表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

天正二年

 歳月の流れは、止まらない。


 万も今では、正式なお部屋様。『小督(こごう)(つぼね)』との勿体ぶった名称を授けられた折には、思わず

(誰のこと?)

 と笑ってしまった。


 低き身分の生まれである、己なのに。

 顧みれば、我が身の変転の激しさに呆然としてしまう。


 でも。

(立場が上がるにつれ、奥方様との隔たりは大きくなるばかり)


 岡崎がある西の方を眺めるたび、心の隙間を風が吹き抜ける。


 改めて思い知る。

 自分はもう、築山御殿の侍女には戻れない。


 給仕をしたり、お召し物を整えたり、髪を結ったり、お背中を流したり──奥方様の側に再び(はべ)る未来は、絶対にあり得ない。


 岡崎と浜松は歩いて僅か三日の旅程であるにもかかわらず。

 それなのに。

(奥方様が遠い──)


 距離は開き、時間は過ぎていく。



 そして、天正2(1574)年。


 万は家康の子を生んだ。於義(おぎ)丸と名付けられたその子は、なかなか家康に懐こうとはしなかった。家康も今ひとつ、愛せないらしい。


(無理もない……)

 万は思う。

 現在もなお、家康と万は心底が通じ合っていない。幼い我が子は、敏感に父母の隔意を察しているのだろう。


 けれども、異母兄弟である信康と於義丸は仲が良い。


 信康は浜松を訪れると、必ず於義丸のもとへ顔を出す。信康は、(おの)が母と万の確執を知らぬようだ。万に会うと、屈託なく挨拶をする。信康は父に似ず、美男だった。おそらく、母親の血の影響が濃いために違いない。

 眉目秀麗な若武者の姿に、万はありし日の御前の面影を感じた。 


(於義には、私の血が流れている……)


 築山御前の血を引く信康と、万の血を引く於義丸。二人は兄弟。この戦国の世を、力を合わせて乗り切っていってくれたら……そう、万は祈った。



   挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 自分の息子と敬愛している人の息子が血を分けた兄弟。 うう~ん、これは……ww
[一言] 信康と秀康は仲が良かったのですか。 ただ、この後、起こる悲劇を知っているのはつらいものがあります。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