09
イーリス。
アビスシードとかいう人間。
それは、すごい娘だった。
なにせルシファの作った闇だ。触れれば破壊される暴力の権化だ。その中を先ほどまで敵であった妾に任せて突き進む。その後ろ姿に子供とは思えん強さを感じた。
そもそも、だ。
大の大人がへこへこと逃げる妾に、正面きって話をし怯えもせずに喧嘩を売り、何を考えているかと思えばルシファのことのみ。思えば言葉巧みに情報だけ抜かれてしまっておった。子供のくせに厭に話術に長けた者よ。
それから、乗組員全員に倒れるほどの魔法を撃たせ、嫌がる大人を説得し死んでも断ると叫んだ老人どもにも、果てるまで力を使わせた。まさか妾にもかと思いきや、ティナの力は対応外であるらしいの。
いやー、それにしても。
小さな子供相手に、全力で魔法をぶっ放す大人たちの縮図は、なかなかに愉快であった。それをさせたのが子供本人というのが、更に愉快愉快。
それで何をするかと思えば、花瓶の花を咲かせてみたり、手をかざして火を大きくしてみたり。
倒れた船員に魔力をこめてみたり。そして、ハツラツとした船員に、もう一度疲れ果てるまで魔法を撃たせるのだから、ぷくくく…。
面白い。イーリスというアビスシードは本当に面白い。
そして気づけばルシファの扉の前にいて、妾に守れなどと言う。
嫌だと妾は言った。そうしたら素直に頭を下げて頼み込んできた。なんだ、あの船員たちにした強引さを見れば物足りない。つーんと放っておくと、急に血を吐いて倒れるのだから困ったものだ。
何度も言うが、妾に魔力は見えん。見えんからわからんが、どうやら相当な魔力をその小さな身に封じているらしい。こやつの核など、米粒のごとく小さいものだろうに。
まぁ、それでも、妾は「良し」とは言わなんだ。
そしたらなんだ、あのカーバンクル。噛みまくるではないか。
妾は人間嫌いだが、似た立場にあるイタチもどきまで嫌ってはおらん。
だが、こやつ噛む。ものすっごい噛む。「わかった」というまで、自慢の柔肌を何度も何度も噛まれてしまった。あの満足げな顔、忘れんぞ。
扉を開けたのは妾だ。
何があるかわからんから先頭にも立ってやった。
実験として片腕を入れたときは…、もう嫌じゃ、痛い痛い痛い痛い!!妾は痛いのが大っ嫌いだからの!
だが、あまりにも怖がらんこやつを見て、妾も堂々とすることにした。堂々と、死の暗闇の中を歩くことにしたのだ。
見つけたルシファはひどい有様だった。
四肢すべて不完全で、体に血の気がなく、流れ出した血には黒色さえ混ざっていた。
黒は悪魔の証。おそらく、ほぼ堕ちたのだろう。
禍々しい模様が全身に行き届き、力なく倒れている今でも異様な迫力があった。
そして、その破壊の闇の力は今まで以上。妾の血の守りもバリバリと削られていた。
「死のうとしたか、ルシファーよ。死にきれずに腕を貫いたのか」
「止められなくなった時に、自分を行かせないようにしたんだよ」
なんじゃ、その即答。なんか悔しいの。
「ルナ。行ってくる。構えてて」
と、急に飛び出すものだから、妾は慌ててカーバンクルを抱き寄せ、返事をするしかなかった。
そして思い出した。こやつは人間。アビスシードとはいえど人間だ。この闇の中を歩けるのか、と。
杞憂だったようだ。
すらすらと歩く足取りに迷いはない。破壊の闇が傷つけるかと思いきや、何故か避けるように攻撃はない。
なんじゃ、なんじゃ。妾はぼっこぼこにしたのに。いや、ぼこぼこにされるようなことしたから何とも言えんがの!
「のあ!?」
それでも、あやつがルシファに抱きついた時には変な声がでた。嫉妬などではない。妾が求めるのは、そういうのではない。単に危険だからだ。
なにせ死にかけても、あやつはルシファ。破壊の王だ。案の定、イーリスの体はスバスバと裂かれていく。あれの破壊は、服を破壊した次には肉じゃ。代わりがなければ、防ぎようがない。だから、鎧も盾も武器もなければ、代わる代わる魔法を撃てるわけでもないイーリスからすると、対処方法のない相手ともいえる。体ひとつで受け止めるしかないのだから。
それでもイーリスは離れようとはしなかった。
膨大な魔力を手にしたルシファは、すぐさま意識を取り戻し、敵はいないと言わんばかりに体の破壊と再生を繰り返し、己の体に満ちた覇力さえ破壊していく。
ティナ堕ちしかけた肉体を魔力で包み、覇力を破壊し尽くし、ねじ込むように人の物へと戻っていく様は、まるで復讐でもしているかのようで。
ぎらついた赤い眼で、瞬時に対応していった。
あの底冷えするような殺気は薄らぎ、散りばめられた闇も、片手の一振りで消え失せた。魔力をイーリスに与えられたとしても体力は欠片も残っておらんはず。気力のみで成し遂げた、まこと見事な魔力操作だ。
「戻ったか。ルシファ」
「ああ」
ルシファの腕には力なく横たわり、すやすやと眠るイーリスがいる。体の傷を妾の血でふさいでやり、その腕に守護者たるカーバンクルを乗せた。カーバンクルはねぎらうようにイーリスの頬をなめ安堵したのか、ルシファの手に頭をこすった。
「甘えんな」
「うぎゅ」
手厳しいやつ。
「随分静かだな」
辺りを見渡し、ルシファは言った。懐を探るも、いつもの煙草も全部破壊していることに気づき、顔をしかめる。
「イーリスのせいよ。船員全員の魔力を自分に受けて、それからそなたに注いだんじゃ。
今、無事でおるのは妾とそなたくらいなものよ」
「そうか」
「調子はどうじゃ?」
「なんか、数回死んだ。そんな気がする。今はどうもねぇよ。さすがに……どうあがいても全部の覇力は破壊しきれねぇから、ティナ堕ちが、だいぶ進みはしたがな」
「ティナの精神を蝕む声もないか?」
「あれだけ壊したら衝動も収まる。声はまだしてるが、今は泣きごとにしか聞こえねぇよ」
さすがのルシファも、気力と体力が尽きたのか、濃紫の目には覇気がない。服も部屋もぼろぼろで、体は血がこびりつき、髪も乱れている。だが、不思議と美しい姿だった。
「………こいつには借りができたな。手を出したら殺すぞ」
「うむ。妾にそのつもりはない。イーリスは面白いし学ぶべき人物だ。
妾もそなた達には迷惑をかけた故、しばらくは共にゆくつもりだ」
「ああ、そうしろ。お前を銀の前に突き出してやる」
「………………すまぬ、今のなしで」
「悪魔の前に約束の取り消しが聞くかよ」
いつものようににやりと笑うルシファ。
ああ、だめだ。やはりいつも通り、どうしても手に入れたいと思う。
妾はどうやら手放すことができない。しかしそれが人の言う愛によるものなのか、ただの執着なのか。それが妾にはまだわからない。
その答えを知るべきと、イーリスを見て思ったのだ。
ルシファはそのまま横になり、イーリスを抱えたまま眠ってしまった。
寝顔なんて初めて見るが、思えば20そこらの青年。起きているときにはない幼さがそこにはあった。
「ゆっくり休むといい。戻ってきたこと、心から嬉しく思うぞ。ルシファ」
妾はカーバンクルを抱え、二人を残して部屋を去った。
無事であることをあの船乗りたちに教えてやらないといくまい。




