08
「……はぁっ」
リオは息を大きく吐き出し、また自分の姿を消した。
それでも髭面の軍人の目線は自分から逸れない。
目の前には大狐が見えているはずなのに、それにはまったく見向きもしないのだ。
「お前ゼロの仲間か?いや、あいつに仲間はいねぇか。じゃ、協力関係か?いや、どうでもいいか」
「アニキアニキ。もうちょっとまとめて話してやってよ。ちらっと見る限りじゃ超美女だったじゃん。
おねぇさーん。自分にもう一回姿みせてくれませんかー!?」
リオができるのは炎と幻影。
まさか大狐が自分の代わりに戦うなんてことは起きない。
あれは人命どころか虫の一匹も殺すことはできない。
リオが先ほど行ったのは、周りが見えないほどの霧で覆うことから始まる。
これは手を伸ばせば誰かに触れることはできたが、それをさせないために大狐に視線を奪わせた。
大狐に挑んだ戦士2名。あれも幻影である。それに基づく音も臭いも、すべて幻影。
リオが行ったのは強大な獣に恐れを抱かせ、戦意そのものを喪失させることだ。
その中で本物の炎をあびせ、巨大な魔物であるゴルドの爪で倒していく。崖から落ちた者もいれば、死ぬまで焼かれた者もいた。
都合のいい物だけを見せ、音を聞かせ、臭いを感じさせる。
リオはこの空間を支配したのだ。
だが、突然現れたジルたちは違う。
前置きであった不可解な事態を知らない。
魔力を見る目がある。
そして、この状況に対する恐れがなかった。
幻影である大狐にも、実際に存在する魔物のトラにも、実在するならば力で立ち向かっただろう。
リオは唇を舐める。
確かに、自分との相性は格別に悪い。
「すごいねー。何人も崖の下で死んでるよ。怖すぎて空を飛ぶ余裕さえなかったのかなぁ」
「怖い美女。最高」
「お前も3回くらい殺されて来い!」
動いてもばれている。力を使おうとしても当然だろう。
リオは大きく息を吸い込んだ。
「降参」
姿を現し、両手を挙げた。ゴルドに目配せすると、おとなしくその場で座ってくれた。
「おまえさん一人でよくもこんなことできたなぁ」
「狐はずるいものよ」
リオは微笑を浮かべる。しかし頭のなかでは逃走経路を考えていた。
力は弱くてもリオもティナ持ちだ。肉体的な能力では退けをとらない。
「この先にゼロがいるのか?」
「行って確かめたらいい。あの橋を渡ればすぐでしょ」
「いやぁ。どうやらアンタが色々消したりしてるみてぇだしなぁ。危ねぇよなぁ」
心のなかで舌打ちをする。
橋の手前には体を貫く杭を設置し、それを視覚しないようにしていたのだ。
空も、空と見えて鉄線をいくつも引いている。
少しでも速度を上げて飛べば、体はみじん切りにされる予定だった。
「ということで、アンタに先導させるのが一番っぽいな」
「すると思う?これでもあたしはティナ持ちだよ」
「痛めつけるのは慣れっこだ」
髭の生えた軍人、ジルは目の前の九尾のティナ持ちを恐れていた。
自分の手を使わず、あれだけの軍勢を屠るほどの実力がある。
そして彼女の存在があるだけで、当たり前が当たり前でなくなる。
常に足元も空気も隣の仲間さえ、疑って生きるなんて普通の人間にはできない。
運よく生き残れたとしても、説明がつかず理解のできない恐怖を拭い去るには時間がかかるのだ。
軍団の敵とするならば、ある意味ではゼロ以上の脅威かもしれない。
そうジルは考えていた。
「良い子にしてれば傷つけたりはしねぇよ」
嘘だ。リオは構える。
この男は殺す気だ。
「アニキ!美女を殺すな!まじで!」
「お前ホント黙っててくれねぇかな!!!!」
一瞬緩んだその空気を見逃さず、リオはティナの力を総動員して駆け出す。
同時にゴルドも立ち上がり、耳を貫くような咆哮を轟かせた。
常人なら追うこともできない。見逃して終了だっただろう。
ただし彼らはゼロを追っている軍人で、その中でも一名稀有な存在がいる。
「ざんねん!」
「っぐうう!」
同じティナ持ちで、戦闘の中で生きてきたシュウはらその速度になんなく追いつき剣で切り裂く。
その間に軍人たちは目も向けずに雷を放ち、風圧で動きを止めんと唸りを挙げる。
リオはなんとかそれを避けるも体勢は崩れたままだ。
「がおっ!」
ゴルドの特攻。巨大な体躯での突撃を風の壁が阻んだ。
「美人ちゃん。自分ら、結構強いからさ。おとなしく言う事聞いてくれない?」
ふざけるな、とリオは思う。思いながらも、逃走先が見つからなかった。
彼らは目配せもなければ声掛けもなく、それぞれが最適な行動をとる。一人を相手するならともかく、3人を相手取るのは不可能と思えた。
切られた足から血が流れる。ずくずくと痛みが走る。
こんな痛みを、ゼロは何度味わいながら戦っていたのだろう。
「だめだな。この狐っ子、心が折れねえ」
「そりゃ、ティナ持ちだもん。精神力はつよいよ」
「心折れてくれよぉぉぉお」
「お前もうホント黙って」
やるだけやる。リオはそう決意して炎をためる。
青い炎はそのまま広がり、ジルたちもそれを見て構えた。
「狐っ子。もう殺して進むぞ?」
「軍人ってそういうもんでしょ」
睨み合いが始まる。
一触即発。いつでも力の応酬が始まる空気だった。
『あー……テステス。聞こえるか?』
街全体に声が響く。突然の通信に誰もが動きを止めた。
その気だるそうもよく通る低い声は、ここにいるもの全員に聞き覚えがあった
「…っゼロか!」
『そろそろ到着したか?ジジイども。俺は今アガド牢獄の攻略中だ。結構広いし、おい邪魔すんな!………人も、多いな。殺しても殺しても湧いてくる』
「おい!通信機が置いてある部屋ってどこだ!?」
「ここだったかな。なんでこんなとこいんだろ?あいつ」
ジルたちは戸惑う。
しかし、リオはわかっていた。
『軍人に兵士か。えー………あー、いいや。めんどくせぇ。
用があるのはジジイ。お前らだけだ。誰か殺すなら覚悟を持てよ?今俺の手の中にはちいせぇガキがいてな』
「っっっ!!」
『人質にでもと連れてきたけど、今回俺の味方をしてるやつが殺されたとわかると……手が滑るかもしれねぇな』
「………あの外道が!」
「いやアニキ。たぶん嘘って」
「嘘だとしても本当かもしれねぇから危ねぇんだろうが!」
リオは空を眺めた。
夜空に響くその声は、明らかに自分のためにゼロがしていることだ。
『狐。契約完了だ。術関係も全部解いて失せろ』
そして契約という言葉まで使って、強制されたものということにした。
ゼロの用いる契約を、あたしも知っている。あれに、抗える者はいない。
ああ言えば、あたしは協力者というより奴隷だ。噛みしめた唇からは血の味がする。
「ぐるるるる」
「……わかった。行こう」
ゴルドに跨り、リオたちは姿を消す。今度は止められるようなことはなかった。
『……最後にアガドの人間ども。手柄を立てるなら今がチャンスだ。10分ここで待ってやるから、一緒に遊ぼうぜ。
それから狐。助かった。お前の作った時間で俺の目的はほぼ完遂した。ゆっくり休め』
ゼロの声はここで終わった。