04
何が起きたんだろう。
衝撃と音で頭がくらくらする。
視界は、だめだ。ホコリまみれで真っ暗だし目眩がひどい。
「ゼロさん…?」
声は出る。霞んでるけども聞こえるはずだ。
「ゼロさん、どこ?ゼロさん!!」
「うっせぇ‼」
「いだぁ‼」
拳骨が頭にクリーンヒット。
容赦のない威力に涙が滲んだ。
「でも、よかった…いなくなったかと思った。ほんと、ここ、真っ暗で見えなくて……よかったぁ」
「……は。…つーか、ほんと少し黙ってろ。気が散る」
……ゼロさんの様子が、なんかおかしい。
声が、違う。
「さすがに……きっつい」
暗闇に慣れた目に、だんだんとゼロさんが写る。そして、わたしは息をのんだ。
身体中についた深い切り傷。全身から流れる血は足元に血だまりを作っていた。
息は浅く、目は虚ろで、千切れかけた腕で剣だけは握って。
急いで手を口にあてる。涙は気合いで引っ込めた。
わかってる。静かにしないと。
ここにアラクネの死体はない。だから、まだ戦いは終わってない。
「……動くなよ。少し、余裕ねぇから。間違って斬りそうだ」
そう言うと風切り音、そして液体の飛び散る音が響いた。
いつの間にかゼロさんの持つ剣は緑の体液が伝っている。
「何があったのか、聞いてもいい……?」
「……あの野郎、糸を鉄線みたいにしやがった。ずっと、柔軟性のある糸、だったのにな。まとめれば貫ける程度の力かと思ったら、斬れるものへ変えるとはな。
で、床が落ちて、俺らもミンチになるとこだったってこと」
よく見回してみると、赤い血が伝う糸がいくつも張っている。
これがアラクネの敷いた罠。たぶんゼロさんはそこからわたしを守ってくれたんだ。普通切り刻まれて死ぬところを、わたしは無傷で通れたんだから。
「体の治癒に力を回す。動くものは全部斬るから、絶対動くなよ」
「うん」
それを最後にゼロさんは目を閉じた。リズム通りの呼吸をゆっくりと続けていく。
水滴の落ちる音と、時折ゼロさんの剣が振るわれる音だけの静かな空間となった。
力で体を治しているんだろう。
そんな隙だらけと思える状態でもゼロさんの集中は切れない。気配がする方向へ即座に剣を薙ぎ、蜘蛛たちは死んでいく。わたしは敵の姿さえ捕えきれない。
どのくらい経ったか。
ゼロさんはゆっくりと目を開けた。
「……傷は塞いだが、流した血が多すぎるな。頭が回らねぇし、視力が死んでる。けど、まぁなんとかなるだろ」
ゼロさんは口のなかに残った血を吐き出しながら言った。とても治ったようには見えないし、実際治った訳じゃないんだろう。
「……なにか手伝える?」
「じゃ、体、預けていいか?足まで治してられなかった」
ぷらぷらと揺らした足はさっき縛られていた方の脚。それは膝下くらいから切断されていた。
「‼‼な、なんで」
「切り落とす方が早かった。遅れたら死ぬだろ」
だからといって脚を切り落としたのか。
そもそも、あの一瞬で脚を落としてわたしを守って、粉々になるところを対処して落ちたダメージさえわたしにはないって…。
わたしがわからなくなってるあの一瞬で、ゼロさんはどれだけのことをしたのだろうか。
「ちっ、アラクネも用心深いやつだな。さっさと止めさしにくればいいのに。斬り返したっつったって足の3本くらいどうってことねぇだろ」
いやいや。脚三本なくなったら、用心しますよ。片足でゆらーとたってるあなたが不思議です。
そしてあの一瞬でやり返してたんだね。
足を切って、わたしを守って、罠を突破して、相手を攻撃したのか…。うん…。考えまい。
「作戦は?」
肩を組むというのは身長的に無理なので、わたしの肩に捕まる感じで立つゼロさん。剣はだらんと下に投げ出している。
「次。見えたら殺す」
それは作戦とは言わない気がする。
「……くるぞ」
床や壁が蠢く。大量の蜘蛛たちと同時に姿を現したアラクネ。
足は無く、牙もない。それを補うような大量の糸が体に巻き付いていた。
ゼロさんは動かない。というか動けないんだろう。
