「エゴだ。君も私も、一方的な愛の押し付け合いだ」
「それで、何で僕だけだと思ったんだけど」
「うん」
「多分僕、よるの記憶を思い出させるためにいるんじゃないかって」
「え?」
君は私の手を取り立ち上がる。向かった先は昨日開かなかった部屋の前だった。
「さっき三つ質問したでしょ」
「うん」
「あれは全部僕にとって大切な事で、よるに憶えていて欲しかったことだ」
君はドアノブに手をかける。昨日と同じように、その扉は開かない。
「そして、この部屋も。僕にとってよるに忘れてほしくなかった場所だ」
扉の向こうを思い出そうとするも、何一つ思い当たるものはない。
「僕は全部憶えてる。よるが何の仕事をしていて、あの日何をしていて、この部屋に何があって。そして、何で僕が事故にあったのか」
まあ、事故にあったのは完全に不注意なんだけどねと言葉を続けたので、私は思わずその腕を叩く。
「痛!でも何でその不注意を起こしたのか、何をしようとしていたのか。最後まで何を言おうとしてたのかを僕は憶えているし、よるは知ってるはずだ。僕が死んだ後の世界を見て、僕が死んだ後母さんから聞いたはずだろうから」
母さん。君の母親だ。美人で君にそっくりで、芯が通ってて美しい女性。憧れを抱くくらい素敵な人で、子供の頃から優しくしてくれた。大人になった後でも頻繁に会って話をして、時には二人でどこかに行くくらい仲良しだった。私にとって母のようで、友達のような、そんな存在だった。君と二人で住み始めてからはよく家に遊びに来てくれたものだ。
「僕は憶えていてほしい。よるが何を見て何を思って、僕が何を伝えたかったのか」
君は扉を背に私に向き合った。その表情は死ぬ直前に見た悲しそうな笑顔で、胸がぎゅっと痛んだ。
「僕の口から言うことも出来るんだと思う。でも、それじゃあ意味がない」
君は私の右手首を掴んでまた歩き出す。障子を開け放って縁側に出た。太陽の光は痛いくらい眩しくて、庭先の向日葵は光を反射して目に残光を残す。風鈴が鳴って君が振り返った。逆光でその表情は見えなかった。
「僕が思うによるが自分で見て、自分で思い出さなくちゃいけないと思うんだ。でも一人じゃ思い出せない。先に死んだ叔父さんには、僕が死んだ理由を教える事が出来ない。まあ、伝えたかった事は随分前からばれてたけど、それは今言わなくてもいい話だ」
「何それ知らない」
「よるが思い出したら教えるよ。僕はよるに思い出してほしい。思い出した先に待っているのが、死か生かは分からない。この世界からさよならをして現実に戻るのかもしれないし」
「嫌だよ」
「最後まで聞いてよ。それとも全部思い出した上で死ぬのかもしれない。どちらかは分からないけど、思い出さない限りここで立ち尽くすんじゃないのかな」
言葉が脳内を反響する。ここにいたい。出来ることなら、永遠にこのままで君と二人で時を過ごしたい。けれどここにいる限り何一つ解決せず、君はずっと天国に行けないままで、私はそれを足止めするんじゃないだろうか。
思わず下を向いた。忘れてしまった事をもう一度思い出す事が出来るのだろうか。このままでいいと、思ってしまうのは罪だろうか。死と生の狭間を永遠に漂うのはいけないだろうか。君だけいればいいと思うのは、君にとって最低なのではないだろうか。
「よるの考えてること当てようか」
「え?」
「このままここにいたい。でも、自分がここにいれば僕を縛ることになる。とか思ってるでしょ」
「何で分かるの」
「分かるよ。何年一緒にいると思ってるの。何年君だけを見てると思ってるの」
一人庭先に出ていた君が屋根の下に戻ってくる。私の前で大きな影を作った君は両手で私の頬を包み込んだ。
「エゴだよ」
「は?」
「エゴ。全部エゴ。思い出してほしいのも、生きていてほしいのも全部僕のエゴだ。よるの気持ちを無視した僕のエゴだ」
私の気持ちだってエゴじゃないかと反論しようとしたけれど、君の瞳がそれを許さなかった。
「でも僕はよるに思い出してほしい。生きていてほしい。叶うなら僕が隣いて幸せにしたかったけれど、もうそれは二度と叶わないんだ。だから、ただ生きていてほしい。僕の見たかった世界を見て、僕の知らないことを知ってほしい。それで寿命を迎えて死んだ時、僕にその全てを教えてほしい」
治まったはずの涙がまた溢れそうだった。両頬に添えられた手を掴んだ。力を入れたけれど、君にとって私の力なんて屁でもないんだろう。
「ご存知の通り僕独占欲強いから、僕の他に好きな人と添い遂げてほしいとかは言わないよ。そうなってしまったらしょうがないけど」
「しないよ。だからそんな事言わないで」
「うん。だからどうなるか分からないけどさ、僕と一緒に忘れた記憶を取り戻す旅をしない?」
「旅?」
「旅っていうか探検かな。子供の頃、この町を二人で探索したでしょ。色んな場所に行って色んな話をした。だからもう一度、それをしない?今度は記憶を辿る探検だけど」
そして君は言った。
「もう一度、あの夏の日々を繰り返そう」