01
歌が聞こえる。
宵闇の 月が美し
夜の星よ この手に宿れ
夜は我が物 天は我が物
漆の翼も紅の眼も惑わしの声も
闇のすべては我が物
「そなたの全ては我の物。我の全てはそなたのもの。のう、ルシファー」
美しい女性だ。
絶世の女性は誰だと聞かれたらこの人を指すと思う。それくらい、怖いくらいに綺麗だった。
月光を受けて金色に輝く鮮やかな赤い髪、長い睫毛に伏せられた赤い瞳。
透き通るほど白い肌を除けば、厚い唇も長い指先の爪も真っ赤。
背はすらりと高く、体つきも美しく、細すぎても太ってもいない。
肖像画のような、彫刻のような、ある意味現実離れした美しさだった。
そんな人がただの一撃で、あの魔物を倒したというのだから信じられない。
「全員逃げろ」
そんな女性を前にして、声色ひとつ変えずにゼロさんは言う。
いつもよりも鋭さの増した目つき。頬には汗が伝った
「あれの目当ては俺だ」
びりっと空気が変わった。
ゼロさんの体を闇がまとい、背に大翼が広がる。
女の人と同じ赤い目は女性をとらえて離さない。
表情を見て、いつもと違うのがわかる。無理をしているんだ。
「い、いやだよ。ゼロさんを置いてにげるなんて」
「熊。頼んだ。抱えていけ。クロもガキについてろ」
「ワシぁいいが、お前あんな美女に声かけられてるってのになんて面してん…」
ばしゃあ。
鮮血が散った。わたしの前にはゼロさんがいて、ゼロさんの前にはあの女の人がいた。血はゼロさんの右腕から滴っている。
「ルシファ。無視はひどい。こんなにも焦がれているというのに。その娘のせい?」
まったく見えなかった。こんなに近くにいるのに、だ。
それは熊おじさんも一緒だったようで目を見開いて、遅れて構えだした。
「わかったろ。お前らは邪魔だ」
闇を薙ぐ。それを飲み込まんばかりの赤が広がり、わたしたちも血の刃で囲まれた。
「どうして。ルシファ。どうしてなの」
どこか泣いているような、酔いしれているような、蠱惑的な声。透き通った声は溢れんばかりの感情を押し殺しているようだ。
「な、なんじゃこりゃ…。おい、ゼロ。説明を」
「吸血鬼のティナ」
「えぇえええ。こんな美女なの?吸血鬼って!いいなあ、ちょっと血を吸われてくれても…」
「血を吸われたら傀儡になるぞ。ヴァンパイアってのはそうやって支配して繁栄したんだと」
「…どこの情報?めっちゃこわいじゃん」
「銀」
会話の間にも血の刃は降りそそぎ、熊おじさんが土の盾で防御し、ヤマトが風でなんとか攻撃を逸らそうと必死になっている。ゼロさんはヴァンパイアのティナから目を離さない。
「ゼロ!だめじゃ!こりゃ粉々にされるぞ!ワシの魔法を貫いてくるわ!」
「僕もちょ、きついよ!スター、もっと力をかして!」
「馬鹿言うなよ。オレ様も限界だ~~~」
「だから逃げろっつっただろうが。俺があんな邪魔でしかないやつを始末できてない時点で察しろよ」
はぁと大きくためいきをつき、ゼロさんはわたしの頭に手を置いた。
「さっさと行け。後で迎えに行ってやるから。お前もクロがいれば死ぬことはねぇだろ」
「死にそうなのはゼロさんじゃん!剣だってないのに!」
「死なねぇよ。あいつは俺を殺せない。殺したいんじゃなくて手に入れたいらしいからな」
そんなのどっちでも変わらないよ!!
「ルシファ、るしふぁ、ルシファアアアァァァア!!!!」
ヴァンパイアが叫び出し、長い髪を振り乱して頭を抱える。同時に血の雨が降り注ぎ、それは槍となってわたしたちに降りそそいだ。
「どうしてどうしてどうしてなの!どうして見てくれないの!?どうして一人にするの!たすけて、たすけて!父さんも母さんも死んだの!一人は怖いのよ!!
