趣味と実益、ときどき恋
誤字、脱字報告有難いです。
ちょっと恋愛要素。
パトリシア・ガルシア。それが今の私の名前。
私には前世の記憶がある。
日本という島国でどこにでもいるような普通の大学生だった私は、それなりに学生生活を謳歌していた。課題して、アルバイトして、友達と遊んで。そろそろ彼氏なんてほしいかも、なんて思ってた私の人生は飲酒運転クソ野郎のせいで呆気なく幕を閉じた。
痛みを感じる間もなく、気が付いた時には病院で私の遺体に縋り付いて泣く両親を俯瞰視点で見ていた。
いつもニコニコ笑顔を絶やさないお母さんが何度も私の名前を呼びながら涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしている。泣く姿なんて見せたことのないお父さんも同じだ。「お父さんが泣く時はお前が結婚する時かな」と冗談っぽく笑っていたのに、こんな事で泣かせるつもりなんてなかった。
二人にもっとたくさん大好きって言えば良かった。もっとたくさんありがとうって言えば良かった。先に死んじゃう親不孝な娘でごめんなさい。あのクソ野郎は地獄に落ちろ。
そうして悲しむ両親を見つめながらゆっくりと意識を失い、次に目を覚ました時私は新たな命として別の世界に生まれていた。
最初に前世の記憶を思い出した時は大変だった。目の前に今の両親がいるのに、頭の中にはまた別に父と母の顔が浮かぶのだから混乱するに決まってる。会った事のない男の人と女の人を懐かしく思い、恋しくなるなんて三歳の女の子には拷問に近い。あの頃は毎日泣いて家族を心配させたものだ。
幸い今世でも優しい両親。愛情をたっぷりもらい、前世を少しずつ切り離して受け取れるようになった。
前は前、今は今だ。
その上で前世の後悔を教訓とし、両親に毎日「大好き」と「ありがとう」を伝えた。「二人の間に生まれて私はとても幸せよ」って。
するとどうなるか、両親の愛情はとても深くなる。それはもう海よりも。目に入れても痛くないどころかむしろ目に入れたいとまで言われるほどだ。さらに今世では二歳上のお兄様がおり、兄弟というものに憧れを抱いていた私はそれはそれは懐いた。両親もそうだが、お兄様もかなり見た目が良い。そして優しい。そりゃ懐くよ。
お兄様も私を可愛がってくれ無事私はファザコンとマザコン、そしてブラコンとコンプリートを果たした。
美丈夫な家族同様、私もいい線いっている。
前世の黒髪黒目、平々凡々な容姿から打って変わって腰まで伸びた母似のプラチナブロンドにマスカラいらずの長いまつ毛、父似の透き通ったブルーの瞳は大きく、高い鼻とふっくら唇の配置も申し分ない。キュッと折れそうなほど細いくびれに感動しつつ、これで上と下がボンッなら完璧だったのにと項垂れた。なんでそこだけ前世のままかなぁ。
少々の不満はありつつも美少女と言って差し支えない私はなんちゃって中世ヨーロッパ風の世界で蝶よ花よと育てられ、公爵令嬢として恥ずかしくないようにマナーも教養も家庭教師から太鼓判を押されるまで完璧に学んだ。定期的に茶会を開いて他の家の貴族との情報や意見交換にも精を出し、父の治める公爵領の平民とも交流し子供達に簡単な字の読み書きや計算を教えた。
貴族学園に入学した後も多くの事を学び、親しい友人も作り、婚約者とも良好な関係を築いていたつもりだった。
実家は兄が継ぎ、学園を卒業したらすぐに私は婚約者の侯爵家で将来は侯爵夫人として夫を支えられるように尽力しようと考えていたし、そうなると思っていた。
だが順風満帆に思えた人生は小石に簡単に躓く。
卒業間近、婚約者様がやらかしおった。簡単に言うと浮気である。しかもよりによって我が家と意見の対立する事の多い公爵家のご令嬢と、いわゆる夜に盛り上がる為の宿でのお泊まりを二泊三日。
それを聞いて最初に出た言葉は嘘でしょう、だった。
