17.ブリスクな空に
「・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙が続く。エウレカ=ヘイマーディンガーの工房までレベッカを迎えに来たマリアーノではあったが、彼女は執務に忠実であり、必要事項以外でほとんどレベッカと会話をしたことがない。マグライトの傍らで静かに佇み、主の言葉よりも先に動くタイプの人間で、何事にも先回りして行動する。
そんな超絶メイドの相手、レベッカは苦手だった。苦痛ともいえる。
レント=ソイズならば、空気を柔らかくする独特な性格からか、レベッカも心を開きやすかった。レベッカ自体、別に人見知りではない。けれど、マリアーノとの会話が成立しないことが数度あり、ついには心が折れて挑戦することすら諦めていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・何でしょうか」
「へ?」
「先程から、何か言いたそうでしたので。私が答えられることであれば」
「いやぁ。あなたに聞くようなことじゃないんだけどね」
奥歯に物が挟まったような言い方ではあるが、レベッカには確認したいことがあった。彼女としては、些細な気持ちから。そして、第2予選のペアとなったムラサキ=ブシキの言葉が気になったから。
第1予選の時、第5ピリオド開始前からあったマグライトの怪我は、何だったのだろうか、と。そのことを昨晩訪ねた際の、マグライトの冷たい表情が、レベッカの心に僅かな違和感を残していた。
「マグライトとホムラ様のことなんだけど。なんだかんだ半年もの間マグライトと一緒にいたけど、私って何も知らないんだなって思って」
レベッカを先導して『寄宿城』を目指していたマリアーノの歩く速度が停止する。ゆっくりとレベッカの方へ振り向き、その際のマリアーノの表情を見て、再びレベッカの心がズキリと痛んだ。
――そっくりだ。昨日のマグライトと。
「・・・・・・きっと、マグライト様はこのような表情をしていらっしゃったと推察します」
一瞬だけ、あえて昨晩のマグライトと同じ表情をしてみせたマリアーノの顔は、すでにいつも通りの『無表情』へと戻っていた。感情のない、人形のような顔。冷たい表情でも、レベッカにとって見慣れたものだったからか、瞳から光が消えたような、悔しさとも怒りとも取れる表情が、より一層レベッカの心に残る。
「マグライト様はおそらく意識していなかったかと拝察致します。あの会場で何があったかは私は存じ上げませんが、お二人の仲は最悪だということは確かでございます」
「サラッと言うわね・・・・・・」
「ですが、お互いに思惑はあると思われますが、どちらもメーガス家には欠かせない人材であることは間違いありません。それ故に、単純にマグライト様が出し抜かれた、それを詮索されたことが悔しかった。無意識下だったはずですが、それがはばからずとも顔に出てしまった、だけかと」
「だけ?」
「はい。だけ、です。その程度です。ですので、レベッカ様がお気に病むことではございません。精進が必要なのは、マグライト様の方ですから」
淡々とした言葉ではあったが、レベッカが心の中でマリアーノの言葉を反芻する。自らの好奇心が、マグライトの遺憾を刺激した。その事が、マグライトの裡に秘めたものが表面化してしまった。
「あなた、意外と言うわね」
「主を肯定することだけが使用人の仕事ではございません。時として否定し、正すことも求められます。マグライト様が横暴かつ独善的ならば、私するべきことは去るか刺すしか残されません」
「・・・・・・案外、グイグイね」
「もちろん、その際は書面にまとめ、メーガス家の印璽を押し、本人の前で正当に宣告した後、です。正面から堂々とが私の信条ですので」
マリアーノが一歩、レベッカに近付く。その表情は、その視線は、何よりも力がある。
「私からレベッカ様にマグライト様の恥部をお伝えできることはございません。ですが、行動するのは貴女様の意思でございます。そして、正すことも、過つことも、貴女様の選択です。どれを選択しても、矜持こそが、レベッカ様を示すもの。次の第2予選も、遠慮をすれば命取りでございます。マグライト様ほどの厚顔無知になれとは申しませんが、レベッカ様らしさを持たれてみてはいかがでしょうか」
――らしさ。私らしさ。私らしさって、なんだろう。
自己の裡で思考を回転させる。何度も、何度も、反芻させた。自分らしさと改めて問われると、人は案外即答できないもの。それを、あえて問いかけることが、自己を見つめ直すきっかけとなる。
だからこそ、マリアーノはレベッカに問いかける。それが、彼女自身の矜持を守ることになると知っていたから。
「ありがとう、マリア。どう転がるかはわからないけど、少しスッキリしたわ」
「参考に成られたのなら幸いでございます。では、『寄宿城』へ参りましょう」
マリアーノが踵を返し、先導を再開した。心が少し晴れたレベッカの表情は明るく、ある覚悟を決めていた。
――後は、マグライト様だけ。どうなるでしょうか。
