大きく傷ついたファブニールの欠損した尾からは、蓄えていた高濃度のマナが漏洩している。並大抵な魔法少女ならば、濃度が高すぎるマナを魔炉で代謝できずに意識障害などが発生するが、王立聖家であるナターシャはそれをものとせずに乗りこなした。
水神の祝福を受けるアユーニャには、そもそも大気のマナに依存することはない。レベッカが初めにホーリーホックとファブニールと邂逅した際に彼女を救助したカガリ=グレンも同様であり、マナが枯渇している空間でも神憑りとしての権能を行使した。
その中で、――修復されつつある邪竜の弱点を覆う鱗に、再び亀裂が入る。
「ッ――!?」
竜殺しにおいて、コアの破壊は必要絶対条件である。それをなくして討伐はありえない。エイブラハムの刃はファブニールのいかなるところにも鋭く斬り裂いてきたが、コアを守る鱗に阻まれ、刀身が砕け散る。ヒビの入っていた鱗が変色し、すべての傷が高速で修復していく。
この時のファブニールは、全身に張りめぐされたマナをコア周辺に凝集していた。そのため、それ以外の箇所の防御能力が著しく低下している。マナが漏れ続ける尾の修復もすることなく、コアだけを守って反撃ないし逃走の機会を伺っている。
その兆しが、白騎士の剣が破損したことで芽を出した。
ファブニールの体表が急速に温度を上げていく。覆いかぶさっていた水神が、その熱により蒸気を上げた。鱗の修復が終わったことで、全身の筋肉へと血流とともにマナを加速させる。血とマナを流れる尾の傷も、筋肉の収縮により止血すら成し遂げ――
――巨大な光の剣が、邪竜の胴体を貫いた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ・・・・・・」
空間を震わせる――邪竜の断末魔。
強固な鱗ごとコアを粉砕したのは、――王立聖家4位のアリアーナ=グランディーバの『絶剣・狼』。膨大な熱エネルギーの圧縮を打ち出したのは、――同じく王立聖家3位のリリィ=ルン=ルン=ギュンスター。
リリィのペアであるエリザベスが両手の指にはめていた指輪は、超高濃度に圧縮された魔力の結晶。それを五つ消費し、アリアーナが錬成した光の大剣を、リリィが超速で射出したことで必殺の矢となる。
火の魔法の凝集体である熱エネルギー。崖の上より落下させたことによる位置エネルギー。それらが強大な運動エネルギーとなる特別な条件が重なることで、ファブニールの気をエイブラハムと水神に逸したことで成立した強襲は、光の墓標となって完結した。
その衝撃の余波に紛れ、――白騎士ウィリアムの猛襲を受けていたホーリーホックが戦場から身を消した。