確かにそのご令嬢は魅力的だ。見事なボンッ、キュッ、ボンッ。対して私はチョン、キュッ、チョンである。だとしてもよ、と言うのが本音だが。
私の家族は恐ろしいほど怒った。そりゃあ怒った。両親とお兄様だけでなく、お兄様の妻の義姉まで。当の私が思わず宥めてしまうほど凄まじいものだった。
多額の賠償の支払いの上に元婚約者とその浮気相手は再教育の名の元、一年間優秀な人物であるが強い加虐嗜好を持っていると噂の伯爵に預けられる事となった。悲鳴を上げて許しを乞う元婚約者に冷たくお兄様は吐き捨てる。
「可愛いパティを傷付けてその程度で済ませてもらって良かったな」
その言葉で元婚約者は大人しくなった。彼が地獄と思っているよりももっと重い罰がお兄様の頭の中にはあるのだ。
そうして私の結婚は無かった事になったが、いやしかし困った。最悪のタイミングのせいでめぼしい嫁ぎ先が見つからない。良さそうな男性は既に結婚してるか婚約済み、さらに今回の事で両親とお兄様、お義姉様の私の結婚相手に対するハードルが上がってしまった。
「あんなクズをパトリシアの婚約者に選んでしまって本当にすまない」
「いえ、お父様そんなに気になさらないでください。わたくしがもっと気を付けていればこんな事にはならなかったかもしれませんし……」
「あぁ、なんて健気なの。パトリシア、貴女に悪いところなんて一つもないのよ。全てはあのクズと女狐が悪いわ」
「ありがとうございます、お母様。あの、わたくし本当に気にしていないので……」
「思い出すだけで腸が煮えくり返るな。こんなに可愛いパティがいて他に目移りするなんて……やっぱり」
「えぇ、そうね。やっぱりあの程度じゃ罰にならないわ」
「おおおお兄様、お義姉様! わたくし本当に大丈夫ですから!」
こんな調子で私の花婿選びは難航した。私の事をお父様達と同じ、いやそれ以上に愛してくれる人でなければならない。そんな条件をクリアできる人など本当にいると思っているのか。
途中からもう嫁ぐなんてせずにずっと家にいたらいいんじゃないかな、みたいな空気になりそうだったので必死に「皆に花嫁衣装を見てもらいたいです」って潤んだ瞳でお願いした。だってお兄様が嬉々として俺が養ってやるみたいなオーラを出すんですもの。もう成人として扱われる年齢だから精神的ダメージはあったが、おかげで花婿探しは続けてもらえている。
それでもすぐに見つかるわけではない。こればかりはご縁もある。だからお父様達の仕事で手伝える事があれば手伝ったり、領地の平民の子供達と交流したりと過ごしていた。
のんびりとした日々は嫌いではなかったが、ぶっちゃけ暇だ。
婚約者を寝盗られたという醜聞もある為以前ほど頻繁に茶会や夜会に参加する事はしないし、仕事の手伝いと言っても私が見ても差し障りのない書類の確認ぐらいでその量は微々たるものだ。平民の子達だって仕事がある。学生の時の方がまだ忙しかったと思えるほど今の生活は空き時間が多かった。何か没頭できるものが欲しい。
そこで思い付いたひとつの趣味。
小説だ。それも読む方ではなく書く方。
前世の私は趣味で漫画を描いていた。昔から絵を描くのが好きで、お気に入りの漫画を参考に見よう見まねでノートに描き始めたのがきっかけだった。そこからオリジナル作品も描いた。稚拙ながら自分で考えた物語を形にするのはとても楽しかった。
この世界に漫画は存在しない。近いもので絵本や紙芝居はあるが、私が今書きたいのは短いお話ではない。それに万が一にも描いた漫画を家族に見られたら間違いなく恥ずか死ぬ。なぜなら私が四歳の時に描いた家族の絵を見せた時お父様達は絶賛し、わざわざ職人を呼んで額を作って屋敷の一番目立つ場所に飾ったのだ。今それをされたら絶対に憤死する。
そこで小説だ。漫画を描く時にストーリーを文字で書き起こしていたし、前でも今でも本を読むのは好きだから下手でもそれなりに形にはなるのではないだろうか。
