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それでいいのか、まぁ、いいんだろう



 実は私は、公爵夫人を母親と思うことにためらいがあった。


 というか、まぁ、明らかに私の所為で不幸な目にあっているご婦人に、今生の自分の母親認定をしてしまうのは如何なものかと良心が咎める。コルキスは前々世でストーカーをされたので慰謝料代わりに養育費を支払わせることになんの問題もないがな!


 まぁ、それはいいとして。


 アーサーがついてくれるのなら、公爵夫人が殺されたり重い罰を受けるようなことにはならないだろう。なら、離婚しもうここでの生活はなかったことにして新たな人生を生きられるようにするのが、彼女のためなのではないだろうか。


「あーぅ、あー(まぁ、かなり……もったいないんだがな……)」


 公爵夫人はコルヴィナス公爵家の女主人として申し分ない才覚の持ち主だ。今回の北の塔の連中をきちんとおもてなしし、パーティの準備も完璧にこなした。


 普段だって、屋敷の中の清掃は行き届き、使用人たちは自分の役目をしっかりと把握し、その能力に見合った立場についている。これらは公爵でなく、公爵夫人が万事滞りなく、女主人として屋敷内を取り仕切っているからだ。


 私の乳母にはルシアがいれば十分だが、公爵令嬢の乳母を平民の女性にさせる、ということについて公爵夫人の理解がなければルシアは私の側にはいられない。


 ソニアを着飾らせたセンスにしても、私はあまりそちら方面に詳しくないが最適な物を選んでいるとその審美眼の高さがうかがえた。


 公爵夫人はそう言う素晴らしい貴族の女性だ。


 私は残念ながら王族としての教育と、日本の義務教育しか受けていない。それもこの世界からすると過去の王族知識も古いだろうしな。


「娘よ!」


 おもちゃの積み木を組み立てながら唸っていると、子供部屋の扉を勢いよくあけて、今一番顏を見たくない野郎が入ってきた。


「公爵様」


 ルシアや侍女たちが礼をする。それらを無視して、ずかずかと私の方に近付いてきたコルキスはなぜか一定距離でピタリ、と立ち止まった。


「……」


 こほん、と咳ばらいを一つ。


 コルキスは片膝を付き、私に向かって両手を広げて見せる。


「…………」

「………」


 そして微動だにしない。


 この間、全くの無表情だ。


 想像してほしい。

 無駄に長身の男が身をかがめて、幼児に向かってただひたすら両手を広げている光景を。


 ……なんだ……何をしたいんだ。

 

 私も思わず硬直する。若干の恐怖さえ感じる。この得体の知れない状況。なんだ、だれか説明してくれないものか。と、ルシアに視線をやると、有能な乳母も固まっている。


 一体どのくらいの時間が経っただろうか。


 私の全身が恐怖に支配されそうになった頃、やっとコルキスは立ち上がった。


 それはもう、何もなかったかのように、いつも通りの冷たい公爵の顏で口を開く。


「歩いたと聞いたが?」


 独り言、ではない。この場にいるルシアに確認しているらしい。びくり、とそこでやっと、乳母は硬直を解き、頭を下げる。


「公爵様、お嬢さまは……正しくは、はいはいをなさいました」

「なぜ今はしない?」

「……それは。赤子というものは、気まぐれなものでございますので……」

「理由なく突然四つん這いになって動き出すものなのか?」


 コルキスはさすがに「はいはい」とは言わなかった。うん、似合わないもんね。言った途端周りの人間も凍るほど驚きそうだしな。


「それは……」


 ルシアは返答に困る。


 言ってしまえば、先ほどの私の行動は『母上を追いかける赤ん坊』であった。母親が得体の知れない人間に連れて行かれてしまうかもしれないと恐れて、急成長を見せたとも取れる。


 それを、母親を連行させた張本人に言うことはさすがにルシアにもためらいがあり、またそれを言ってしまうと、今まったく、私が反応しないのは、これまで辛うじてルシアが避けていた問題。


 そう。


 赤ん坊がコルキスを父親と認識していない問題が浮き彫りになるぞ!!


 はいはいが出来るようになった赤ん坊が、父親を見たら喜んで近づく。

 そう、誰もが思うだろう。


 なるほど。コルキスもそれを期待したに違いない……まじか。


「……あーうえ」

「……娘よ」


 私はぽつり、と、それはもう悲壮感たっぷりに、今この場にいない女性を求めるように呟いて見せる。


「……イザベルお嬢さまは、おそらく……公爵様が来られたのに、公爵夫人が一緒にいらっしゃらないので、不安に思っておられるのではないでしょうか」


 ぎろり、とそこでコルキスはルシアを睨み付けた。

 事は、使用人が口をはさめる範疇ではない。


 北の塔の大賢者を害した者を手引きしたのが、公爵夫人であったのだ。ルシアの今の言葉は、公爵夫人の味方であるような発言である。


 しかし睨まれても、ルシアは怯まず礼儀正しい使用人の態度を崩さないまま、言葉を続ける。


「わたくしに貴族の方のご事情や難しい事はわかりません。しかし、畏れながら……公爵様には、今現在、ご自身がお気付きでない、別の問題が発生しようとしていることは、わかります」

「……言ってみろ」

「イザベルお嬢さまは聡明な方でいらっしゃいます。おそらく現在のこのご状況も、幼いながらご理解されている部分があるのではないでしょうか。――ですので、公爵様。公爵夫人を処罰なさる、ということは、物事の善悪や必然性はともかく、イザベルお嬢さまに一生……恨まれる覚悟が必要かと存じます」


 乳母としての目線でだけの話を、ルシアはする。


 公爵夫人を母と認識し、懐いている赤ん坊が自分からそれを奪った相手を許すだろうか。


 ガァアン、と頭を殴られたような、衝撃的な顔をコルキスはした。両目を大きく見開き、信じられないように一度ルシアを見、そして私を見て、苦し気に顔を歪ませて呻く。


「くっ……娘よ、しかし……」

「あーうえ……」


 駄目押し、とばかりに、私は目に涙を浮かべてコルキスを見上げてやった。


 赤ん坊だがある程度はちゃんとわかっていますよ、そう、お前が敵だということはな!!という意思表示である。


「ぐっ……!!」


 心臓を抑えて、コルキスが膝を付いた。


 大丈夫か。頭。


 



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