マリアーノが心で唱える。昨晩の帰路、表情の暗い主の様子を、真っ先に指摘し、その心中を知る。第1予選から何かを隠しているとは想像はしていたが、事態はまだマリアーノの想定内ではあった。
「――悔しかったのですね」
「何を言うの、ワタクシがそんな顔をしているように見えて!?」
マリアーノが問いかけた時、マグライト自信はそれが悔しさということを認識していなかった。いや、認めたくなかっただけかもしれない。わざわざ声を荒らげたのがその証拠だと、あえて主に追い打ちをかける。
「みっともない。この程度で揺れるのは、マグライト様らしくない」
「あなたに何がわかるっていうの、マリア」
「その苛立ちを、レベッカ様や私に向けていることこそです。認める認めないは勝手ですが、その姿のままレベッカ様の『小隊』に加わるのでしたら、滑稽以外の何物でもありません」
「あなたまでワタクシに説教をするの。いやですわ」
「説教でも説法でもどちらでもいいのです。私から言えることは、らしくないということだけですので」
「・・・・・・ふん。そんなこと、ワタクシが一番わかっていましてよ」
二人の物々しい雰囲気に、レントが気まずそうに追従する。楽しい社交界を終えた直後だっただけに、主の心情を察せなかったと自己嫌悪になる。
「レント、あなたは職務を全うしています。マグライト様のメンテナンスは私の仕事、気に病むことはないです」
「マリア、ワタクシを技工扱いするのはやめなさい!」
昨晩のことを思っても、マリアーノにできる手助けはもうない。彼女がそれをわきまえている以上、でしゃばることはない。あとは、当の本人たちの問題。それを見守ることも、使用人の仕事であると自負している。
「――用事はもういいのかな、レベッカさん」
「勝手に待っていたんだから、待たせたなんて言わないわよ。何の用なの、ムラサキ」
「つれないな。ペアなんだから、お互いのことを知りたいと思うのは自然ではなくて?」
「別に。勝ちさえすれいいもの。深い仲にはなりたくないわ」
顔を合わせて早々に悪態をつくレベッカだが、彼女がムラサキに心を許す道理がなかった。
「まだ警戒しているんだね、レベッカさん。まあいいけど。要件は誰を『小隊』に加えるかが知りたかったからだよ。アテはついた?」
「ええ。ジェノムの助言通り、マグライトに依頼したわ。快諾よ」
「なら良かった。あちらさんはボクがペアだと知っているのかな?」
「もちろ、・・・・・・あれ。話ししたかな?」
不安になったレベッカがマリアーノの顔を見る。筆頭メイドは首を横に振り、それを理解したムラサキがため息を漏らした。
「不安だなぁ。そこの話をつけるのが一番先では?」
「人に任せたあんたがなんでそこを心配するのよ。あの女なら誰がペアでも問題ないでしょう」
――数時間後、レベッカの自室にて。
「なんで!? なんでこの小娘がペアなんですの!?」
珍しく取り乱したマグライトに、ニヤつくムラサキとあっけを取られるレベッカだった。
「謀りましたわね、レベッカ! だから昨日の帰り際にあんなことを聞いたのね!?」
「ちょっと待ちなさいよ! 何のことかさっぱりだけど、ペアを聞かないで快諾したのはあんたの方じゃない!」
「誰も『魂喰い』とペアになると思いつきませんわ! あなたのくじ運の無さには同情を通り越して絶望ですわよ!!」
「マグライト様、お見苦しい限りです」
「うるさいですわよ、マリア! あなたも、彼女が誰かわかっていてワタクシを呼んだの!?」
「左様でございます。彼女の正体と、レベッカ様たちの『小隊』に参加することは別の問題ですので」
達観としたマリアーノの言葉に、ぐぬぬと悔しさを隠せないマグライト。それの中レベッカが踏み込んだ。
「マグライト。昨日の段階で誰がペアか言い忘れていたのは悪かったわ。けど、私とあなたは利害が一致しているし、私とこの子も一致しているわ。勝つためにね。だからこそ、あなたの力が必要なの。私が頼れるのは、認めたくないけどあなたしかいない。だから、改めてもう一度言うわ。私と、ムラサキのペアに『小隊』として参加して。これは、あなたの計画をすすめるためにも必要になることよ」
マグライトの計画――『赤』の魔女、『瞬獄』のホムラに対する『大魔女降ろし』。その詳細こそはマグライトの裡にしかないが、彼女はそれをするためにレベッカを傀儡としている。なら、レベッカをここで敗退するのを見過ごすことはできない。これは、マグライト自身のためでもあると、レベッカは改めて『小隊』への招集を打診した。
「田舎のタヌキ娘が言うようになったじゃない。――わかりましたわ。ええ、わかりました。今回は、あなたとこの小娘の思惑にのりましてよ。けど、生半可な結果じゃ許しませんわ。『魂喰い』、あなたも心しなさい。あなたが表に出てこれたのなら、ホムライトもそれを了承してのこと。なら、ワタクシは手加減しませんわ。レベッカが信じるなら、レベッカの仲間として扱います。よろしくて?」
「ボクは一向にかまわないよ。人選はレベッカさんに一任しているし、あなたは勝つに値する実力者だ。大丈夫、あなたが信じてくれるなら、あなたの心臓を食べることはない。今のところはね」