思い立ったが吉日。早速紙束を用意しお気に入りの羽根ペンにインクを吸わせた。
「できたー!」
紙にペンを走らせてから三ヶ月。真っ白だった紙面には文字が上から下までびっしりと綴られている。凝り固まった姿勢を解すようにグッと背を伸ばすとパキパキ関節が音を立てた。
「まさかこんな大作になるとは思わなかったわ」
初めてだから五枚を超えればいいと思っていた紙はどんどんと厚みを増し、完成した時には想定の二十倍になっていた。膨らんでいくストーリーに終わりが見えなかったがようやく納得のいく最後が書け、満足気に頷く。
あぁ、この何とも言えぬ達成感。書いてる間はあんなに苦しかったのに、これを味わうと癖になるのだ。
ぱらぱらとページを捲る。何度も読み返した、自分で考えたお話。ありきたりで、荒削りで、勢いだけで突っ走っている。それがどうしようもないほど愛おしく感じた。
「……誰かに読んでもらいたいな」
ぽつりと芽生えた願望が静かな部屋に落ちて溶ける。こんなにも頑張って書いたのだ。きちんと製本して誰か自分以外の人に見てもらいたい。
誰に? 家族や友人? 答えはNoだ。
「これ私が書いたの! 読ーんで!」と言って渡したら、家族は褒めちぎるだろう。友人もたぶん肯定的な事を言ってくれる。それでは意味がないのだ。
そりゃ褒められたら嬉しい。面白いって言われたらその場でサンバを踊るさ。でも、私はその言葉を素直に受け取れないだろう。私が書いたものって知ってればどうしたってお世辞や身内の贔屓目が入ってしまう。本心だとしても、きっとそう疑ってしまう。
小説ともなれば好みが分かれるし、そこそこの長さのあるものを興味もないのに読ませるのには気が引けた。私が書いたって知られず、自主的に手に取って読んでもらえたらいいのに。
感想は貰えたら嬉しいがそれは高望みが過ぎるだろう。なら読んでもらえるかも、みたいな感じにしたい。読まれるかもしれないし、読まれないかもしれない。どっちとも取れる状況になる、正にシュレディンガーの本の完成だ。
お分かりいただけたと思いますが、私、今とっても眠いのです。小説のラストスパートが見えてきたので書き上げてしまおうと徹夜したもんだから頭も動きが鈍い。だからいつもならしない思い付きを最高の案だと思い込んでしまったのだ。
製本した自分の書いた小説を図書館に寄贈する本の中に交ぜる、なんて大胆かつとんでもな方法を。
従兄弟に行商を営んでいる人がおり、彼はお土産と言っては様々な物を持って来てくれる。その中には他国の珍しい本もあった。何度も読んで内容は頭に入っているし、他国のお話は人気がある。多くの人に読んでもらえるならと寄贈する話が持ち上がっていたのだ。ちょうど何冊か寄贈する本を選んだところだったのでその中に紛れ込ませておこう。
図書館の本棚の中で埋もれるかもしれない。でも、もしかしたら誰かに手に取ってもらえて楽しんでもらえるかもしれない。
そうなったらいいなって軽い気持ちだった。流れ星にするお願いみたいなものだった。
そんな思い付きを実行してから半年後、久しぶりのお茶会の穏やかな時間。隣に座る令嬢が笑顔を輝かせながら口を開いた。
「パトリシア様、わたくし今とても面白い小説を読んでいますの!」
「まぁ、どんなお話なんですか?」
「もうお読みになっているかもしれませんが『命短し、磨けや乙女』って題名なんです」
飲んでいた紅茶を吹き出しそうになる。勿論、そんな動揺は少しも見せずポーカーフェイスを貫くが。
向かい側に座っていた別の令嬢が興奮気味に身を乗り出す。
「ローズ様もお読みになったんですか? わたくしも読んだんです。とっても素敵ですよね!」
「えぇ! レイチェル様に教えていただいたんですが、もう夢中になりまして……特に王子と主人公が手を繋ぐシーンが好きで」
「あぁ! 分かります! わたくしは夜会にエスコートする時のお誘いのセリフが……」