傷が塞がったって、血液が戻る訳じゃないんだから。
「我ハ、アラクネ」
キシキシと、体液を溢しながらこちらを見据えてくる。真っ黒な蜘蛛の目に感情はなく、どこか機械的だった。
だが、体の女性の方は違う。憎らしげに怒りの表情を浮かべ、呪うような目線を向けていた。
でも、ゼロさんは変わらない。
わたしにもたれかかって、悠々と見下ろすだけだ。
「ヒト族へ、復讐ヲ」
アラクネの体がぐんぐんと膨らむ。肩を握るゼロさんの手にも力が入った。
「来世で頑張りな」
蜘蛛たちが躍りかかる。同時に肩にかかった強い力でわたしの体勢は崩れた。
大勢の蜘蛛たちに対し、ゼロさんは一人飛翔し向かっていった。
目を赤く光らせ、剣に闇を携え、振りかぶった刃は全てを食い潰さんと漆黒に染まる。それはゼロさんの中に残った力を総動員させたかのような一撃だった。
「憤怒‼」
黒い太刀が空間をも切りさき、蜘蛛たちを飲み込み破壊する。それでも衰えない威力に驚愕したアラクネは、瞬時にその危険性を察知し、持ち前のジャンプ力で上へと逃げた。しかし、それを許すゼロさんではない。
「逃がすかよ」
目前まで迫ったゼロさんは黒く硬化した右手でアラクネの頭を押さえつける。そして悪魔らしくニヤリと笑い、床が砕けるほどの威力で地面に叩きつけた。そして、そのまま巨大な体の上に乗り、深々と剣を突き立てた。
「ギャァァァァァァァアアアアアア‼‼」
だが、簡単にやられるアラクネではない。地に伏せ上に乗られたまま、女の体はその体を霧散させる。
「っっ‼」
「ゼロさん‼」
張り巡らされた鉄線のような糸は無数の細い槍となり、ゼロさんの体を貫き、その糸が毒々しい紫色へと変化した。
あれは、毒だ。しかしゼロさんは変わらず嗤っていた。
「……いいぜ?生まれてこの方、毒ってものが効いたことなくてな。試してみろよ!」
身体中に貫通した糸にも毒にも目をくれず、ゼロさんは片手を掲げた。辺りの闇を集めるかのように、漆のような黒がその手に集まっていく。
アラクネは剣に貫かれた痛みと、目前に迫った驚異的な威力から逃れようともがき、更に糸の槍を生成していた。
これ以上は、だめだ!
わたしは咄嗟に引き金をひいた。
「…………お」
「ピギィァァアア!!!!」
銃弾は吸い込まれるように糸を吐き出す腹の先を撃ち抜き、続いて撃った弾は残りの脚に命中。腹を撃ち抜かれ弱った隙を見逃すゼロさんではなく、そのまま一気に掲げた手を振り下ろした。
黒い闇が全てを飲み込まんと降り注ぐ。その闇は蜘蛛の体を砕き破壊しバラバラと散らせた。本体である干からびたティナ持ちだった体を残して。
そこにアラクネとの繋がりはなく、名残惜しむかのようにベタベタと糸がくっついているだけだった。
「何故ダ、ディアブロ、ナゼ、オ前トモアロウ者ガ、ソヤツ、ヲ、喰エヌノダ……」
人の口から、アラクネの声が発せられる。
この人はもう、この人のものではないんだと、はっきりとわかる声だった。
「人ヲ憎マナイノカ、オ前ハ、マダ、神ニ牙ヲ剥クノカ」
「………うるせぇよ」
「人ノ滅亡ハ、我ラノ願イ。我ハマタ、必ズ…」
「五月蝿ぇ」
ゼロさんの剣がぶれ、人間だった体は呆気なくバラバラになった。
血しぶきがあがることもなく、断末魔が響くこともなく、ただ周りにいた蜘蛛の死骸や糸が次々と消えていく。音もなく、形もなく。残ったのは、干からびた遺体が一つだけだ。
「終わったの?」
ゼロさんはどかっとその場に座り、煙草に火をつけた。まだ炎の石の予備はあったらしい。
「あぁ」
気だるげに、ふうーと立ち上る煙はゆらゆらと揺れる。
あれだけいた蜘蛛やその死骸が消えていく様子は、成仏しているようにも見えるけど、そうじゃないのはよくわかっている。
ティナの破壊は本体を含めた全てを肉一つ、魂一つ残さず破壊してこそ可能な行為。人の体が残り、剣で止めをさされたアラクネは完全に破壊されてはいない。
アラクネは、またどこかで現れるのだ。




