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父の思い出

 父は漁師だった。それも、腕が良いことで街でも評判の漁師だった。私がまだベッドの中で夢の海原を漂っている頃、父は本物の海へと船を漕ぎ出して、私たち家族の為に必死で魚を獲っていた。そして、私が眠い目をこすりながら朝の食卓に着く頃には、朝食を食べ終えたらしい父は、コーヒーを飲みながら朝刊に目を通しているのだった。

 普段から物静かで口数も少なかった父は、長年の強い潮風と直射日光に晒された人だった。真っ黒に日焼けした肌と、それとは対照的に薄い金色がかった髪の毛は、光の加減で白く光って見えた。節くれだった頑丈な手で網を操り、どんな風雨でも耐えられる広い大きな背中をしていた。

 小さい頃の私には、そんな父が恐ろしくもあった。そのため、うっかり眼を合わせてしまう事が無いよう、玄関に掛けられたダッフルコートの方ばかりを眺めて食事を摂っていた。それは、父が漁に出掛ける時に着ていくコートであり、毎朝決まった場所に掛けられていた。そんな父の抜け殻からは決まって水滴が滴り落ち、玄関のコンクリートの床を黒く染めているのだった。

 そんな風にして、私は毎朝の慎ましい食事時間を何とかやり過ごしていた。もっとも、私がそんな注意を払わなくても、父が自ら話しかけてくる事は一度も無かった。


 そんな私たちの暮らしを変える出来事が、ある日起きた。隣の国が戦争を始めたのだ。私の国でも戦争に向けて国中の若い男はみんな兵士として徴収されていった。私の父も他の多くの男達と共に戦争に駆り出されていった。街に残されたのは私のような子供や女、それに老人くらいのものだった。

 出征の当日、街の港には普段見慣れた漁船ではなく、兵士を運ぶための黒塗りの大きな軍艦が停泊していた。その舷側に立っている父に向かって、私と母は必死になって手を振っていた。しかし、父がそれに気がついた様子はなかった。

 戦争が始まった当初、街には連日の戦勝報告が届けられ、その勢いは留まるところを知らなかった。大人も子供も一緒になってその事を話題にしたし、自分達の夫や父を誇らしく思っていた。しかし、戦争は一向に終結する目途を見せず、激化の一途を辿っていくばかりだった。やがて、どちらの国も疲弊しきり、誰もが何の為に戦っているのか分からなくなってきた頃、隣の国の王の死をきっかけにして戦争は突如終結を迎えた。戦争が終わり、この街を出て行った男たちが戻ってきたが、その中に父の姿は無かった。


 国から支給される恩給により、私たち家族は父が亡くなった後も何とかそれまで通りに生活する事が可能だった。しかし、玄関に掛けられたダッフルコートからは再び雫が滴り落ちる事は無くなり、その代わりに父を思ってすすり泣く母の声とその瞳から滴り落ちる雫がテーブルに黒い染みを残すようになっていった。

 母の悲しみは、時間と共に薄れていくどころか、ますます悪化を辿っていたようだった。私が寝静まった真夜中に、家の中を歩き回る音が聞こえるようになってきたのもこの頃からだった。その度に私は、いつも決まった夢を見るようになった。

 それは、朝靄が立ち込める水上に浮かぶ一艘の小船の夢だった。その船には一人の男が乗っており、遥かなる水面に向かって投網を打っていた。男は厚手のダッフルコートを着込み、それが早朝の刺すような冷気からしっかりと男を守ってくれていた。やがて、水面から立ち上る白い煙によって男の姿は掻き消されてしまうのだが、無限に続けられる男の投網を打つ動作だけが、白いスクリーンに映し出されたシルエットのようにボンヤリと私の記憶に残っているのだった。


 ある日、いつものように目覚めた私が朝の食卓に着くと、テーブルの上には三人分の食事が用意してあった。私が母にその事を尋ねると、これは父の食事であると、さも当たり前のように答えるのだった。私が母に向かって、父はもうこの家には帰って来ることはない事を告げると、母は玄関の方を指差して、久しぶりの大漁だったので、朝食も摂らずに街にある酒場に祝杯を挙げに出掛けたのだと答えた。母はそんな父に対して愚痴を言っているようであったが、ひどく満足そうな顔をしていた。