「同じですわ!」
きゃいきゃいと黄色い声を上げてはしゃぐ友人達を見ていると微笑ましくなるが本当は顔から火が出そうだった。
『命短し、磨けや乙女』は私が書いた小説だ。
あらすじは魔法のある世界、主人公の男爵令嬢が入学した学園で王子と恋に落ちるラブストーリー。
王子は学園生活の中で自分の妃となる者を探しており、天真爛漫で自分の抱える問題や未来の王としての迷いを一緒になって解決してくれる主人公に徐々に惹かれていく。そこへ妃候補の筆頭である公爵令嬢が二人の間に割り込み、主人公へ様々な嫌がらせや妨害工作を行う。
そんな状況にも負けず王子の隣へ恥じることなく立てるように自分を磨き、立派な淑女へと成長する主人公。そんな主人公の手を取り、卒業パーティーで王子は公爵令嬢の主人公への非道な行いを断罪し、主人公を妃とする事を高らかに宣言する。追い詰められた公爵令嬢は真の正体を表す。彼女は国を乗っ取らんとする悪魔だったのだ。乗っ取れないのならば滅ぼそうと暴れる悪魔を民を、国を守ろうと聖剣を手にする王子と清らかな魂により聖女として覚醒した主人公が戦い倒す。そして主人公と王子は国中から認められ、祝福されながら結婚する……というラストだ。
我ながらぶっ飛んだ内容だがこれには一応理由がある。公爵令嬢を悪役にするのが気まずかった。字を読めるのは大体が貴族だ。平民も読める人はいるが極々少数。だからこの小説を手に取る可能性が一番高いのも貴族になる。その時にこの公爵令嬢にモデルがいると思われるのは避けたかった。
だから悪魔にした。なんじゃそらと言われるかもだけど!
ちなみに魔法は先人達が書いてくれた多くのファンタジー系の物語に出てくるので説明が簡単に済む。ひと昔前の作品では魔法は魔女や悪魔など悪役が人を惑わしたり傷付けたりするものとして描かれるのが多かったが、そのイメージを覆した大ベストセラー小説があった。
『ダルメシアンの冒険』。十年に渡って愛される作品だ。勿論、私も大好きである。あまりの人気に紙芝居が作られ原作を読めない平民の間でも知らない者の方が少ないほど有名だった。
最初はいわゆる俺、最強系の主人公によるスカッとアクションの多い話。それが冊数を追うごとに主人公の中に生まれる葛藤や心の闇、魅力的な仲間との別れや出会い、コメディとシリアスの見事な配合に熱中した。主人公と一緒に進化していく物語は一冊一冊の密度が濃い。シリーズを通して散らばった伏線の回収に何回読み返して感嘆の声を漏らしたか。あまりにも滾りすぎて感想文を数十枚に渡って書いた事もある。とても作者様に送れる内容ではないけど。
おっと脱線が過ぎた。とにかく驚いた事に私の小説はいつの間にやら多くの人に読まれているらしい。
なぜ? 私が知りたい。
調べてみると私の最初の思惑通り、本はある子爵令嬢の手に取られたそう。そして話を読み終えたその子は周囲にお勧めした。それだけなら小さなコミュニティだけで終わっただろう。その子爵令嬢はとにかく顔が広かった。友人、友人の家族、そのまた親類と彼女は知り合いという知り合いに本を布教しまくったらしい。
そこから私の本は評判になった。馬鹿正直に作者名に本名を書きはしなかったから、誰も聞いた事のない作者というのが更に興味をそそったようだ。もっとたくさんの人に読まれるようにとその一冊からまた新たに本が複製された。費用は最初に読んだ男爵令嬢とその友人達が出したという。行動力と財力が結びついたら止めようがない。力こそマネー。
夢だと思って頬を抓る。めっちゃ痛い。夢じゃない。
嬉しい、恥ずかしい、嬉しい。忙しなく脳内でのたうち回りながらそれでも私は「まぁ、そのうち収まるっしょ」なんて軽く考えていた。
「パトリシア嬢、この本の作者は貴女ですね?」
一年前のあの時の私へ。今目の前の状況を見ても同じ事が言えますか?