「食えない小娘ですこと。マリア、当日まではこの小娘はメーガス家で面倒みますわ。礼装の準備もあるし、連れて行って」
「かしこまりました、マグライト様。ムラサキ様、こちらへ」
滞りなく顔合わせが終了し、マリアーノに連れられムラサキがレベッカの部屋を後にした。残されたレベッカとマグライトだが、先程までと違った雰囲気となった。
――二人っきりは何か気まずいわね。
――気まずいですわ・・・・・・。
はばからずとも、両者似たようなことを考えていた。先程まで勢いで話をしていたが、二人となったことで急激に熱が冷めている。
「あのぅ・・・・・・」
レベッカとマグライトが揃って肩をビクつかせた。二人っきりかと気まずさが漂っていたが、両者ともにある存在を忘れていた。本人も、それを気付いてか気付かないでか、部屋に漂う異様な気まずさは認識している。
「マリアさんほど上手ではございませんが、何かお飲みになられますか?」
レント=ソイズ。緊張感からか、すっぽりと存在が忘れられていた新米メイドが率先してティーポットの準備をしていた。メイドならば率先してするのが筋ではあるが、現状彼女はマリアーノ付きの修行の身であったため、お手伝いの範疇を越えていなかった。
マリアーノは、それを見越し、あえてレントを放置した。彼女の教育と、未だ蟠りでくすぶっている二人のために。
「そ、そうですわね。セルが持ってきた茶葉にしてもらえるかしら」
「かしこまりました、マグライト様」
習ったことを自己で反芻しながら、ゆっくりではあるが丁寧に準備をすすめる。レベッカとマグライトそれぞれお気に入りの白いカップを用意し、お湯を温め、沸騰のタイミングでポットに茶葉を入れ、熱湯を加えてコージーとマットで保温しながら蒸らす。数分後、ポット内の紅茶をひと混ぜし、それぞれのカップに茶ガラを濾しながら注いでいく。最後の一滴まで計算された分量を注ぎ終え、二人の前へとカップを差し出す。
その行程は、マリアーノの傍で何度も見て、執務以外でも練習してきたレントが、初めて自分ひとりで全てを行った。それを、レベッカとマグライトが沈黙して見守る。
先程までの沈黙とは違うもの。そこに気まずさはすでになく、共通してレントの危なっかしさを心配してのもの。現に、レントが持つカップがいつ落としてもおかしくないほどカタカタと揺れていた。
なんとか大惨事になること無く、レベッカとマグライトの前に出された紅茶は、上品ながらも強い香りが特徴で、香りに反して澄んだ明るい水色であり、ゴールデンリングもしっかりと確認できた。セルが厳選した茶葉の質も高いことながら、レントの技術も申し分ない。
マグライトがカップを持ち上げ、ゆっくりと口をつけ、熱々の紅茶でも慣れた様子で一口飲む。目を閉じて舌に感じる味を、鼻腔を抜ける香りを楽しむ。ゆっくりとその一口を堪能したマグライトが目を開いた。
「及第点、ってとこですわね。けど、初めて一人でやったにしては上出来ですわよ、レント」
「あ、ありがとうございます!」
レベッカも後を追うように一口飲む。
「これで『及第点』だなんて、なかなか辛口ね」
「ワタクシの『及第点』は最上級の褒め言葉ですわよ。恥じることのない領域でありながら十分な伸び代がある。ワタクシの最大値は聖都一紅茶を入れるのが上手なマリアですもの。この様子だと、レントもそのうちセルに口説かれるかもしれませんわね」
マグライト以上に紅茶に目がないセルは、隙きあらばマリアーノを自分のメイドにしようと口説いていた。自分の好きなものを、自分のメイド以上に取り扱いが上手いとなれば、喉から手が出るほど欲しくなるもの。レントにその実力まで登れる伸び代があることがわかれば、セルに口説かれる日はそう遠くはない。
その後の会話は特になく、お互いレントの淹れた紅茶を堪能し、飲み終える頃には蟠りはなくなっていた。澄んだ紅茶のように、スッキリとした気持ちとなり、カップを置く音が部屋に響く。
「ごちそうさま、レント。美味しかったわ」
「ありがとうございます、レベッカ様! 緊張しましたぁ」
「茶葉が良くても、淹れる人が下手だと全てを殺しますわ。それを十分活かせれたことは誇らしく思いなさい。ワタクシも、あなたをメイドにできて誇らしくてよ」
「マグライト様が、すごい褒めてくれてる・・・・・・。う、うわぁああああん」
緊張の糸が切れたからか、レントから大粒の涙がこぼした。
「あんた、褒めたことなかったの?」
「そんなことありませんわ! ちょっと、レント。そんなに泣かなくても・・・・・・」
泣くレントに、取り乱すマグライト。それを微笑ましく見れるレベッカ。『寄宿城』のレベッカの自室は、第2予選が近いとは思えないほどの和やかさになっていた。
――明朝。セバスチャンによって各令嬢に第2予選開始日を告げる封書が届けられた。
日時はマグライトの風の噂通り、三日後。集合は第1予選と同じく空中庭園前。
残り短い平穏に、次第に戦いの緊張感が高まっていった。




