幼児期における残虐性及びその考察
以下は、X高校で提出されたあるレポートの抜粋である。
これを書いた生徒に該当する新入生は名簿に載っておらず、誰が書いたのかは依然不明である。また、このレポートの中で言及されている作品は実在しておらず、その後の経過並びに詳細について我々が一切の報告を受けていないこと、彼の辿り着いた結論が彼を幸福に導いてくれている事を我々が願っているという事実を併せて申し添えておく。
新入生課題 『幼児期における残虐性及びその考察』
『鏡の中の隠者』という作品があります。この作品自体を読んだ事はなくても、その標題から解離性同一性障害(所謂、二重人格)を想像される方は、近年では多くなったのではないでしょうか。人間の二面性を描いたこの作品を引き合いに出すまでもなく、要するに人の心の中には「規則を破ってはいけない」という道徳性と「規則を破りたい」という破壊性の二律背反が存在しているのです。
さて、この作品の作者であるロナウド・ステファンは、かの児童文学『銀の鉤爪』を書いた作者としても有名なのですが、児童文学というのは案外、陰湿で残酷な内容のものが多かったりするものです。ロベルト・キースの『隠された秘密』なんかはその良い例として広く知られているのですが、ベルモット・パウチの『黒い夜』は家族が崩壊していく話だし、ローズ・ヒルダの『小さな王様』に至っては、過酷な運命を背負わされた主人公が哀れな末路を辿るという、何とも救いようの余地が無い作品です。他にも『トマス航海記』で知られるマーティン・ペインの『奇妙な少年』は、読んでいると非常に厭世的な気分にさせられるという作品という事で非常に私の興味をそそりますし、児童文学に拘らなければ、ある種の童歌や童話を上げておけば十分でしょう。そういった作品を子供たちがどういう風に受け取っているのか、すっかり成長してしまった私には、皆目検討がつきませんし、直接聞いてみる機会もありませんが、ある種の残虐性や残酷性を子供は産まれもって身につけている、もしくは、それらを自分達の世界を構築している要素の一つに置き換える事で、いとも容易く受け入れる事が出来るのではないかと考えております。それらの作品が彼らに与える影響は、大人が心配するようなそれとは異なったものではないかという事です。
ここに一つの例をあげる事にしましょう。「ある男の子が、バッタを捕まえた」とします。子供の世界には本能的な序列関係が築かれていますので、彼は瞬時にバッタを自分よりも劣る存在であると認識し位置づける事でしょう。男の子がその後「バッタの足をもぎ取る」という行為をしたとしても、両者に存在する絶対的な関係の中では、男の子が“そうしたい”と思えばそうする事が可能であり、バッタはそれを甘んじて受けるしかないのです。ここで、男の子よりも勝る存在(例えばその子の母親)が現れて、「そんな事をしては可哀想でしょう。離してあげなさい。」と一言口を挟めば、例え渋々であっても男の子はバッタを放してあげる事でしょう。しかし彼がこの時、「バッタを可哀想」と思ったかどうかはこの行為に無関係であり、それこそが子供が産まれながらに持っている残虐性ではないかと思うのです。
次に、不運にもそういった助けを得られなかったバッタが、最終的に弄ばれて動かなくなったとしましょう。それを我々大人は「死」と認識しており、それが非常に残酷な事であると考えています。しかし、大人よりも「死」からかけ離れた存在である子供が、どの程度その実在性を認識しているものなのでしょうか。男の子にとってみれば、それは単に今まで動いていたモノが「壊れた」だけであって、我々が考える残酷という感情は起きていないかもしれません。むしろ、そういう風に置き換える事で日常的に発生する他愛の無い出来事の一つとして処理されているのであれば(子供用オモチャのいかに壊れやすい事か!)、彼の心はそれを残虐な行為であると捉えることは出来ないのです。
ところで、私は限りなく大人に近い年齢なので、模範的な社会人になるべく人前では礼儀正しく過ごし、人を貶める言葉を口にする事もなく過ごしてきましたが、冒頭でも指摘したとおり内面にはそれとは矛盾した感情が渦巻いています。しかし、私は善悪を分離させる事が出来る薬に頼るような愚かな真似はせずに、もっと簡易で効果的な別の方法を試みることにしました。それはある方との出会いがキッカケでした。
私が先の考えを“ある方”に打ち明けたところ、その方は「子供は大人よりも善悪を区別する基準が曖昧である」との見解を私に示してくれたのです。そしてその方はこうも告げたのでした。「この世に絶対的な善悪が存在しない以上、その境界は非常に曖昧である。大体、善悪などというモノは人間が勝手に作り出した概念に過ぎない。それに縛られているのは愚かだ」と。その言葉を聞いて、自分の目の前を覆っていた暗闇が一気に晴れた気分になった私は、近年にない自由を手に入れることが出来たのでした。そして私は彼に請われるままに、私の魂を彼に差し出す決意を固めたのです。その後の経過並びに詳細については後日ご報告する事にして、今回はこれで締めくくらせていただきます。