突然王城へと呼ばれた私は疑問符を浮かべていた。だって呼び出される理由に心当たりが全くない。当主である父ではなく私がなぜ? と何度考えても答えはでなかった。
通された応接室のドアが開けられた時は心臓が止まるかと思った。
国王陛下と王妃様、王太子と王太子妃、第二王子とその奥方、第三王子と王族揃い踏みで出迎えられて倒れなかった私を褒めて欲しい。
混乱状態でも体は自然と礼をとる。えらいぞ! 私!
「よい、楽にせよ」
陛下の許しに顔を上げると目の前に立つのは我が国の第三王子であらせられるアンドリュー王子。鋭く芯の強い紅の瞳に見つめられるとつい背筋をぴんと伸ばさずにはいられない。とんでもないイケメンの視界に入るだけで緊張するというのに。そして始めの問いを投げられたのだ。
「はい。その本はわたくしが書きました」
なぜそんな質問をされるか分からない。それでも私が今すべきはアンドリュー王子の求める事に答える事だ。毅然と佇んではいるが背中は冷や汗でびっしょり濡れているし、心臓だってうるさい。それでも私はガルシア公爵家の一人だ。真っ直ぐアンドリュー王子の視線を受け止める。キリッと上がっていたアンドリュー王子の眉が柔らかく下がった。
「そうですか。では、こちらへどうぞ」
スマートなエスコートに流れるように席へ誘導される。ソファに座ると隣にはアンドリュー王子。え? どういう状況?
コルセットの内側が冷や汗で蒸れまくる。アンドリュー王子が目を細めて微笑み、口を開けた。
「ごめんなさい、何にも分からないですよね。なぜ、貴女をこの場に呼んだのか順を追って説明していきましょう」
遡る事一ヶ月前。我が国の第四王子がやらかした。学園の卒業の前祝いパーティーで婚約者である公爵令嬢に婚約破棄を言い渡したのだ。傍らには男爵令嬢。
問題は言い出したらキリがない。
王家と公爵家で取り決められた婚約を大衆の面前で破棄したとか、婚約者をエスコートせずに別の女性とパーティー会場に先に入ってたとか、何より学園は二年制であり、王子はまだ一年生だ。先輩の卒業前祝いパーティーでそんな事をやらかした。
何でそんな事になったのか。答えはその男爵令嬢だ。
彼女はすごく、ものすごーく思い込みが激しいタイプで可愛らしい容姿の為に自分の事をお姫様の様に思っていたらしい。そしてある一冊の本に出会った。そう、『命短し、磨けや乙女』だ。
セリフの一言一句を覚えるほど本を読み込んだ彼女は徐々に主人公と自分を重ね合わせていった。
「主人公と自分が同じ男爵令嬢で栗毛、ヘーゼル色の瞳だった事でより強くそう思ったそうです」
アンドリュー王子の言葉に表向きは静かに話を聞いていた私は胸の内側で叫ぶ。この国に栗毛でヘーゼル色の瞳の男爵令嬢が何人いると思ってるんだ! 珍しくないんだよ!!
確かに親しみを持ちやすいようによくいる髪や瞳の色にはした。それがこんな裏目に出るとは。アンドリュー王子も同意しているのか苦笑いしている。
そして彼女は学園で王子様まで見つけてしまった。第四王子のダニエル王子だ。彼女は物語の主人公と同じく王子に近付いた。ただ話を聞く限りかなり都合よく解釈して真似たらしい。やめてくれ。
ダニエル王子も最初は相手にしなかった。既に王太子である第一王子が次期王として陛下と共に公務にあたっている。そこで初対面の男爵令嬢に未来の王としての在り方なんて説かれても迷惑だったろう。
しかし男爵令嬢の思い込みの激しさがダニエル王子の考えを少しずつ曲げていった。あまりに堂々と「貴方はとっても素敵な王様になれるわ!」と言われ続けて本人もその気になっていってしまったのだ。確かにダニエル王子にも王位継承権はある。でも彼が王になれる可能性はとても低い。上に三人兄もいるし。
それが分かっていながらも、人間は間違った事でも何度も繰り返して言われるとそれが正しいと感じるようになってしまう。洗脳じゃん、それ。
そこで間の悪かったのがダニエル王子の婚約者である公爵令嬢。彼女はダニエル王子に執拗に絡む男爵令嬢に注意をした。当たり前の事だ。
男爵令嬢はそれを物語の中の悪役令嬢の嫌がらせと思い込み、悲しそうにダニエル王子に訴えた。本の中での主人公は王子に泣きついてないけどね。
すっかり男爵令嬢の思い込みに巻き込まれているダニエル王子は憤慨し、公爵令嬢に怒った。いや、怒る相手が違うだろ。やばい、ツッコミが追いつかない。
そんな事が何度かあり、公爵令嬢は父と王家へ相談した。正しい判断だ。
「そこで私達は間違えてしまいました」
小さく首を横に振り、アンドリュー王子の声は後悔を滲ませる。
本来ならばダニエル王子と男爵令嬢を呼び出し、叱り、公爵令嬢に謝らせて終わりにすれば早かった。しかしその前に王家と公爵家で話し合った時、ひとつの疑惑が浮かんだ。
もしかして男爵令嬢を使って王家、または公爵家を陥れようとしている者がいるのでは? ……と。
Why?
