「前へ進め。君を生かすために」
希望とはどんな形をしているだろう。絶望とはどんな形をしていただろう。明けぬ夜はないように、絶望は永遠に続くわけではない。月明かりすらない夜を越えた先に握りしめていたのが一筋の希望だとするのなら、それに縋って歩き出すのが人間だ。
三時過ぎ白藍の空に月が浮かんでいた。この世界でも変わらず、それは存在し続けた。眩しさに目を細めながらも一枚の絵だけを握りしめ空いた右手で君の手を掴んだ。君が笑うから私も微笑んでみた。花火が咲いた次の日の午後、私たちは坂道を下ってバス停を目指していた。海岸の前に設置されたバス停はやけに輝いているように見えた。
錆びれたベンチに腰かけ、くだらない話を始める。
「そういえばよる、僕の私物どうしたの?」
「服とかは捨てたけど小物とかは残ってるよ。でもあんまり手つけてないんだよね」
片づける気が失せちゃってと言葉を続ければ、君はそっかと言いながら何か考える素振りを見せた。
「何?」
「じゃあベッドサイドに置いてた棚の一番下開けた?」
「開けてないよ。あそこ何も入れてないじゃん」
「そっか」
君は納得した表情で、帰ったら開けてと言った。その言葉に頷く。
「あおい、あのね、私戻るよ」
昨日の夜、花火が終わった後で抱きしめられながら君に言った言葉だった。私の身体を離した君は、本当に?と問うた。私は一度頷いて息を吸った。止まらない涙を手の甲で拭い君の目を見た。
「生きて帰る。あおいのいない世界に、一人で帰るよ」
「理由を聞かせて」
「記憶を取り戻す前までは自分の事しか考えてなかったの。あおいと一緒にいれるなら死んでいたって構わないと本気で思ってた。でも、取り戻してからは違った」
君のいない世界に価値なんて見出せないと思っていた。君がどれだけ私を返そうとしても、絶対動いてやらないつもりだった。
「やり忘れた事があるの」
託された空想がある。否定したいコンテンツがある。君の人生を有り触れた美しい結末だなんて言わせるものか。
「あおいの物語を書きたい」
正確に言えば私とあおいの、と言葉を付け足す。
「何も知らない誰かがあおいを語る事が嫌だった。止められない自分も嫌だった。だから、私が伝えたい。月代あおいが本当はどんな人間だったのか。貴方をコンテンツにしたその全てを否定したい」
「今度はよるが僕をコンテンツにするの?」
「そうだよ。世間の全部を否定したい。月代あおいは太陽なんかじゃない、月明かりのような人生を歩んだ人間だったって、私たちを傷つけ追い詰めた全ての人たちに言ってやりたい。この手で作れる全ての空想を描いて、有り触れた終わりだったって言う言葉を否定したい」
この手に神が宿ると君が言ったから、この手でこの夏の空想を描いてやろう。君の人生を描こう。私たちを描こう。紙の上で物語が息をしているというのなら。
「あおいは死なない」
私の中で、描かれた紙の上で息をし続ける。忘れ去られることなく生き続ける。
私にしか語る事が出来ない君がいる。私が戻らなければ君は忘れ去られてしまう。コンテンツにされてしまう。君が生きてどんな人生を送ったのか、それを描けるのは他の誰でもない、私だ。
「だから帰る。あおいが生きた証を残したいから。この手にまだ希望が残っているのなら私はそれに縋りたい。生きて生きて生き続けて、あおいをコンテンツにした全てを否定した上で死にたい」
君は突然声を上げて笑った。腹を抱えて笑い続けた。真剣な話をしているというのに突然笑い始めた君の身体を叩く。
「何で笑うの!!」
「いや、だって、想像以上に理由が面白かったから…」
「こっちは真剣に言ってるのに!」
「ごめんごめん」
深呼吸をした君は私の頬を撫でた。
「僕の好きな涼風よるなら、そう言うと思った」
愛おしそうに私の頬を何度も撫でる。親指の腹が目じりをなぞった。
「強気でちょっと頑固。曲がったことは許せなくて、心優しい人」
「頑固は自分じゃん」
「よるには負けるよ」
笑みを浮かべる頬をつねってやる。しかし、君は気にも留めなかった。
「生きてよ」
その言葉に、手を下ろした。
「よるは僕の生きた証だから」
声が出なかった。どんな言葉を言っても、この一言の前では意味を持たない気がした。
「生きてもういいやって思った頃にこっちに来て、思い出話をしてよ。僕はずっとここで待ってるから」
そして君は言ったのだ。
「この夏を終わらせよう」




