31.黒き影のホーリーホック
「――『雷鳳衝』――!」
仮面を女――ホーリーホックが向けた手の先には、走って逃げるレベッカの後ろ姿があった。首から掛けたペンダントが怪しく光り、それに呼応してホーリーホックの右手に魔力が収束する。
帯電する黒い魔力。魔法を使えなくなってしまったレベッカを余所に、仮面の魔女は否応なしに錬成された光弾を解き放った。
「――あっぶない」
咄嗟に身の丈ほどの岩陰に身を隠し、レベッカは難を逃れた。が、ホーリーホックから放たれた黒い光弾はレベッカが進んでいた先の地面をえぐり飛ばし、圧倒的威力を見せつける。
「いい反応だ。だが、その程度の岩は、果たして隠れるに値するかな」
再び練られる雷の魔法。岩陰に隠れているレベッカでも、その程度のことなら理解できる。このまま一方的に魔法を使われれば、目の前で見せつけられた威力なら、きっと身を隠している岩ごと粉砕されだろう。しかし、今の彼女にはそれに対応できるだけの手段はない。
――どうする。どうする。どうする。
レベッカの中で焦りだけが積み上がる。肌を刺す魔力の殺意。戦略も戦術もない圧倒的悪条件の中、彼女の出せる手立ては完全に尽きていた。
「――『雷鳳衝』――!」
放たれる雷の光弾。ホーリーホックの手から離れれば、おそらく瞬きの猶予もない。空気を焼く轟音と粉塵、肌に感じる高温に、
「あれ。生きてる・・・・・・?」
レベッカが背後を見れば、身体を隠していた岩も健在で、けれど、周囲にはチリチリと火の粉が舞い、黒煙が立ち込めていた。
「――間に合ってよかった。助けに来たよ、レベッカ」
聞き覚えのある、可憐な声。岩場の影から顔を出せば、見覚えのある毛先の黒い赤毛の長髪が見えた。
「カ、カガリ!? ここで何をしてるの!?」
「それはこっちのセリフだ。けど、《《周囲のマナが消えた》》理由はわかった」
カガリ=グレンの小さな身体が、仮面の女と巨大な竜の前に立ちはだかる。
「私の『雷鳳衝』を相殺したか。マナがない状態でよくやる。だが、次はどうかな」
ホーリーホックのペンダントが再度輝く。先程の雷魔法とは違い、背後に四つの渦が形成された。それぞれが外側に回転する渦は――次第に圧縮されて火花を散らす。
「――『心象闊歩、火の素の御影の畔、輪廻円環転生具象』――」
「――『我叡智の燈明を灯し者、汝豪腕四臂の大具足』――」
「――『賢人の金剛と成て、大公位の采配を見よ』――!」
カガリの左目に円形の紋様が浮かび、詠唱に共鳴するように出現したのは、業火の如く燃え盛る何か。何かの背中にも見えるそれは、――《《四本の腕》》を上げ、威風堂々と佇んでいる。炎が象る姿は大猩々のそれであるが、四本の腕という異形の姿であった。
「その左目、火神の徒と『炎獣』、だな。竜の"マナ喰い"の中でも独立して顕現させるとは恐れ入る。ならば、この砲弾で消し飛ばしてやる」
対するは、高速回転を続ける渦。空気を圧縮し、一定方向に加速させ続けてエネルギーを放出させる。火花を散らすのは、空気中に含まれる電荷を持った粒子。磁場の影響すら無にするほどの荷電粒子は、接触による射出の時を待っていた。
「撃鉄は上げた。距離は十分。加速は十二分。わざわざ私が出るまでもないと思っていたが、お前のような者が予選にいたとなれば、どうやら賭けは私の勝ちのようだ。あとは、竜の巫女と成りえるか見てみよう」
挙げられる魔女の右腕。それが振り下ろされる時、すべてを焼き払う弾丸は空気の壁を引き裂き襲来するだろう。
腕が振り下ろされる直前、対峙する金剛の身体が倍ほどに膨れ上がった。
轟音と熱風。渦同士の接触より射出された荷電粒子は、励起によりまばゆい発光を伴いながら、触れたものを対消滅へと誘う。その影響で着弾地点の足場は吹き飛ばされ、傍を流れる川の水は余波で蒸発して水蒸気と土煙が舞い上がる。圧倒的な魔法の前に、異形な炎の獣の姿は消失した。
「ン゛ッン゛ーン゛ッン゛ーッ!!」
――かに思われた。
仮面の魔女の傍で再び顕現した炎獣の拳が振り下ろされる。咄嗟に左腕で受け止めたホーリーホックであったが、竜の上から殴り飛ばされた。
「ちっ、炎のくせに質量が――」
地面に叩きつけられながらも素早く体勢を立て直したホーリーホックの前に、四腕の獣が進撃する。
炎熱にして豪腕の獣、大猩々の姿を模した炎の賢人――『炎猩』。先に顕現させた『炎鳥』は直線方向を焼き払う範囲効果を持つが、『炎猩』は炎が持つ熱エネルギーを質量に変換する性質を持つ。その威力は一撃で岩盤すら砕く。それが四つの腕から振り下ろされる。
