目覚めの時
ベッドの上に起き上がる。今日もまだ、こうして生きていた。部屋の中は昨日、寝る前に見たのと同じままだ。正常な秩序などとうの昔に失われてしまい、倒れたタンスに散乱した衣服、ぶちまけられた雑誌の中から水着の美女がこちらを向いて、眩しいばかりの微笑を浮かべている。その隣では、誕生日プレゼントとして無理やり贈られてきた百科事典が中途半端なページで開かれおり、折り曲がっていた。こんな物を未だに後生大事に持ち続けているのは、単に廃品回収に出しそびれただけだったが、こうして見ていると案外、その分厚い紙の束の中にこそ、これからの自分が生きていく術のようなものが隠されているのかもしれない。そんな妄想がふと頭を過ぎる。それらの貴重な遺物を華々しく飾るかのように、辺りには割れたガラスの破片が散らばっていた。底の抜けた天井から差し込む朝の光が、スパンコールのように散りばめられたガラスに反射し、鮮やかに煌いて輝いていた。この部屋の中で唯一、無傷な状態であるベッドの上から見渡せる世界なんて、せいぜいそんなところだった。
汗臭いシーツと黄ばんだ布団を押しのけて、地面へと降り立つ。居間へと通じる一つだけある道を通って部屋から抜け出す。その途中でまだ着られそうな衣服を探し出しては、手早く身に纏っていくって事は、もちろん忘れてなんかいない。靴下の片一方を何処かに紛失してしまったようだが、こんな事もあろうかと同じ縞柄の靴下を何足も買い揃えておいて良かった。実際には少しだけ色の褪せ方が違っているのだが、よくよく注意してみなければ分からないし、そんな事を気にする奴なんていない。
居間に辿り着くと、昨日から点けっぱなしにしていたTVが白黒の画面を映し出していた。正確に言うと、点けっぱなしというのは適切ではない。見たくも無いのに勝手に映るのだ。コンセントを引っこ抜いてしまえば全て問題は解決するかもしれないのだが、TVから流れてくる雑音なんて、隣の家から毎晩聞こえてくるベッドの軋む音や、近所のクソガキが立てる騒音に比べれば何でもない。むしろ、クラシック音楽を聴く時くらいに、右の耳から左の耳へと自然に通り過ぎてくれる。余計な妄想や苛立ちを覚える要素は一つも無い。
最近は何処かで戦争をおっ始めるとかおっ始めないとかいうニュースばかりで、どのチャンネルを回してみても、画面に登場するのはすっかり見飽きたこの国の象徴と呼ばれる政治家だけだった。お決まりの紺のジャケット、赤いネクタイ、白いワイシャツ。TV映りが良くなるようにと、その顔にはご丁寧にドウランが塗りたくってある。彼が演題に立って拳を振り上げ、唾を飛ばす勇姿を、どれ程の人が注意して見守っているのだろうか?決まった時間に決まった映像を繰り返し流してくれるTVに、きっと誰もがウンザリしている頃だと思う。それを解決する唯一の方法は、そんな事を気にしないって事だろうな。その音がまるで、冷蔵庫から漏れ聞こえてくるモーター音のようなモノと考えてしまえば、いつの日かそんなもの、まったく気にならなくなるはずだ。いつか試してみると良い。
今日に限って珍しくそれが映っていないという事は、きっとそんな対処方法を見出せずに我慢出来なくなった何処かの誰かが、TV局に乗り込んで全てをぶち壊してくれたのだろう。拍手喝采だ!さもなければ、例の政治家がどこかのアバズレとイチャついている現場をマスコミに押さえられて、自宅に引き篭もっているのだろう。そのどちらかに決まっている。離婚届が突き付けられるのは時間の問題だろうが、妻の方でも顧問弁護士とよろしくやっていたのだから、慰謝料は請求されないのが一つの救いだろうな。国民の利益を声高に叫ぶその口で、夜な夜な不倫相手への睦言が漏れていたのかと想像すると、誰も彼も信用なんか出きる筈もない!まあ、それでこそ人間らしいといえなくも無いが・・・。
