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十五時ちょうどの待ち合わせ

 まさに冬と呼ぶのに相応しい季節だった。

 見上げた空にはここ数日と同じように灰色の厚い雲が重く圧し掛かっており、申し分ないほどに憂鬱な午後だった。幾層にも塗り固められた灰色の雲。それを取り囲むように創り出された青色の空。その二つが織り成す狂騒は、我々の知らない遥か遠くまで、果てしなく広がり続けているのだった。

 時折顔を覗かせる太陽は、深遠なる海底に眠る財宝のように眩い煌きを湛え、決して誰の手中にも収める事が出来ない孤高の存在として宙にあった。それでも稀に、雲の隙間から片鱗を閃かせるその姿は、まるで気まぐれな女神が偶然にもこちらを振り向いてくれたばかりでなく、思いがけず優しい微笑を浮かべてくれたかのようだった。

 しかし、それとてほんのつかの間の出来事である。吝嗇な見世物師が見物客の目に触れぬ場所で寸分の狂いも無いほどに正確にその時間を計ってでもいるかのように、幕は閉じられ、我々の目の前から遠ざけられてしまう。そうなってしまうと、ただじっと待つ事だけしか出来なかった。

 街の中心部を走るけやき並木通りには、その名の由来ともなった見事なけやきが何本も植えられており、移り行く季節の中で様々な姿を道行く人々の目に供していた。春に芽吹き始めた若葉は、夏には深緑の傘となって上空から照り付ける日差しを遮り、秋には赤や黄色のネオンとなって足元を照らしてくれていた。今はただ、過ぎ去った過去を懐かしむかのような細い枝だけが、虚空へとまっすぐに伸びているだけだった。

 両側を高層な建築物に取り囲まれたこの通りにあっても、肌を刺す冷たい風は容赦なく吹き抜けていた。今日は今年一番の寒さになるであろう事を、朝のニュースでもしきりに放送しており、街行く人たちはみな厚手のコートを身に包み、厳しい冬の魔の手に捕らえられてしまうのを恐れでもするかのように、わき目もふらず足早に先を急いでいた。そして誰もが申し合わせたかのように、黒や灰色といった暗色の衣服を着て歩き回り、その通り過ぎた後を吐き出された息が白い煙となって棚引いているものだから、街中が全てモノトーンに染められてしまったかのような感じだった。


 いつもと変わらぬ街の景色を、私はただ何となく眺めていた。

 そんな私の目に、大きなショルダーバックを提げた男が、通りの向こう側をこちらに向かって歩いて来るのが目に留まった。バックの中に何が入っているのかは検討もつかなかったが、男の肩に食い込んでいる様子から見ても随分と重そうな荷物のようだ。辺りを窺うようにして歩くその姿は、まるで知らない街で道に迷い、途方に暮れている旅行者のように見えなくもない。

 男が私の注意を引いたのはその挙動だけに留まらなかった。青白く頬のこけた顔からは生気が失われており、何日も食事を取りそこなった放浪者か、病院から抜け出してきた患者か、乗り物に酔って気分を悪くした旅行者のいずれか一つであるように思えた。そのいずれにしても、精神的にも肉体的にも衰弱しきっているであろう事は傍から見ても明らかだった。

 その他にも、薄くなった眉毛と暗い洞窟を思わせる落ち窪んだ眼窩をしており、そこから覗く二つの眼球は熱にでも浮かされたかのようにギラギラと光っていた。顔の大部分を占めている鼻は細長く尖っており、その下できつく結ばれた薄い唇は、それを見る者に理知的な印象を与える代わりに、酷薄な印象を与えるのだった。いずれにしろそれら一つ一つが重なりあった男の顔は、これまでに見たこともない程に不快な存在へと昇華されていた。

 男の方でも、自らの顔が他人に与える影響を自覚しているのか、顔を覆い隠すように前髪を伸ばしており、後ろ髪は肩甲骨に届くまでに長かった。だからと言って、その姿を見て彼を女性と勘違いする気遣いなどは無いと思うのだが、そう思っている側から男に声を掛けている一人の若者の姿があった。

 男の表情を覗き込んだ若者の反応は、こちらが同情したくなるものだった。何故なら、男は世界中のあらゆる不幸が一時に自分の身へ降りかかってきたとでも言わんばかりの暗い表情を浮かべており、若者は衝撃のあまり声を発する事も出来ずにその場で立ちすくんでしまったからだ。若者を驚かせてしまった事に対し、男は些か申し訳なさそうな笑顔を見せたのだが、その歪んだ笑い顔は若者を更なる恐怖に凍りつかせる効果しか生み出さなかったようだった。

そうこうしているうちに、男と私の距離は随分と縮まっていた。どうやら男の方でもこちらの存在に気がついたようだ。先程までの表情とは明らかに違う表情を浮かべて、一直線にこちらに向かって歩いて来た。それはまるで、誰かの不幸話を聞いた時に「それはそれは、大変な事で・・・」と口にしながらも、内心それを楽しんでいるかのような表情だったが、それこそが男の示す得る喜びの表情であった事は、その後の男が発した言葉から推測する事が出来た。

「いや〜、助かりましたよ。こんな所に交番があって。」

 男の声は金属的な響きを持っているのにも係わらず、籠もって聞き取りにくかった。そのせいで私は一瞬、男が外国語を話しているのではないかという錯覚を覚えたのだった。更に拙い事には、その言葉遣いとは裏腹に男の表情からは悪意しか感じる事が出来ず、遠くから見ていた時よりも余計に不快な印象を私に与えたのだった。こんな男とはあまり係わりあいになりたくはなかったが、仕事の一つとして対応せざるを得なかった。