だから滅ぼさないと!だからあなただけでいいの!」
意味のわからない言葉の羅列。悲鳴のような血の槍は次々と召喚されていった。
「まかせぃ!!」
それを熊おじさんの魔法で土のドームを作り防ぐ。貫いてきたものはゼロさんが素手で払い飛ばしていた。
「ふふふ、くっくくくくく」
ドームが崩れるのと同時に響く笑い声。先ほどの美しい声よりも、落ち着きをともなった妖艶な声に聞こえた。
「はは、ルシファーよ。そなた弱くなったのか?」
その目には理性の光があった。衣装まで変わり、露出の多い服をマントで隠している。あの狂った様子を見た後では別人に感じるが、それは違うと本能が告げる。
「おまえこそ、抑え込むのに時間がかかったな」
「うむ。どうしてもの。うまくいかぬ時とはあるものよ。
妾には無限に時間があり、そなたを落とすには狂気は不要というのにおかしなことだ」
くすくすとヴァンパイアは笑う。身の毛がよだつほどに美しいその光景に全員が唖然となっていた。
それを見てゼロさんは手近な熊さんに張り手をかまし、空気にあわない甲高い音が響く。
「あんまり見るな。アレは人間を誘惑する」
「っっっっっ。わ、わかった!別人かと思うくらいに様子が違うが…」
「本人だ。様子が違っても中身は変わらねえよ」
痛みにこらえながら熊おじさんは顔を伏せ、わたしをひょいと抱えた。何故かという前に口を塞がれる。
「ありんこ、言いたいことはわからんでもねぇが、あの女はまずい。
魔力感知の欠片もないワシでもわかる。あんな力を奮われるくらいなら、天災にまみえるほうがマシってもんじゃ」
「だからってゼロさんを置いていくの!?」
「ゼロしか対面さえできんってことじゃ。ワシらじゃ足元にも及ばん」
憎々しく、熊おじさんは言った。
「そんなさみしいことを言うでないわ、老人よ。自己紹介をしようではないか」
恭しく、ヴァンパイアは礼をする。その背中に月を携えて。
「妾の名はルナ。100年あまりを生きるヴァンパイアのティナを司る者。
そして、ルシファーとともに夜の世界を統一し、人の世を終わらせる者だ。
短い間ではあるが、記憶にとどめておくがよい」
人の身なりで、人の声で、人の理性を宿しながらルナは言った。
そこに迷いはなく当たり前のような物言いだ。ふざけるなと思っても口にだせないくらいに。
「さっきみたいにとち狂ってないが本質は変わらねぇよ」
ゼロさんは煙草をくわえて、一息含む。
「こいつは自分の意思でティナに堕ちた。それでも自我がある。
ティナとしての考え方に染まったのか、元からそうなのかしらねぇがな。
俺みたいに呑まれないようにして生き残ってるんじゃなくて、完全に呑まれたのに理性を残して生き残ってる特異体質だ」
「呑まれたのではなく、意見の一致と言ってほしいの。なんというか…この力は身になじんだのだ。妾の遠い祖先はヴァンパイア一族なのではないかと疑うくらいに。
ただ、少しばかし、ティナの怒りや憎しみは強すぎた。時折うまくいなくなる程度にの」
くすくすとルナは笑う。
「妾は愛おしいよ。人間も妾もこの世界も。だが、やはり滅ぶべきと思うのだ。
何故かな。妾の世界、それが欲しいのかもしれんな。人間が憎いのかもしれぬ。
しかし、何よりも妾はルシファ。そなたさえいればよい。このような美しい女にそこまで惚れ込まれて喜ばしくはないのか?」
「束縛されるのは嫌いなんだよ」
それに、とゼロさんは続けながら吸い殻を投げ捨てた。
「お前は思い通りにならないから俺が欲しいんだろ。くだらない自己満足に付きあわせるな」
吐き捨てるようにゼロさんは言った。いつもと変わらず、誰が相手でも変わらない。
「ふ、ふふふ」
こらえきれない笑みがこぼれ、花のような笑顔が広がる。長い腕で胸を押さえて心を隠すようだ。
「そう。だからそなたなのだ。妾に屈しない。力の差があれど何も変わらない。
強く、気高く、美しい孤高の王。 嗚呼、欲しい。欲しくてたまらぬ。
世界を滅ぼして、妾たちだけのものにして、そうしたら、邪魔するものはいない。
そなたと妾で、魔の世界を作り上げて、だから…」
狂い始めたルナの姿が消え、辺りは血の海に染まった。地面も空も、すべてが赤。
「必要なのはルシファーだけ。そなたはいらない」
その血の海から無限と思われる腕が現れ、いっせいにわたし達に躍りかかってきた。