 私が母の指差すほうを見てみると、そこには見慣れた父のダッフルコートが掛けられていたのだが、その下のコンクリートは何故か黒く濡れていた。私は席を立ち、父のダッフルコートに触れてみたが、それは少しだけ湿り気を帯びていた。

 その後も母は、父がこの家に帰ってきたことを信じて疑わず、三人分の食事を作り続けた。それと共に、真夜中に家の中を歩き回る音が度々聞こえてくるようになり、私は決まってあの夢を見た。そして、その夢を見た翌朝には必ず、父のダッフルコートは少しだけ湿り気を帯びていた。

 私はそれを母の所為だと考えていた。母が父のダッフルコートを着込んで、夜中に街を彷徨っているのではないかとさえ疑うようになっていた。父を亡くした深い悲しみから、母は夢遊病者となってしまったのだろう。自分では無意識のうちに・・・。


 母の身を案じた私は、一つの計画を思いついた。母が夜中に出歩かないよう、寝室に鍵を取り付けることにしたのだ。母には、最近は物騒だから母の安全の為に取り付けるのだと説明した。そうした私の言い訳を、母は意外にもすんなり聞き入れてくれたのだった。

 しかし、そうした私の努力も空しく、翌朝になるとダッフルコートは湿り気を帯びていた。母の寝室の鍵は外側からしっかりかけられており、私が開けてやるまでは一歩も部屋からは出られなかった。だからと言って、私までが母の言い分を信じて父が生き返ったなどと考えることは無かった。現実的に考えて、私たち家族の悲しみを知りながら、こんな性質の悪い悪戯を仕掛けてきている犯人がどこかに存在するはずだった。何としてもそいつを捕まえてやろうと思った私は、その晩は一睡もせずに犯人がやってくるのを待ち構えていた。しかし、悪魔の如き英知を備えた犯人は、そんな私の計画にいち早く気が付いたのか、その晩は現れることは無かった。それから続けて三日三晩、寝ずの番を敢行したが、私のその努力は報われることはなく、残されたのは言い知れぬ苦痛と疲労だけだった。


 そんな私の元に、ある日珍しい友人が訪ねてきた。この男は街でも有名な変わり者だったが、若くして莫大な遺産を相続した幸運の持ち主だった。普段は広大な屋敷に籠もって何やら難しそうな研究に励んでいるのだったが、こうして時々ふらりと街にやって来るのだった。

 そこで私は、ここ数日のこの奇妙な出来事を彼に話して聞かせた。彼は話を聞き終わると私に向かって、君がいつまでも父親の死を受け入れないせいで、君の父親は成仏できないのだと脅かすのだった。彼がそんなに信心深い男だと思わなかった私は、君までそんな幽霊だの亡霊だのを信じているのかと笑うと、彼は自信ありげに、幽霊は存在する。今晩その証拠を私に見せてくれると言うのだった。

 翌朝、私が目覚めて最初に見たものは、ダッフルコートが掛けてある場所に残された足跡だった。それはまっすぐ私の部屋へと続いていた。真夜中にダッフルコートを着て歩き回っていたのは、私の母でも外部からの侵入者でもなく、私自身だったのだ。

 台所のテーブルに腰を下ろしてコーヒーを飲んでいる友人が私に話して聞かせてくれたところによると、彼は母から手紙を貰って家にやって来たのだった。母は私が真夜中に起きだして、父のダッフルコートを着て出掛ける姿を何度も目撃していたらしい。父を亡くした悲しみ故の行動と思った母は、私を刺激しないようにその事を黙っていたばかりか、自らもそういう振りをする事で僅かながら悲しみを紛らわす事が出来たようだった。しかし、私が母の部屋に鍵を取り付けてしまったため私の行動を監視することが出来なくなり、私のみを案じて友人に事情を説明したのだそうだ。

 その日以来、真夜中の物音は聞こえなくなり、あの夢を見ることはなくなった。今では私も父と同じく漁師をやっている。まだ父の名声には遠く及ばないが、いつの日か父を超える日が来ることを願って、今朝もあのダッフルコートを着込んで朝靄の立ち込める小船の中で投網を打つのだった。

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