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覗き見るもの

 夕立というのだろうか。あんなに晴れ渡っていた空を覆いつくすように広がった黒い雲は、雷鳴と共に大粒の雨をもたらした。“バケツをひっくり返したような雨”とは上手い喩えだと思う。そんな天気だった。雨具を携えて出掛けるほど用意が良い方でもないのだが、そうかと言って、これ程の土砂降りの中を好き好んで濡れて歩くほど無頓着な性格でもない。繁吹きに追い立てられるようにして、ただ闇雲に通りを走り抜けていた。


 勢いよく駆け出したところまでは良かったのだが、すぐに息が上がってしまう。目に付いた軒先に逃げ込むと、ようやく我が身を振り返ってみるだけの余裕が出来た。やれやれひどい目にあったものだ。あれだけ急いで走ったところで大した効果はなかったようで、見事に全身ずぶ濡れだった。ハンカチを取り出し、とりあえず濡れた髪の毛を拭きながら、ボンヤリと辺りを見回してみた。


 普段通りなれた道を歩いているものとばかり思っていたのだが、こんな場所があった事に今までまったく気がつかなかった。降りしきる雨を透かして見える建物は、今時としては珍しい格子の嵌めこまれた木造家屋であった。地面から膝くらいの高さに埋め込まれた白黒の市松模様のタイル。紅殻塗りの施された格子で覆われた壁面。二階へと視線を向けると、路面に面した部分をほぼ埋め尽くすように設えられた白い襖障子。それを縦断している紅殻塗りの手摺格子。一階と二階は赤褐色の石州瓦によって分断され、軒先からは勢いを増した雨が、滝のように轟々と地面へ流れ落ちていた。更によく見れば、至る所に鯉や松の見事な彫り物が施され、釣燈篭も幾つか下げられていた。


 雨の日というのは風情のあるものだ、と勝手に思い込んでいた私は、今の状況に些か落胆していた。澄み切った青色か、濁りのない白色にでも見えると思っていた景色は、実際にはくすんだ灰色にしか見えない。アスファルトに叩きつけられる雨音は喧しく響き、濡れた衣服が冷え切った体に纏わりついて、無性にやり切れない気持ちにさせられた。


 そんな中、目の前の釣燈篭に灯りが点された。それは端の方から一つずつ、ポツリポツリと白く光っていき、瞬く間にその一角を明るく照らし出し始めた。紅殻に特有の赤錆色と真っ白な襖障子が、灰色に燻る雨模様の中で鮮やかに浮かび上がる。およそこの場に似つかわしくないその光景を眺めていると、胸の奥がひどく掻き乱される気がした。


 その後も雨の勢いは、一向に衰える気配をみせなかった。降り始めた時よりも益々その勢いを増してきたように思える。これ以上雨宿りをしていても、埒が明かない事は自分自身が良く分かっていた。それなのにどうしたものか、目の前に立っている建物から目が離せなくなっていた。これから何かが始まるような、そんな言い知れぬ期待感が沸き起こり始めていた。

 ふと、私が二階に目をやると、先程まで固く閉ざされていた筈の障子戸が開け放たれ、部屋の中から長襦袢を着た女が姿を現していた。この大雨が振りしきる最中、自分の足元すぐ近くで雨宿りをしているような酔狂な男がいるとは、この女でなくても想像もしていないだろう。寝乱れた髪の毛が随分と妖艶な雰囲気を醸し出していたが、それとは不釣合いな物を手に握っていた。それは“てるてるぼうず”だった。さしずめ、この大雨が早く止みますようにとの願いを込めて、軒先にぶら提げるつもりなのだろう。爪先立ちしてようやく手が届く高さに結わえようと、女は先程から一心に腕を伸ばしていた。おかげで、女が腕を上げ下げする度に襦袢が崩れて肩が露わになり、合わせからは白い太腿が覗いて見えた。女がこちらに気付かないのを良いことに、私は息を殺して、そのあられのない姿を食い入る様に眺めていた。女が部屋に戻った後もしばらくの間、再び女が姿を現さないだろうかと、期待に胸を弾ませながら、同じ場所を見上げていた。


 どのくらいの時間、そうしていたのだろう。気がついた時には、あれ程激しく降っていた雨もすっかり止んでいた。こうなってみると、自分の行動が随分と浅ましく思えてならず、極まりが悪くなってその場を立ち去る事にした。最後に何気なく、目の前の建物へと別れの一瞥を投げかけた時、思いもよらぬ視線とぶつかった。それは、注意して見なければ分からない程僅かに開かれた障子の向こう側からだった。外光の差し込まない暗がりの中でも妖しく光る白い物体がハッキリと見て取れた。その何者かは、私の視線を捉えると慌てた様子で障子を閉めた。その勢いがあまりにも強かったため、障子の閉じられる音が辺りに響くほどだった。それは、先程までの私の行為を咎めるかのような響きに聞こえた。その瞬間、私を満たしていた淫らな喜びは一気に消し飛んでしまい、私はその場所から逃げるようにして走り出した。そして、決して後ろを振り向くことはしなかった。

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