「何かお困りごとでしょうか?」

「ええ。実は道に迷っていまして、待ち合わせの時刻に遅れそうなのです。この日のために、はるばる遠方からやってきたんですけどね。」

 そう言って、男はこの近所の住所を告げるのだった。そうすると、男はやはり旅行者だったのだ。男の表情が優れなかったのも、長旅による疲労が原因なのだろう。私はこれまで自分が抱いてきた男への悪意に対し、少しだけ後ろめたい気分になっていた。尋ねられた住所を教えてやると、まるでその埋め合わせをするかのように、男に対して優しい言葉を掛けてやった。

「随分とお疲れのご様子ですが、どこか具合でも悪いのでしょうか?」

「仕事で世界中を飛びまわっているものですから、疲れが溜まっているのでしょう。今回の仕事が終わったら、久々に休暇を取ろうと思います。」

「そうですか。それは大変ですね。一体どのようなお仕事をされているのですか?」

 追従のつもりで私がそう尋ねたのを、男は好意的に受け取ったようだ。

「そうですね。待ち合わせの時刻まではまだ時間がありますし、少しこちらで時間を潰させてもらっても構わないでしょうか?」

 男は私の了解を得るまでもなく、目の前にあった椅子に腰掛けてしまった。私は、自らが犯した失言の代償を払わされる破目に陥った事を後悔しつつも、この奇妙な男が何を話すのか、少しばかりの興味を抱いていた。

「私の仕事は・・・そうですね、例えるなら“ガイド”みたいなものです。そう聞くと、随分可笑しく思えるでしょうね。道に迷って、こうして交番にいるのですから。」

「いえ、そんな事はありませんよ。世界中を旅行出来る仕事っていうのは羨ましいですね。私などは一度も海外に出かけた事がないので。」

「旅行といっても仕事ですからね、そんなに良いものではありませんよ。」

「今回もお仕事の都合で旅行されているのでしょうか?」

「ええ。15時にお客さんと待ち合わせしているのです。この仕事は時間が大切ですからね。一分、一秒といえども疎かには出来ないのですよ。」

 男にそう言われて、私は壁に掛けてあった時計を振り返った。現在の時刻は14時30分。私が再び振り返ると、男はいつの間にか一冊の本を取り出して、ページを捲っていた。それは百科事典ほどの分厚さがあり、旅行者が持ち歩くには些か不似合いな代物であった。

 私の視線に気がついた男は、その本をバックの中にしまいこんでこう言った。

「あれは顧客名簿なのですよ。なにしろ世界中にお客さまがいるものですから、こうして旅行先でも一緒に持ち歩いているのです。もちろん、仕事に関する大事な資料ですので、この場でお見せする事は出来ませんが・・・。」

 そう言って、あのゾットするような笑顔を見せるのだった。

 私は話題を変えるように、先程から気になっていた質問を男に投げかける事にした。

「ところで、そのカバンの中には一体何が入っているのですか?先程からとても大切にされているご様子ですし、随分と重そうですから・・・。」

 ほんの一瞬であったが、男の眼が怪しげな光を放った。

「私は世界中を旅行しているのですが、旅先で妙な物を見つけては買ってしまう癖があるのですよ。これなんかは、この前の旅行で買ったのですが・・・。」

 そう言って、カバンの中から木彫りの人形や仮面を取り出すと、それらの品々の由来について一つ一つ丁寧に私に教えてくれるのだった。私はあまり興味なさそうにそれらの品々を眺めていたのだったが、一つだけ私の興味を惹いた物があった。それはこの男の持ち物としては相応しくないような、見事な装飾の施された箱だった。

「おや?この箱には何が入っているんですか?」

 そう言って私がその箱に手を触れよとした瞬間、突如として男の手が伸びてきて箱を私の目の前から隠してしまった。

「おっと!申し訳ないが、この箱の中身はお見せする訳にはいかないのです。特にあなたのような方にはね。」

 男は、私の反応を楽しむかのように嬉しそうな表情を浮かべて言うのだった。

「そう言われると、余計に中身が何か気になるじゃないですか。見せてくださいよ。」

「そうですね。中身をお見せしても構わないのですが、一つ約束をして欲しいのです。“この箱の中身を見ても、絶対に驚かない“とね。」

 男は、真剣な表情をしながら私にこう言った。

「ここ最近、市内で5件の殺人事件が発生している事は、警察官であるあなたならご存知ですよね。確か、犯人はまだ捕まっていないとか。」

「一体、何を仰っているのか分かりませんが・・・。」

「まあ話は最後まで聞いてくださいよ。その殺人事件には世間には知られていないある共通点がある。そのため、警察当局は同一犯による連続殺人事件として捜査を進めている。違いますか?」

「・・・・・。」

「この箱の中に、世間では知られていないその“モノ”が納められているとしましょう。ところで、それを持っているその男は一体何者でしょうね?」

 それだけ言うと、男は椅子から立ち上がり部屋を飛び出してしまった。それを見た私も、本能的に男の後を追いかけて部屋を飛び出したのだった。




『ニュースです。本日午後3時、けやき通りで男性がひき逃げに遭うという事故が発生しました。被害者は近くの交番に勤務する警察官で、目撃者の証言によりますと男性は突然道路に飛び出し、交差点に侵入してきた車両に撥ねられて死亡した模様です。詳しい事故の原因は分かっていませんが、男性の周りには不審な人影は見当たらず、自殺の可能性も含めて捜査を進める方針です。・・・・・・・たった今入ったニュースです。最近頻発している連続殺人事件の容疑者と思われる人物が、事故のあった現場付近で逮捕された模様です。犯人は若い男性で、警察の調べに対し「この眼で死神を見た。今度狙われるのは自分だ。」と話している模様です。詳しい情報が入り次第またお伝えします。以上、現場からお伝えしました。』

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