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*騎士・ヨナーリス*



「なんだ、そなた死ぬのか。人になってから死ぬがよい」


 出会った当時、青い目に強い好奇心を浮かべて幼きロゼリア姫はヨナーリスに微笑んだ。



 ヨナーリスは苗字を持たぬ平民で、いや、平民というのも烏滸がましい。元々は山の中に捨てられた孤児、野をかけ獣のように生きていたところを行商人に拾われ見世物小屋に売られた。


 泥の混じった腐った餌を与えられ、殴られて育ちながら、言葉を覚えた。自分が檻の向こうの生き物と同じ人間という種族なのだ、その見世物小屋で火災がありテントや馬車が燃え煙の中で意識が朦朧としている時に気付いた。逃げまどい争う人々は滑稽で、いつも自分を罵倒していた座長や調教係が、自分の体重よりも重いだろう財産を持って行こうとしているのを黙って檻の中から見ていた。


 檻は、なんてことのない木製らしかった。子供の頃に入れられて、頑丈で、これは絶対に壊せないものなのだと思い込んでいた。体が成長しててもヨナーリスは、挑むことさえ諦めていて、しかし檻は崩れて来たテントの柱で簡単に潰れた。


 そうか、出られるのかと朦朧としながら思い、そして逃げた。熱いので逃げた。これで逃げられるとか、そういう理性的な考えがあったのではなく、獣の本能で危険だから逃げたというだけ。そのまま、走って、走って走って、危険ではない場所を探した。


 力尽きた。体からは汗と血と汚物が溢れ、ヨナーリスは路地裏で動かなくなった。ただ、もう殴られることも鞭で打たれることも、熱い鉄を押し付けられることもないのだと、その安心感はあった。空腹だが、森や山と違い、恐ろしい「人間」ばかりいるこの場所ではどうすれば食べ物を手に入れられるのかわからなかった。襲って奪う体力もなく、また、自分が何かすれば殴られるのだという思いから、何かする心が沸かなかった。


「なんだ、そなた死ぬのか」


 動けなくなってどれほど経ったのか、日は高く、周囲には冷たい雪が積もっていた。そのまま埋もれて、全身の感覚が無くなり死にゆくだけであったヨナーリスは、自分の目の前に誰かが立っていることに気が付いた。


 顏を動かすこともできない、ただ目だけを開ける。足が見えた。とても綺麗な、磨かれた長靴を履いて、暖かそうな真っ白い毛皮を纏った子ども。


 こんな子どもでも、檻の中にいた頃にヨナーリスは石を投げつけられたことがある。警戒するように唸り声を上げると、子どもは「おや」と小首を傾げた。


「獣か。毛づくろいをしてくれるつがいもいなかったか。伸びた髪に髭に爪。伸びすぎた爪は丸くなっておるな。ははっ。獣と扱われれば、そのようにもなろう」


 ヨナーリスは唸り続ける。子どもはコロコロと喉を鳴らせて笑い、汚物と血で汚れたヨナーリスに触れた。びくり、と体を強張らせる。殴られる。髪を掴まれる。そのどちらかかと、痛みを想像したけれど、小さな柔らかい手は、ヨナーリスの頭を撫でただけだった。


「このまま野たれ死ぬのも良いが、人になってから死ね。鳥が鳥として生まれたからには空を飛べるように、魚が水を泳げるように、人として生まれたからには、人の世を楽しむと良い」


 言われた言葉の意味はわからなかった。ただ殴られないことを戸惑っていると、子どもの青い目が細められた。








「なぜ、私を助けたのです?」


 それから三年。ヨナーリスは子どもに連れられ、見たこともない大きくて美しい建物の中で暮らした。言葉を教える師がつき、子供のいう「人らしい生活」が送れるように、礼儀作法も身に着けた。そうして分別が付いてくると、自分を助けた子どもはどうやら、王族というもので、そして子どもは皇女という身分なのだと理解した。


 浮浪者であったヨナーリスに顔を顰める者は今でもいるが、ゼラスという魔法使いの「身だしなみをちゃんとして言葉使いを正しくすれば、強い偏見を持つアホ以外は挨拶くらいしてくれる」と言う言葉の通りだった。