テーブルに置かれたトレイの中には、食べかけのピザが一切れ残っており、ビールの空き缶が転がっていた。流石にもう食べられそうにないから手もつけないが、世界では「パイ」を奪い合って争いが起こっているというから、是非ともお裾分けしてあげたいものだ。こんな栄養にもならないものばっかり食っていたら、そのうち望んでもいない瞬間にくたばってしまうだろう。「ピザとビールが大好物で、それが最後の晩餐でした」なんて、神様に報告するのは気が進まないが、今世紀最大のジョークとしては悪くない。試してみる価値はあるかもしれないが、お気に召さずに地獄に突き落とされるのは御免だ。冷蔵庫の中を探ってみる事にしよう。もしかしたらまだ、缶ビールの1本くらいは残っているかもしれない、そう思って扉を開けてみるが・・・缶ビールの1本も残っていない。こんなクソみたいな場所に引きこもっていたら気が滅入るばかりだ。込み上げてくる吐き気を抑え込みながら、這う様にして玄関まで進み、お気に入りの黒のコートを着込む。「外出する時にはこれを着ていけ」ってうるさいんだ。まあ、ママの言うことには逆らわない事が賢明さ。まず間違いない。世界中の奴らを敵にまわしても、それだけは確実だ。今となっては、後ろを振り返ったところで誰も送り出してくれる訳でもないのだが、自然と片手を上げてみる。この忌々しい檻から開放されるんだから、別れの挨拶くらいはするのが当然だろう。踵の磨り減った靴をつっかけると、既にその機能を失ってしまった扉を開けて外へと出掛けた。
昨日までの騒乱が嘘のように静まり返った街は、人影は見当たらなかった。この辺では有名な並木道も、すっかり紅葉で色づいていた。辺りを覆いつくす瓦礫の山とそこら中に転がっている塊は、誰が手を加えるでもなくやがて真っ赤な絨毯で覆い隠される事だろう。それで無くても今年は大雪が降るに決まっている。真っ白なシーツを被せてしまえば、その下にあるガラクタは目に入らなくなる。これほどお手軽な後片付けは他にはないな。
未だ消えやまぬ立ち上る煙と硝煙の臭い。乾いた赤色が黒いアスファルトの至る所に飛び散っている。ぽっかりと陥没した路面、抉られた地面。それを包み込んでいる空は、最近では滅多にお目にかかる事も出来なかったほど青く透き通り、遥か遠くの宇宙の果てで浮かんだままの無人の機械が、この星の周りをグルグル回り続けているのがハッキリと見えそうだった。
一体、こんな事にどういう意味があるというのだ。何を手に入れようとしたのだろうか。幼い子供が癇癪を起こして全てをぶち壊してしまうような騒ぎだ。自らの犯したこの惨状を見たママに、後でこっぴどくお説教をしてもらうといい。そして、泣きながら許しを請うんだ。「ママ、もうこんな事は絶対にしないよ。だから今度だけは許して。お願い。」いい加減そんな簡単な事に気がつけばいいのだが、何十年、何百年、何千年と経っても、ガキはガキのままらしい。誰かが間違いを指摘してやらないといけないんだ。
創造と破壊を繰り返して、それで前に進んだつもりでいるらしいが、気がつけばスタート地点に逆戻りしている。そんな事をいつまでも繰り返していたら、何かが変わったって確信はいつまでたっても手に入りゃしないのに。太陽が昇って朝が来て、月が輝く夜になり、また朝が来る。季節は巡り、春がくれば植物は芽吹き、夏になれば立派に成長しても、秋になれば枯れ始め、冬になれば全てがひっそりと静まり返る。その繰り返しだ。「それが自然の摂理なのだよ!」なんて賢しい言葉を吐くツモリは更々ないさ。ただ、この無意味な愚かさに少しだけ同情しているんだ。何しろ、他のヤツらと同様、大きな流れの中でもがき苦しんで、動かされているだけに過ぎないのだから。自分自身の意思に基づいて行動していると思っている、愚かなる劇中の登場人物は、全能なる脚本家の手によって動かされているだけだ。不要になれば舞台から引き摺り降ろされ、気が向けば再び舞台に追い遣られる。それだって全て、幕が上がっているときだけの話。全ては舞台の上の、スポットライトが当たっている場所で繰り広げられる喜劇。・・・それでも求め続ければ、いつかは報われるのだろうか?