「まさか小説の中の人物の真似事をしてるとは思わなかったんだ」
第二王子のマシュー王子が頬を掻きながら空笑いする。それに対しての感想は「確かにね」だ。
わざわざ王位継承権の低い王子に近付くメリットを考えればそういう答えに結びついても無理はないかもしれない。男爵令嬢が金品などをダニエル王子に強請らなかったのも大きかった。
金が目的ではなく執拗に「王になれる」などと囁きかける男爵令嬢の裏に大きな陰謀があるかもと、陛下達は判断ししばらく様子を見る事にした。泳がせておいて調査していたのだ。
「裏を探したとこで何もなかったのだけどね」
第一王子のドルトン王太子殿下が肩を竦める。そりゃそうだ。
調べたらすぐ分かる……と思ったが何も出ないことが逆に疑惑を深めた。王家の調査を切り抜けるほど根深い何かがあるのか、と。シンプル過ぎて誰もが見落としていた。完全に優秀さが裏目に出たパターンだ。
なんやかんや調べを進め、そこでやっと私の本に辿り着き、男爵令嬢の思い込みの激しさを聞き陛下達は真意を知ったらしい。その時はあまりの下らなさに皆で脱力したと聞いて不謹慎ながらその光景見てみたいと思った。
ありもしない陰謀論を調べるのに躍起になっている間にダニエル王子と男爵令嬢の世界は暴走し続けており、今更外から何か言っても遅かった。婚約破棄を叩きつける計画まで立てたと知りドルトン王太子殿下達は頭痛に悩まされた。ここまで事が大きくなるなんて誰か想像できますか? できるわけない。
ちなみに小説の方では婚約破棄ではなく王子が悪役令嬢に対して「貴女と結婚する事はありえない!」と宣言するシーンがある。だって決められてる婚約者じゃないもの。婚約破棄ってわけじゃない。
もうダニエル王子を城に閉じ込めようかという話まで持ち上がった時、機転を利かせたのは公爵令嬢だった。
そんなにお話の様にしたいなら合わせてやればいいと。
卒業の前祝いパーティーでダニエル王子達以外の参加者にはこういった通達がされていた。「余興としてダニエル王子と公爵令嬢、そして男爵令嬢による寸劇が行われます」と。更に男爵令嬢とダニエル王子の学園での距離の近さはその為の仕込みであるという噂も流して火消しした。男爵令嬢が『命短し、磨けや乙女』の主人公の様に振舞っていたおかげでわりとすんなり周囲には受け取られたという。
逆転の発想、公爵令嬢はまことに優秀だ。
そうしてダニエル王子達をパーティーに誘導し婚約破棄を行わせ、寸劇として処理。その後すぐに個室へと連行して王家、公爵家、男爵家全員で決着をつけた。
ダニエル王子と男爵令嬢にはきつーいお叱りとお仕置きがあった。あの伯爵家への半年の謹慎だ。私の元婚約者様と浮気相手を真人間へと矯正したほどだから、きっと二人も道を正せるだろう。男爵家は誠心誠意の謝罪によりお咎めはなしだそうだ。婚約も一応は継続。ただ今後は公爵令嬢の気持ちひとつでいつでも白紙に戻せるらしい。どうするかは当人次第だ。
ここまで話を聞き終えた私は冷静に考える。「あれ? これ私の小説のせいじゃね?」と。もしかして私がここに呼び出されたのって王家ならびに公爵家を陥れようとした罪で裁かれるとか?