 皇女は時折、ヨナーリスの様子を見に来る。決まって、顏や体のどこかに殴られたような痣があった。理由を聞くと微笑んで答えてはくれない。王族と言う、最も人間の良い場所にいる皇女が獣のように扱われているのかと不思議だった。


「ヨナ、知っておるか」

「何をでございましょう」

「獣は死にたい、とは思わぬのだ。どれほど痛い思いをしようと苦しもうと、痛みや恐ろしさに黙って耐えて過ぎ去るのを待つ。が、人は違う」


 皇女は言う。


 死にたい、と思う心は人間だけが持つのだという。

 辛くて痛くて苦しい、死にたい。死んでしまいたい。


「あの時のそなたは、そのまま死ぬだろう生き物であったが、自分が、人なら「死んでしまいたい」と思うほど辛い目にあっているのに、そうは思っていなかった。人が絶望ゆえに諦めるものとも違う。ただそなたは獣であるゆえに、人のように死を願うことを知らなかった―――だから、癪でな」


 皇女は青い瞳を美しく揺らして微笑んでいた。

 彼女は今日、左腕が折られ顏の半分が腫れ片目が潰れていた。髪は長くすると掴まれ引きずられるからと、男のように短くしていた。


 酷い怪我だが、明日になれば元通りになる。王族であるので、腕の良い治療師や魔術師から治療を受けることができる。治るから。また、殴られる。


「私に何か、殿下のために出来る事はございませんか」

「ない」


 はっきりと、皇女はヨナーリスを拒絶する。


 拾われ、世話をされ、身分を与えられた。てっきり周囲は、ヨナーリスを皇女の下僕か何かにするためだろうと考えそれなりの教育がされたのだが、皇女は自分の側に置く事を許さなかった。


 自分がいれば、皇女を何かから守れるのではないか。


 そんな心が、ヨナーリスに沸く。


「慢心するな」


 それを皇女がぴしゃりと冷水を浴びせるように押しとどめる。


「人になったそなたは、私にとっては庇護すべき対象。鳥が空を飛ぶように、魚が水を泳ぐように、王族とは民を守るものであり、守られることはない」

「では騎士になります」

「は?」

「可憐な姫君には、騎士がつくと本に書いてありました」


 騎士とは王と共に戦う剣。王を守ることは……民を守る王を守ることは、民を守ることと同じではないかと、ヨナーリスは続けた。


 突然の発言に、皇女は驚いたように青い目を見開いていたが、やがて顔をぐしゃり、と歪めて、両手で覆った。


「愚か者め。お伽噺を真にうけおって」

「お伽噺は教訓であることが多いと、ゼラス殿がおっしゃっておりました。私は、姫君をお守りする騎士になります」

「ばかなやつだ」


 手で顏を覆ったまま、皇女が呆れるように呟いた。その震える肩に触れたいと思ったが、自分の身分では許さないことをヨナーリスは知ってしまっている。


 暫くの沈黙の後、皇女は顔を上げた。いつも通りの貌である。


「お伽噺では、騎士は、魔女を倒すものだな。国を脅かす、悪い魔女を討ってくれる」

「はい」


 ヨナーリスはこの時、皇女が言う魔女とは彼女の母親であると考えた。自分の娘を獣のように扱う女だと、ゼラスから聞いていた。


「騎士になったら、いつか、魔女を倒してくれるか」


 ぎゅっと、皇女がヨナーリスの服を掴んだ。


 その時初めて、皇女は幼い少女の顏をした。いつもの王族という、自分が何か化け物でなければならないという思いつめた顏ではなく、すがるように、年相応の幼い童女のような、どこか祈るような、縋るような顏だった。


 自分は体が大きな大人で、男で、そうか。自分は彼女に助けを求められることが、できるのかと、その時に、ヨナーリスは気付いた。


「はい。必ず。はい、殿下」


 力強く頷いて、ヨナーリスは皇女の手を両手で握りしめる。


 青い瞳を嬉しそうに輝かせて、皇女は「そうか」と微笑んだ。


 





 



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