8月31日 紫紺
8月31日
紫紺
しこん
#460E44
R:70 G:14 B:68
8月31日 紫紺
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江戸時代において、様々な動植物の品種改良が行われていたことは、意外と知られていない。
しかし、今も盛んに栽培されている園芸種にも、その流れを汲むものが少なくないのである。
朝顔や菊、そして花菖蒲などは、そうしたものの代表的なものと言える。
ここに、花菖蒲の栽培の歴史において欠かすことができない人物として、菖翁と称された松平定朝を挙げる。
江戸幕府の旗本で、松平定勝の四男定実の流れを組む松平織部家6代目の松平織部定寅の長男である。
父の影響で幼い時より花を好み、江戸麻布桜田町の屋敷で晩年まで実に60年もの間、花菖蒲を改良し続けたという。自作の品種は、生涯に300品種近くに及び、それらは江戸系と呼ばれる品種群へ繋がっている。実に菖翁の名に相応しいと言えるだろう。
基本的には門外不出としていたというが、肥後熊本藩主細川斉護は藩士を定朝のもとに弟子入りさせ、いくつかの品種を譲り受けた。そして、それがもとになった肥後系と呼ばれる品種群が知られている。
また、伊勢松阪の紀州藩士吉井定五郎により独自に品種改良されたという伊勢系と呼ばれる品種群もあるが、実際には江戸系の影響を受けたものであるという説が、現在では有力である。
写真は、ハナショウブの花。
紺色がかった紫色という説と、紫色がかった紺色という説の2説あるそうです。
つまり、ムラサキ科ムラサキソウの根である紫根で染めた紫色と、タデ科アイによる藍染で生まれる紺色の、どちらも紫紺と考えられるわけです。
紫紺という色名は、それほど古いものではなく、明治時代以降に登場したようです。