08
ゼロさんに放り投げられたわたしは、一度天井に頭をぶつけて、そのまま落下した。着地は問題なかったけど、新しいたんこぶを頭のてっぺんにも作ることになり、しばらくは言葉も出来ずにもがいていた。
わかってはいるよ。確かに邪魔物だし、お荷物だ。それでもこの扱いはあんまりじゃないだろうか。
一言いってやろうと思った。でも、できなかった。
ゼロさんは一人、炎のなかで、闇を体に纏わせ魔剣を片手に戦っていた。いや、戦っていた、とは少し違う。暴れるケルベロスのティナ持ちの攻撃を最小限の動きで回避し、剣を振るうことはなかったからだ。
ただ、魔法使いはそうもいかなかったようで、完全な同士討ちとなっている。
状況はわたしにとって都合がいいんだろうけど、人の焼ける臭いを嗅ぎながらそんなことはさすがに思えず、ムカムカする胃を押さえながらゼロさんを目で追った。そして、ゼロさんを追えば同時にティナ持ちも目に入る。
彼は狂っていた。
三つの頭で全く違う顔をして、叫んで喚いて泣いて、傷つけあって壊して止めようと踏ん張って……。
いつの間にか、ティナ持ちのことを怖くなくなっていた。ただただ、悲しくなっていた。
「ケルベロス」
何故か、ゼロさんの低い声は、悲鳴の渦中となったここでも耳に届き、落ち着いた冷静な声は言った。
「一瞬で終わらせる。だから動くな」
ゼロさんの声は胸にすっと収まるような、不思議な声色だった。地獄のようなこの場所には不釣り合いな、落ち着いた流れる水のような声。思わず身を委ねてしまいそうな、そんな声だ。
狂ったケルベロスのティナ持ちもそう感じたのか、時間が止まったように自然に動きを止め、その一瞬の間にゼロさんは塗り潰すかのように、闇で消し去った。
最後に見たのは、涙だった。ティナ持ちが流した一滴の涙。
「よう。無事だったか」
「ゼロさん……」
あの空気を作り出した人物とは思えないほど、軽い調子のゼロさん。黒い無機質な翼を広げ、切れ長の綺麗な赤い悪魔の目を細め、口の端をつり上げて笑っている。
今はあの闇はなくて、手も金属みたいな黒い爪ではない。
終わったんだ、と思った。
「……なに泣いてんだよ」
「わから、ない……」
わからない。わからないけど、頬をぽたぽたと涙が伝っていく。
「なんだか、すごく悲しくて……。ティナは、怖いは、ずなのに………。
ゼロさんは、あの人を……壊してあげ、たの?」
ゼロさんは、切れ長の目を少し見開いただけでなにも言わなかった。
あの悲しい人を。悲しいティナの魂を。
欠片も残さず、この世から消えて。
縛り続けた鎖も消えて。
自由で、安らかで、痛みもなくて。
助けてと叫んだ人の声も、守らなければと吠えた獣の雄叫びも。
生きたいと訴えた人の悲鳴と、終わりたいと望んだ獣の遠吠えも。
耳にこびりついて離れなくて、最後に流した涙がどちらのものかわからなくて。
わたしは大声をあげて泣いた。何がなんだかわからず、こぼれ落ちる涙をぬぐい続けた。
あれが、ティナの最後。
身も心も使われて使われて、自分がなくなって、でも、なくならなくて、磨り減って。
滅んだ種族の魂は囚われて、使われて、使われて、削れていって。
解放されることはなくて。それで………。
「うだうだ泣くな、うっとうしい!」
「だぁぁ!」
鉄槌。頭に鉄槌が落ちた。
「あれが、ティナの末路だ。泣こうが変わらねぇ。とっとと行くぞ」
ゼロさんは懐から取り出した煙草を咥え、ポケットに入っていた何かを砕いた。溢れでた紫の煙はたちまち辺りに広がっていき、深い煙幕の中に閉じ込められてしまった。
「ぜ、ゼロさん!?」
咄嗟に手を伸ばす。視界のない中でもゼロさんは、しっかりとわたしの手を握ってくれた。
「目を瞑ってろ。呼吸も浅くな。あと、うるせぇから絶対叫ぶな」
ふわりと優しく抱きかかえられ、ゼロさんの心臓の鼓動がすぐ近くで聞こえる。泣いた後ではとても優しい音に感じた。
「さて、これから念願の外に出るわけだが」
今までで一番近くにある顔は、いたずらっぽくニヤリと笑っている。
「これから行く場所はケルベロスが守っていた門の先だ。覚悟はいいか?」
ケルベロスが守る門は、地獄への門である。
なんとも意地悪なことを。この先は地獄だと言いたいんだろうけど、そもそもゼロさんはそこから来たんだろうに。
いや、でも、この場合ゼロさんは悪魔だから、地獄は故郷みたいなもの?
……あれ?
「覚悟は、うん、できてる」
結局なんと言われてもわたしの返答は変わらないのだけれども。
「了解だ」
ゼロさんの翼がぐんと広がり、風を巻き起こした。気づけば空中で頬を風が切りぬけていく。
心臓が置いていかれるような気持ち悪さはあっても、死ぬかもしれないという不安はなかった。
そして、わたしは門をくぐり、脱獄を果たした。
これにて一章終了です。
お付き合いありがとうございました。
しばらくは修正に入って、また連投する予定です笑
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