勿論、そんなつもりない。でもそう捉えられるかもしれない。
ぐるぐる思考が渦巻いているとアンドリュー王子の優しい声が意識を戻した。
「パトリシア嬢、大丈夫ですか?」
「……お願いがあります」
「え?」
こうなったら仕方がないと覚悟を決める。私はできるだけ後悔のない人生を歩めるように努めてきた。
結婚はできなかったが家族に惜しみなく愛された。また泣かせてしまうかもしれないのには心が痛むが、これもまた運命だろう。
アンドリュー王子を真っ直ぐに見つめる。いや、マジで顔がいいなこの人。眼福と思いつつ、勢いよく頭を下げた。
「『ダルメシアンの冒険』の新刊を読むまではどうか……どうか処刑は待ってください!」
「し、処刑!?」
「わたくし、あのお話が大好きなんです! 次は一冊目から主人公が目指している大陸へ辿り着いた後の物語……これを読まずには死ねません!」
どうかご慈悲を! 情けないと思われてもこれだけは譲れない。処刑は甘んじて受け入れるが日程だけは決めさせてくれ。前世も大好きな長寿作品の最終回が見れなくて血涙を流したのだ。
「何か勘違いが起きてるが、処刑なんてせぬよ」
穏やかで凛と澄んだ低音にハッとする。声のする方へ顔を向ければとても楽しそうに笑う陛下がいた。王妃様も同じように微笑まれている。
「逆になぜ処刑されると思ったんだい?」
ドルトン王太子の問に思ったまま答えた瞬間、応接室には大きな笑い声が複数響いた。
「男爵令嬢が起こした事の元になった話の作者だから反逆罪で処刑されるかもって? まさか!」
「悪いのは小説と現実の区別をつけずに好き勝手に振舞った男爵令嬢とダニーであって、その責を貴女に取らせたりしないさ」
お腹を抱えて目に涙まで溜めて笑うドルトン王太子とマシュー王子の言葉に自分の思い込みに顔が熱くなる。男爵令嬢の事言えないな。
隣に視線を向けるとアンドリュー王子が何とも言えない表情をしていた。呆れて物が言えないのかな。それにしては頬が赤い気がする。
「……そんなにそのお話が楽しみなんですか?」
「え? は、はい。面白くて、泣けて、あんなに心揺さぶられる作品はありませんわ」
語り出すと止まらない。どんどん赤みが増すアンドリュー王子ににやにやと口角を上げたドルトン王太子が爆弾を落とす。
「お前ばかり相手の事を知ってるのは不公平じゃないか? なぁ『ダルメシアンの冒険』の作者、ディー」
作者? ディー? ドルトン王太子の言葉が私の頭の中に染み渡る事およそ三秒。アンドリュー王子を見ると忌々しげにドルトン王太子を睨んでいるが否定はない。私が見ている事に気付くと気まずげに頷かれた。
「好きですッ!!」
「ッ?!」
「アハハハハッ!!」
思わず告白する私、目を見開くアンドリュー王子、今日一番の笑い声を上げるドルトン王太子。
「いや、あの、す、すみません……お、お話が好きですって意味で、その」
「だ、大丈夫。分かってる」
冷や汗で冷えた体が一気に熱を持つ。さっきまで緊張で固まっていたが今は力が抜けていた。
「本当にアンディーのお話が好きなのねぇ」
王妃様の微笑みは優しい。
「はい。主人公が本当にカッコよくて……」
「モデルが良いものな!」
いい笑顔の陛下にさらっとアンドリュー王子が突っ込む。
「一応言っときますけど、父上がモデルじゃないですよ」
「えー! わしじゃないのぉ!?」
残念そうな声を出す陛下は普段目にする厳格なオーラなど露ほどもない。マシュー王子が呆れた顔になる。
「どこを見てそう思ってたんですか……」
「カッコよくて、頭良くて、優しくて、強くて、皆から慕われてる英雄って……つまり、わしじゃん?」
す、すごい自信だ。確かに当てはまると言われればそうだが、身内の目は白い。
「どう考えてもモデルはドルトン兄上だろ」
「そう? 僕はマシューだと思ってたけど」
「……お二人ですよ」
アンドリュー王子の諦めたような答えに二人の兄はにこーっと笑う。絶対分かってて言っただろ。
咳払いをひとつしてアンドリュー王子は口を開く。
「脱線しましたね。それで、貴女を呼んだ本当の理由なんですが」
「はい」
そういえばそうだった。本題に入ってないのにもうお腹いっぱいだ。
「貴女の本、ストーリーも面白いですが、特に素晴らしいのは主人公が淑女として成長していく過程がとても具体的に描かれている部分です。実際にこれを読んだ令嬢の多くは主人公と同じように淑女教育に励み、ここ二年で貴族のマナーの質は確実に向上しています」
初めて聞く話にじーんと胸が高鳴る。そうそうそう! そういう影響を与えたいのよ!
