元亀元年
元亀元(1570)年。
家康は遠江国(静岡県西部)の引馬へ拠点を移した。築山御前を三河の岡崎の地に置き捨てて。
旧今川領を呑み込んだ武田、関東の北条など――東の強敵に備えるために、家康は敢えて本拠地移転を実行したのだ。
岡崎城主の地位には、家康と築山御前の子である松平信康(幼名竹千代)がついた。親と子で、遠江と三河の両国をしっかりと固める方策なのであろう。
しかし、軍略や統治のことなど、万には分からない。
万は、推測する。
(殿……いえ、お屋形様は、奥方様から逃げたのだ)
侍女だった折、万は家康と築山御前の関係をこっそり観察していた。
家康は、決して御前を嫌ってはいなかった。けれども、苦手にしているように見えた。
家康は少年期、今川家の人質だった。そして御前は、その今川の血筋。血統も教養も年齢も、築山御前のほうが家康より上なのである。
しかも美貌の御前に対し、家康はお世辞にも美丈夫とは言えない。
御前と向かい合う際に、家康はいつもどこか萎縮していた。位負けを感じていたのかもしれない。
二人の仲において致命的だったのは、築山御前がその点に気が付いていなかったことだ。
御前は、ただ歳下の夫を愛していただけなのだろう。自分が庇護しなければならないと意気込んでいたようにさえ思える。なので、どうして夫が自分から遠ざかろうとするのか、いくら考えても理解が及ばなかったに違いない。
家康は、万を引馬へ連れていった。
この男にとって、万は築山御前と対照的な女であった。身分は低く、教養も無く、さほど美しくもない――楽な心で扱える娘。歳は、自分より八つ下。気後れせずに、愛せる女であったのだ。
そんな家康の胸中を、万は何となく見透かしていた。それなりに愛されていることは分かっていながらも、この男への軽蔑が止まらない。
だが今となっては、家康との肉の交わりのみが、築山御前との唯一のつながりなのだ。そう思えばこそ、拒めない。
「万。引馬――馬を引く……〝馬を退く〟とは縁起の悪い地名だとは思わぬか? 馬は敵へと進めるものじゃ。城を改修するのを良い機会として、名を改めたい。そなた、何か良い案はないか?」
戯れであろう。引馬城を目の前にし、家康が訊いてくる。
「そうですね……でしたら、桜……」
そこまで言いかけて、万は口籠もる。あの秋の夜の、狂乱の桜を思い出したのだ。
(あの桜は、奥方様からの私への贈り物だ)
そんな風に考える己を、万は取り立てて奇怪しいとは感じない。
ひょっとしたら、あの夜以来、万は狂いつづけているのかもしれない。――――狂女に成り果てた、現在の自分。正気であった過去の万は桜の樹の下に埋まり、血まみれの花弁が大地へと絶え間なく降り注いでいる……ここ数年、そんな幻想がしばしば頭の中に浮かぶのだ。
(愚かな……能の曲目でもあるまいに)
万は自嘲し、緩やかに首を振った。
(奥方様ならともかく、私には舞台に上がれるだけの華も技も無い)
いずれにしても、「桜」とこの場で口にするのは何やら勿体ない気がする。
「松……松は、如何でしょうか? 永久に常緑の松は、お屋形様に相応しい樹かと」
「良いな。松……そうじゃ! 近郊に、浜松という荘園があったはず。ならば、この城の名も、浜松としよう。浜松……まさに松平一族、新生の土地じゃ。万、でかしたぞ!」
家康が愉快げに笑う。
(松……まつ……待つ……。奥方様。万はこの地で、奥方様の訪れをお待ちしております)
万は、浜松の青い空を見上げた。
築山御前が浜松の地を訪れる日など、果たしてやってくるのだろうか?
(奥方様。万は……不忠者の万は、今一度奥方様に会いとう御座います)
そして叶うなら、築山御前自身の手によって成敗されたい……万は、そう願った。