*番外:薔薇の剣帝、それに太陽の皇子*
「この、愚か者めがッ!」
宮殿に、少女の怒号が響く。同時に上空では雷鳴が轟いた。巨大な魔力を持つ第一皇女の感情の起伏は空の天候さえ変えると、宮中の者たちは息を潜め怒りの雷が自らの頭上に落ちない事を願うばかり。
絢爛豪華な調度品の並ぶ執務室。齢十になったばかりの幼い皇女が使用する部屋にしては些か大きな執務机の上には書類が山積みとなっていた。それらには国の運営を決める重要書類から、平民の陳上まで様々なものが皇女殿下に読まれることを平等に待っている。真夜中までかけてその書類を片付けても、また翌朝になれば同じだけの量が積まれるのは、もはや当然のこととなっていた。
「しかし殿下!此度の事は我々にとって皇室への忠誠を、」
「背後に控える者をこの私がわからぬと思うてか!その方ら、領民への税に関しては領主に一任している。それは領民とは領主にとって我が子であるものと考えるゆえ!民は貴族の奴隷ではないわ!!」
赤い髪に、青い瞳を輝かせ自分の倍以上も生きる中年貴族を怒鳴りつけているのはまだ幼い少女。第一皇女にして、政務の半分を担っておられるロゼリア姫だった。
脂汗を流して必死に弁明している中年貴族は、これで侯爵というそれなりの地位にいる者である。
昨年、大国アグドニグルの国領を飢饉が襲った。先んじてある程度の対策をとっていたロゼリア姫により、思ったより被害は出なかった。
ロゼリア姫は領主らに「領内で餓死者を出すな」と命じた。華やかなパーティやドレスの新調を控えろ、というのではこれまでそれにかかわってきた者たちの生活がひっ迫する。餓死者を出せば王命に逆らった家門として取り潰される。領主たちは自分たちの食べるものを分け与えてまで領民を死なせないことに必死になった。普通であれば、領民の命などその辺の石ころのようにしか思わない領主であっても、命じてきたのが恐ろしきロゼリア姫であっては、従う他ない。
そしてロゼリア姫自身、ただ命じただけではなく近隣の国に回り食糧を買い取った。高額にはなったが、領主である貴族らがちょっと自腹を切れば乗り切れた。
と、そこまではよかった。が、翌年。領主たちは「昨年お前たちを食わせてやったのだから」と重税を課した。領地の運営のために不足をある程度、豊作の年に補うのは致し方ないことではある。が、そのうちに明らかにやり過ぎな者がおり、叱責されている中年貴族はその中の一人であった。
ひどい重税により、この中年貴族の領地では育て実る麦は山ほどあるのに、農民たちはそれを食うことができず飢えて死んでしまっている。食ったことがばれれば罪となり殺される。そういう土地になっているという訴えを聞いたロゼリア姫は激高し、こうして怒鳴りつけていた。
が、中年貴族としては『政治をわからぬ小娘め』と言う思いが強い。確かに飢饉は乗り切れた。が、己らの財が減った。貴族としてみじめな生活を送ることは耐えられず、生活水準が僅かにでも落ちることは認められない。領民など領主の所有物ではないか。それを、この小娘は家族のように思え扱えと、甘い事を言っている。貴族と平民は同じ生き物でないということを、幼いから理解していない。
自分の孫娘と同じくらいの少女に叱責され、中年貴族は不満で仕方なかった。しかし相手は王族。それも第一王位継承者だ。どれほど小生意気で気にくわない相手でも、にこにこ頭を下げてやるしかない。
「あねうえ……」
不満たらたらで中年貴族がその場を去ったあと、おずおず、と扉の隙間から顔を覗かせる少年がいた。
「おぉ!カール!どうした、こちらに来るがよい。そなたが遠慮などするでない!」
ロゼリア姫は先ほどまでの、他者を威圧する王者の雰囲気を一瞬で消し、ころり、と顔に笑顔を浮かべる。
そばかす顔の少年ははにかみながら執務室に入り、きょろきょろと辺りを見渡す。部屋には書記官や執事、侍女長、側近、近衛騎士など少年にとって恐ろしい「大人」たちが多くいた。ロゼリア姫は軽く手を振って、近衛騎士以外を下がらせる。
「ささ、そこのソファに座るがよい。今何か持って来させよう。クッキーが良いか?それともケーキか。珍しい南国の果物を絞ってやろうか」
「あっ、ありがとう、ございます、姉上。で、ですが、甘い物は、たくさんたべると、あたまが悪くなるって……母上に、叱られますので……」
