今はいない子どものために
少し重い話です
「あのコルキス・コルヴィナス卿が、赤い髪に青い目の女性を娶りローザと呼んでいることは知っておりました。知っていて、その女性の産んだ子どもの名付け親に北の塔の人間を呼ぼうとしていることが、奇妙でした」
全力で拒否しているのにわからないのか。大賢者アーサーは素知らぬ顔で私を腕に抱きながら話し始める。
「殿下、此度の我々の旅費は全て公爵が負担しているのですよ」
「おぎゃあ(まぁ、当然では?招いたのであるからして)」
「そして更に、『塔の賢者を招くのだから』と、公爵の所有するダイヤモンド鉱山をまるごと、くださいました」
「(うわっ、こわっ……)」
血もつながらない赤ん坊の名前を付けさせるためだけに鉱山を手放すとかアホなのか。
「さすがにそこまで丁重に招かれては、我々とて無視はできませぬな。しかし、あの方は、我が子にそこまでするような父性溢れる方ではない。これは一体どういう次第かと気になって、私が参りました」
「(ふぅん……)」
それでわざわざ大賢者が来る、理由にはならない。が、そうなのだと思って欲しいらしいので、私は相槌を打つ。
しかし、さすがは大賢者である。私の正体をあっさりと見破るとは!!なんとなく会話も出来ているっぽいし、さすがは大賢者!便利だな!
「それで、どうやら公爵は貴方様の正体にお気づきでないご様子……それであるのに、かように大切にされているとは……気でも狂ったのでしょうか?それともよもや、赤い髪に青い目の赤ん坊を自ら育てて貴方様の代わりにしようと……?いえ、それは既に公爵夫人でされておりますね」
それを正気で行っていると思われるコルキスが只管怖くないだろうか。
とりあえず私は『何か知らないけど赤ん坊なのに昔の記憶があって今とても元気に生きてる。コルキスの糞野郎のことは嫌いだがお金を持っているので養育してもらってる。前々世でストーカーされた慰謝料だと思ってる』と正直に話した。
大賢者は穏やかな顏でそれを聞いていた。何度かピクリ、と顔を引きつらせたような気がするが、どう聞いても私が可愛い幼女の奮闘記で微笑ましいお話であろうはずだ。きっと笑いたいのを我慢したのだろう。
「……冥王様まで……もう、結構でございます、殿下」
何か知らないけど成長して盗賊たちを成敗したあたりまで話すと、大賢者は顔を片手で覆った。夜空を仰ぎ、何事か呟くが、ご高齢だ。よくわからない独語も増えてしまったのだろう。
「それで、どうなさいましょうか」
「あぅ?(うん?)」
「あなたさまの御名でございます」
あぁ、そうか。大広間に戻れば、名付け親イベントがスタートするだろう。一応今は、大賢者様が、名を贈る赤子と戯れ、星々を見ながらその運命を占い相応しい名を考えているのだ、と思われているようで誰もバルコニーにはやってこない。
「以前とお変わりない殿下。さて、貴方様は一体、それではどう生きられるおつもりでしょう?全てをご存知であるので、以前やり残したことをなさいますか?貴方様に人生を狂わされた憐れな方々への救済の旅でもなさいましょうか?それならば、貴方様には再びロゼリアの名を贈らせて頂きましょう。しかし、何もかも過去のことと割り切られ、新たな人生を歩まれるというのであれば、過去の屍を埋め立て二度と掘り起こせないほど、強固な祝いと、新たな名を贈らせて頂きます」
かつて。呪われ十六歳で死ぬこととなった私が、呪いを解けぬかと助けを求めた時。この老人は『全て殿下の自業自得。因果応報。当然の報いでございます』と協力を拒んだ。
呪いを解けずともどんな呪いか、どういった手段で呪われたのか、何かわかることがあるだろうと詰め寄った私に、この男は『己の所業を悔いながら死ね』とまで言ったものだ。
まぁ、当然。
今はアーサーという名を受け継ぎ、大賢者として世の人々の尊敬を集めるこの男。北の塔に入るものは肉親とのつながりを一切捨てる。俗世間とのしがらみを捨てて、真理の探究に勤しむということらしいが……この男には昔、遥か昔、妻と子がいた。その子どもは美しい娘となり、とある国の皇帝に嫁いだ。が、その娘は子どもを産み心を病んで、自身の子を呪いながら死んだ。
今こうして穏やかに抱かれているが、このバルコニーからうっかり落とされないとも言い切れない。
私がここで素敵な第二の(本当は第三だが)人生を歩みたいから違う名前にして☆などと言おうものなら、どうなるか。
「(以前も申したが)」
身を捩ると、アーサーは私をバルコニーの手すりに座らせた。魔法で体を支え、幼子でも一人で座れるようにする。こちらを見つめる老人をまっすぐに見つめる。
「(誰もが選択をする。運命や生き死にに他人が関わることもあろうが、全ては自身の選択ゆえの、結果だ。私は戦わねば殺されていたし、父を生かしておけば民が苦しむ)」
「大義ゆえに行ったと?ご自身の振る舞いは正当であったと?」
「(見過ごせぬ自身の心に従ったゆえのこと。そなたの言う通り、自業自得の因果応報当然の報いで、私の最期は惨たらしく血を吐いて無様に死んだではないか)」
まだ、十六歳だったんだぞ、と私は今になって思う。前々世と前世で合わせて三十年ほどの時を生きたせいか、精神的には大人のような部分もある。それに前世の日本人の感覚も合わさって、十六歳の、子どもといえる年齢の少女に、大賢者がなんと大人げない対応をしたものか。
何も言わずじっと私を見る大賢者。私と同じ青い目に、昔は赤かっただろう髪が今は全て真っ白になって、妻や子や孫より長く生きるこの老人が一体何を考えているのか、私にわかるわけもない。
「(新たな名で新たな人生を、などと嘯くが。どう名乗ろうとどう呼ばれようと、私は私である。過去の清算ややり直しなどではない。私の人生は今が最新更新、ずぅっと長く続く道にすぎぬわ!!)」
おれの栄光のロード!!と、仁王立ちになって高笑いをしたかったが、普通に危ない。できない。残念だ。
仕方ないので、ワハハハと赤子らしからぬ笑い声をあげるに留めると、アーサーは溜息をつく。
「私の問いへの答えに、まるでなっておりませぬな」
「(ノリと勢いで騙されてくれないとかつまらんジジィだな!!)」
「……」
再び沈黙。
目の前の老人は、私に対してどういう感情を抱けばいいか迷っているようにも見えた。思えば以前の私はこの老人に対して思慮が足りなかったのかもしれない。大賢者で人格者であるから、公平に接してくれるものと思い込んでいたところもある。
よくよく考えれば、恨んでいるだろう。恨まれて当然ではないか。
「(すまなかったな)」
「……何を、謝るのです?」
「(前、そなたのことを無能と罵ったが、あれは本心じゃないんだ。すまなかった)」
「……」
え、それ?というような顔を、アーサーがした。
穏やかな顏を張り付けた大賢者もこういう顔をするのかと笑えるほど、マヌケな面だった。
「……いいえ。いえ、殿下。気にしておりませんよ」
「(そうか)」
「しかし、えぇ……ありがとう存じます」
そこで初めて、アーサーは作り物でない穏やかな顔を私に向けて来た。再びゆっくりと私を抱き上げ、くるり、と大広間への扉の方へ向かう。
「さて、それではそろそろ戻りましょう」
あなたさまに贈る名が決まりました、と言う老人の瞳に私への敵意はもう浮かんでいなかった。