「ン゛ッン゛ー!!」
雄叫びにも聞こえる空気の振動。連撃に次ぐ連撃。人の倍ある攻撃手段に、仮面の魔女は防戦に徹し、首から掛けたペンダントが僅かに光った。『炎猩』の頭上に、再び圧縮された空気の渦が展開された。
「させるか!」
無詠唱解号破棄で出現した二尾の獣――猫を象った、二番目の『炎獣・炎猫』。荷電粒子を射出しようと加速する間に接近し、体当たりで妨害して術式そのものを破壊する。魔力エネルギーを固めただけの即席の獣の弾丸だが、熱量こそ十分であり、撒き散らされる魔力の残渣に熱が乗り、離れていたレベッカの肌を赤くした。
「あちっ、あちっ!?」
「もっと離れて、レベッカ。まだまだ熱くなるよ・・・・・・!」
カガリの言葉の終わりに、『炎猩』の身体が大きくなる。高まるエネルギーがより強力な一撃となるために膨張し、力を込めた腕が太くなり、2つある右腕を同時に振りかぶった。
重なる拳は、もはや砲弾と化す。致命傷を避け続けてきた仮面の魔女だが、その一撃は9つある『炎獣』の型の中でも、トップクラスの破壊力を持つ。練り上げた魔力は、溶解炉のように燃え上がり、練度を自走して高める。動けば動くほど上昇するエネルギーが『炎猩』の性質であった。だからこそ、この拳を止める手立ては、人の力では不可能である。
人の力では、――
「■■■■■■■■ッ!」
バクン、と。『炎猩』の拳がホーリーホックに触れる直前。巨大な顎が襲いかかる。
静観していた巨大な竜によって一呑にされ、肌を焼くほどの熱量が一瞬にして消失した。
「そんな、・・・・・・」
反撃の隙を与えず押し切ろうとしていただけに、窮地を救った竜をさする仮面の魔女にカガリが嘆く。衣服に付いた煤や土埃を払う魔女だが、左腕だけが力なくぶら下がる。
「やれやれ。驚かされるな、火神の徒。だが、手綱を持つのはお前だけじゃない。いかに卓越した神懸かりの化身であろうと、竜の"マナ喰い"の前では補給食に過ぎん。おかげで、時間が短縮された」
竜の体が脈動する。全身を丸めたかと思えば、分厚い鱗にヒビが入り、次第に割れ始める。
あまりの出来事にレベッカが口を抑えた。驚きからではなく、恐れから。体験したことのない出来事に吐き気がでる。サラの屍体を見た時に吐き散らかしてもなお、胃液がこみ上げる。それほどの恐怖と死の気配。竜の変化を目の当たりにし、身体が硬直した。
「カカ、かかかカガリ!? やばやばやばばばいよ!」
「逃げるよ、レベッカ!」
足の裏が地面に吸い付かれるような恐怖を拭い、踵を返したカガリがレベッカの手を引いて走り出す。竜は、事もあろうにこの場で脱皮をしようとしてる。不意打ちとはいえ、『炎獣』を屠る驚異が動かない今しか、逃げるタイミングはない。脱皮とは変異、――性質の変態にある。脱皮が完了すれば、今以上の恐怖の風船はいつ破裂するかわからない。
「逃がすと思うか、クーゲルス。竜の巫女でないのなら、お前たちの最期はここだ」
ホーリーホックが口にしたとおり、竜には周囲のマナを際限なく取り込む吸魔現象――"マナ喰い"がある。その性質を持つ竜は大型種に限られ、翼竜のような小型種にはない。
邪竜の冠を持つ、レベッカとカガリの前にいるファブニール種は、大陸では淘汰されつつある絶滅対象種であり、存在するだけで災害を起こす――"竜災"の原因となる竜種であった。
周囲の令嬢たちの魔法行使が妨害され、ドレスアップも強制解除させられた原因はこの竜災にあり、その存在を知覚できたのは、渓谷に吸い込まれていく姿を視認していたリリィ=ルン=ルン=ギュンスターとエリザベス=サマンサ、そして、ファブニールに以前遭遇した経験のあるマグライト=ドグライト=メーガスだけである。
「痛ぅ――」
カガリが焼きごてを押し付けられたかのように熱い左目を抑える。出力を上げていた『炎猩』が強制的に消失しただけに、術者への反動をゼロにすることはできなかった。カガリが消費した『炎獣』の核は3つ。1つ目の回復もマナがない以上、期待できない。これより先の領域は到達したことがなく、自身に掛かる負担の大きさは想像の範囲を超えていた。
――使えてもあと一度、今のうちに・・・・・・
カガリのその気持ちを裏切るように、古い皮から新生した竜の産声が響く。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッ!!」