「そうか。母の教えを守る良い子であるな。しかしちぃーっとくらいは良いと思うが……」
「だめですよ、姉上。母上の言う事は絶対です」
子供らしく、親の言いつけこそ世界のすべてだという顔を少年、第三皇子カールはした。ロゼリア姫苦笑し、それではと砂糖を入れない紅茶を用意させ、自身もそれを飲む。
「それでいかがした?今は勉強の時間であるはずだが」
「あっ、えっと、その。姉上が、お怒りのようだって……あ、えっと、じゃなくて、お怒りなんじゃないかって、思って」
「そうか。そなたの貴重な時間を、すまぬな」
「いっ、いいえ!ぼ、ぼくが勝手に……気になった、だけ、ですから」
嘘だった。
ロゼリア姫の機嫌をとれるのは弟のカール皇子だけであるので、こうして家臣たちはカールに泣きつく。どうか恐ろしい殿下の怒りを収めてくださいと。
「ぼくはっ、その、姉上や……兄上のように、剣は、うまくないし、魔力もないし……頭も、全然、よくないから……」
何か人の役に立てることがカールはうれしかった。そして、誰もが恐れる薔薇の姫が自分にだけはとことん優しく甘く、何でも言うことを聞いてくれるのが、悪い気がしなかった。
「何を言う。剣など騎士に任せればよい。魔力も宮廷魔術師がいるのはなんのためだ。頭も宰相や軍師など多くおるぞ」
「で、でも、皆より弱くて、頭が悪かったら、そんなの、だめじゃないですか」
「優秀さというのはある種の才能、私がどれほど勉強しても大賢者アーサー卿にかなわぬように、人には限界というものがあり、それは人によって、残酷な差がある」
「……はい」
「皇族の務めは、自身が最優であることではない。全ての人間が自身の才能を正しく伸ばし、活用できるよう場を整えること。国を運営すること。そのためには正しく運用するために優秀な人材が必要であるがな!」
「そ、それでは、ごちゃごちゃになってしまいます!」
ちゃんと正しく国を運営するには優秀な人材が必要なら、それを育てるために正しい国がまずなければならないではないか。
カールの反論に、ロゼリア姫は柔らかく微笑んだ。
「そうだ。ゆえに、それが今である。悔しいが、わが国は荒れておる。汚職や贈賄ははびこり、生まれ持った貧富の差は教育にまで現れる。で、あるから、私は剣も魔術も学問も何もかも習得し、国をたてなおさねばならぬ」
「で、ですから、ぼくも……!姉上のように!」
「そなたは私のようになる必要はない」
なるべく温かく、ロゼリアはそれを告げたつもりだった。
弟には、その次の世代を担ってほしかった。自分の人生は、苛烈なものになるだろう。多くを破壊し、蹂躙し、更地にする。その上に新たに建てたものを、カールには守って欲しいと願っていた。
優秀な剣士も軍も、優秀な文官も、魔法使いも、何もかも、環境を整える。それらを統率するためには、誰にでも愛され尊敬される才能が必要で、ロゼリア姫は、それは、破壊しつくすことで君臨するだろう自分には不可能だと、役割を理解していた。
「そなたには愛される才がある。優しい心は何よりの美徳。私は焼き灰にするような女だが、お前は優しく包み、大地を芽吹かせる子だ」
王は、剣で切り伏せるのではなく、騎士に『己の剣でこの方をお守りしたい』と心から思われる者の方が良い。
ロゼリア姫は心からそう信じた。
弟が剣を使えずとも、他人に嘘を付かずとも、人を信じてないように生きなくても、いいように。優秀な人材が育つよう、教育機関を整え、身分による差別がないように……
(そして何より、貴族の力を削がねば)
王にとって最も恐ろしいのは謀反だ。
先の飢饉の折、食料の費用を国が全て負担することはできた。が、あえてロゼリアは領主に負担させた。溜め込んだ財を吐き出させるためだ。不満があるのはわかっているが、その不満も「全てあのロゼリア姫のせいだ」と個人のものにすればいい。
「そなたは何も心配せずともよい。全て私が用意し、そなたに引き渡すゆえ。そのあとの、私とは違う苦労を味わうがよい」
冗談めかして笑い、カールが困ったような顔をした。ロゼリア姫はその膨れた顔も愛しいと弟を抱きしめる。
弟は恨みや憎しみのない世界で、生きられるようにもっともっと、自分は人に憎まれても、なすべきことをしなければと、そう決意しながら。




