眠れぬ夜に人知れず羽ばたくように・・・
『青い鴉』のあとがきに代えて 稲葉 ほうき
“夜の闇をよぎる怪鳥のように・・・”。私の友人であり、良き理解者でもある柴由良がいみじくも指摘したとおり、私の作品は定まった形を取らぬままに、読む者の心に不快な影を落としていくものらしい。その印象は、時と状況に応じて伸びたり縮んだりしてくれるようではあるが、その結果として私が彼らから賜った評価というのは「まったく意味が分からない」というものばかりだった。「とてつもなく奇異な印象を受けた」と評してくれる友人も中にはいた。
それとは別に、私の作品は統一感がないとよく言われる。それはある意味で私の飽きっぽい性格に起因するものであり、我ながら何とも節操がないとしか言いようがない。しかしその一方で、こうして今までに書き溜めてきた作品を集めてみると、何とも言えぬ奇妙な味わいと共に、他人には計り知れない程の親近感を覚えるのも事実である。それはまったくの偶然の産物でしかなく、それを感じているのは多分私くらいのものだろうから、これ以上ない程の手前味噌であり、何とも都合の良い話である。
これでも一応、作品を書き始めにあたっては、私なりの構想と明確なる意思を持って机に向い、まだ見ぬ読者が楽しむ姿を思い浮かべながら書いているつもりなのだ。ところが、完成した作品を改めて見直してみると、一体誰がこんな展開を思いついたのだろうと思うような作品がしばしばあり、その多くは忸怩たる結末を迎えている。それはまるで、普段は主人である私の意志に大人しく従っていたはずの影が、一度月の光を浴びた途端に昼間とは異なる形をとり始めたばかりか、自らの意思によって行動しているように見える事と何か深い関係があるのかもしれない。例えそこに、私の支配の及ばない見えない力が働いていたとしても、結局のところ全ての責任は私にあり、私の中から生み出されたものである事に違いはない。
最後に標題でもある『青い鴉』について少し触れて締めくくりたいと思う。
鴉が黒い事は百も承知であるが、青い鴉がいたとするならば、透き通るような青空に溶け込んで、それは素敵に見える事だろう。ひょっとしたら、鴉に対する人々の考え方も一変するかもしれないし、幸せをこの手に運んでくれるかもしれない。
しかしながら、寵愛の対象として皆に好まれる存在よりも、夜の闇に潜む怪鳥へと姿を変えてくれる方が一層私の好みではある。真の暗闇の中では、黒よりも濃い青の方がよく溶け込むものなのだ。いっその事、近所でも評判の善良なる紳士が、冷酷非道な殺人鬼へと姿を変える様な闇夜に、青い鴉がその羽を広げて人々の心に黒い影を落としていく光景を見てみたいとすら思う。そんな時にはきっと、夢遊病者の様な姿で夜の街を彷徨いながら青い鴉を探し追い求めている私の姿を目撃する事になるだろう。