「更に良いのは挿絵が描かれていますね。カップの持ち方などこうして絵になっている事でより理解が深まる。この絵は誰が?」
「わたくしが自分で描きました」
「とてもお上手ですね」
やばい。嬉しい。幸せすぎて死にそう。
「貴女の小説は小説としても素晴らしいですが、同時に分かりやすい教科書にもなっています。私は以前からこの国の教育水準を高めたいと思っていました。貴族だけではありません。平民にも字の読み書き、計算を基本に多くの事を教えたい。貴女の広く深い知識とそれを分かりやすく伝える技術を用いて、どうか未来の為に一緒に尽力して頂けませんか?」
アンドリュー王子の思い描く未来は平民も学校に通えるようにする事。それは決して簡単じゃない。子供でも平民であれば働き手だ。多くは親の手伝いから始まり、自然とそれを続ける。それは悪い事ではないだろう。
でも、もっと未来の選択を増やせるのなら? 仕事の選択をしなくても、例えば読み書きや計算ができれば悪い行商人に騙される事も減る。メリットはあるはずだ。自分の才能を知らないまま、育てられないまま一生を終えずに済む子がいる。知識や経験は奪われる事のない財産だ。
簡単ではない。いくらメリットがあると言っても説得には時間がかかるだろう。平民の学校を作る費用や平民が貴族の様に学校に通う事を嫌がる貴族、子供を学校に通わせる間に働き手が減る事を嫌がる親、そもそも子供達が望むかどうか。
不安も懸念材料も大量。それなのに私の胸は震える。こんなにもわくわくしている。
前世の私の夢は学校の先生だった。大学も教育学部を専攻し、教育実習を楽しみにしている矢先に事故にあった。前世の夢を今世で叶えるなんて、まるで小説の世界だな。
アンドリュー王子の前に立ち、優雅なカーテシーを披露する。準備はこれから、今は覚悟があれば十分だ。
「微力ながらお力になります」
大きな手が私の手を包む。優しく、力強い体温に感じる安心感と胸の奥に芽生える何か。
「ありがとう」
楽な道ではない。それでもこの人と一緒ならば大丈夫。
「他の事は僕達に任せておくれ」
ドルトン王太子を始め、皆が優しく見守ってくれている。この人達がいるのなら大丈夫。
アンドリュー王子が改めて向き合う。最高に顔がいい。
「必ず君を守る、なんてカッコイイ事も無責任な事も言えない。苦労もかけるだろうし、後悔もさせるかもしれない」
後ろ向きな発言は嘘偽りのないアンドリュー王子の性質を表している。誠意には誠意で返そう。
「このお話を断ったら、それこそわたくし後悔しますわ。誠実なお言葉感謝します。守られるつもりはありませんわ。共に戦い、歩みましょう」
少し生意気だったかも、と思うがアンドリュー王子は嬉しそうだ。
「あぁ。きっと貴女に後悔のない未来を見せよう。その時までどうか私の隣にいてください」
やり取りを見ていた王妃様はあらあらと朗らかに微笑む。
「まるでプロポーズみたいね」