空気を揺らす雄叫び。耳を塞ぎたくなるほどの轟音。赤黒い鱗の隙間から蒸気が上がり、生理的嫌悪感を覚えるほど複眼と禍々しく鋭い鉤爪、ガサガサとなる翼、長い首から垂れ下がる無数の触角が揺れている。巨大な口から垂れるよだれが落ちると、腐臭とともに地面が溶けた。
「成体化が早すぎる・・・・・・。レベッカ、うちだけ先に逃げていいか?」
「は、薄情者ッー!!」
冷や汗か脂汗かわからないほど、2人の額に汗が浮かぶ。いくら走ろうと、脱皮を終えたファブニールから吹き荒れるプレッシャーのせいか、遠くなっていく気がしれない。
「いい魔力にありつけたようだな。私の想定よりも21ポイントも巻いてる。補給が終われば、聖都に向かうぞ」
ファブニールの口から蒸気が吹き出る。鋭い牙の隙間から、赤く輝く熱気がこぼれた。
「やっば・・・・・・! レベッカ、そのまま走って! 絶対止まらないで!」
カガリが足を止め、ファブニールに正対する。
「――『心象闊歩、火の素の御影の畔、輪廻円環転生具象』――」
「――『我叡智の燈明を灯し者、汝七眼の獣の大主となりて』――」
カガリの人生で、初めて竜と相まみえても、数秒先の出来事ぐらい知見できる。この距離は安全圏ではないと、彼女の直感が告げた。
「ほう。竜の息吹に立ち向かうとは、神懸かりは難儀だな」
「――『山河を統べる王の従者よ、金色世界の堰堤となれ』――!」
カガリの前に現れたのは、珠のように丸い炎の塊。その中に、七つの目が宿る。
「火力勝負だ、火神の徒。私の子の息吹は、ちょっと熱いぞ」
ファブニールが咆哮する。それと同時に、業火を吐き出した。対するカガリの炎――七つの目を持つ熊を模した『炎羆』が両腕を広げ、正面から竜の息吹を受け止める。
「づっ――痛っ――!!」
カガリの左目に激痛が生じた。目の周りの皮膚は真っ赤になり、あまりの熱にただれだす。痛みから、あるいは魔力による障害か、カガリの視界が徐々に霞む。けれど、最大級の障壁として展開した『炎羆』が突破されれば、カガリは疎か、レベッカの身も危険になる。それだけが、火神の祝福を受けた少女の糧となる。
「づ――あ゛あ゛あ゛ぁぁぁあああ!!」
『炎羆』が弾ける。破裂した衝撃で、突風がカガリの小さな身体を吹き飛ばした。
マナをファブニールに奪われ続けた圧倒的不利な状況で、三度消費した『炎獣』のコアを回復できなかったカガリの左目は、もはや活動限界を超えていた。
彼女は、優良な魔法の才を持たない。ただ、神に愛されただけの少女だった。だからこそ、炎の神の権能を最大限に行使するだけの才も持たない。その中で、無理やり発動した『炎羆』は、ファブニールの息吹に圧され、飲み込まれる刹那、魔力の塊となった炎の壁を破裂させてた。それにより、迫りくる業火を弾けた魔力の暴風で押し返し、さらに自身の身体を吹き飛ばすことで距離を取る。これで、炎に焼かれることからは回避された。
けれど、人の身を数十メートル吹き飛ばされる衝撃。そのまま地面に叩きつけられれば無傷では済まない。
「っと、間に合った」
カガリの身体が地面に落ちる直前、レベッカが落下地点に入り込み、カガリを受け止める。勢いでレベッカも倒れてしまったが、擦り傷程度まで軽減された。
「なん、で。戻って、きた・・・・・・」
「私を薄情者にしないでよ。助けに来てくれた人を置いては逃げれないわ」
「カガリ! レベッカ! 早く起きて!!」
倒れ込んでいるレベッカとカガリの元に、物陰に隠れていたフェイ=ファイ=ヴァレンタインが駆け寄る。
「フェイ、も。なんで出てきたのさ」
「うううううるさい。あんたが死んだら、どうやって翼竜の群れの中で生き抜くってのよ!」
「御三方、早くこちらへ!」
少し離れたところで修道服姿のネクロフィアが崖の上でロープを支えていた。カガリの指示で隠れていた2人だが、居ても立っても居られなくなったようだった。
「やれやれ、次から次へと。魔法も使えない連中が竜の前に出るとは、もしや自殺志願者かな」
ホーリーホックが右腕を上げる。その上には、先程展開した加速された荷電粒子の砲弾。ファブニールが蓄えたマナの消費を抑えるため、仮面の魔女が直々に引導を渡そうと鎌首を構えた。
「ここまでのようだな、クーゲルス諸君。これ以上は無用の長物だ。終いに――」
渓谷に――乾いた銃声が木霊した。仮面の魔女が、額に受けた衝撃で倒れ込む。ゆっくりと起き上がり、事態を確認しようと周囲を見渡した。カランと、割れた仮面が地面に落ちる。
「そこまでだ。これ以上は、ワタシが許さない」
全身を赤い外套に包んだ、拳銃と大剣を携えて大魔女が、仮面の割れた魔女と魔法少女たちの間に割り込んだ。




