「思い出なんて灰と同じか?」
行きに見た入道雲は夕立ちの予兆だったことに気づく。ゲリラ豪雨が起きる時はいつだって入道雲が空に浮かんでいた。帰るまでに降りませんようにと願いながら管制室の扉を開ける。百八十度眼前の海を見渡せる作りの管制室にモニターなんてものは付いていなかった。ただ、よく分からないスイッチがびっしりと並んでいる。君はキャスター付きの椅子に座ってスイッチを押そうとした。それを見て私はその手を止める。
「ちょっと待って。何押そうとしてるの?」
「押したらよるの記憶戻るかなって」
「戻らないよ!大体どこ押すかも分からないでしょ!?」
「あの赤いスイッチは押しちゃ駄目って事くらいなら分かるよ」
「そりゃそうだよ!」
右上の大きな赤いボタンを指差した君の手を叩く。何て事をしようとしてるのだ。それは確実に緊急事態を告げるためのボタンである。知識がない私でも分かる。それを押せば確実に大きな音が響き渡り大惨事を起こすだろう。
君は適当にボタンを押していく。三つ目のボタンを押した所で目の前の景色が明るくなる。どうやら灯台の灯りがついたらしい。
「子供の頃もこうやってボタンを適当に押して電気つけた」
「もう何も言わない」
楽しそうな君を他所に私は立てかけてあったパイプ椅子を開きそこに座った。外を眺めながら頬杖をつく。そもそも、何故ここに来たのだろうか。意図が読めないのだ。君は一見何も考えてないようだが、間違いなく意図があってここに連れて来ている。昨日向かった神社は初めて会った場所だった。帰りに寄った駄菓子屋はいつも足を運んでいた場所。
ではここは何だろう。
私の記憶ではここに足を運んだのは二回だけだ。一度目は昼過ぎに探検をしてここに忍び込んだ。地元の大人に見つかって怒られた。二度目は君が怖い話をして私が泣き出した夜。まさかトラウマを思い出させるために連れて来たわけではないだろう。
「どう?思い出した?」
「何が?」
「ここで何をしたか」
「全然。それって二回目?」
「そう。夜来た時」
ますます分からなくなって頭を抱えて唸る。君は椅子を動かして回りながら置いてあったペンを手に取り手遊びをしている。
「多分同じくらいの時期だよ」
「夏の終わり?」
「よるが好きだった風物詩」
「風物詩…」
「もう答え言っていい?」
「その方がありがたいんだけど」
君は手を止めて窓の外を指差した。
「花火」
「はな…び」
「毎年夏の終わりに上がる海上花火。よるに特等席で見て欲しかったからここに連れて来た。まあ、よるは泣いちゃって花火が上がる度に音にびっくりして震えてたけど」
花火。家を出る前にも聞いたその単語に頭が痛くなった。何故忘れていたのだろうか。確かに、毎年の楽しみだった。花火というものが好きだった。真っ暗な空に鮮やかに咲く光の花が美しくて目を奪われた。手持ち花火のシンプルでどこか奥ゆかしい雰囲気も好きであったが、夏の夜を飾るのは大輪の花であると思っていた。この町で見る花火も、東京で見る花火も、場所は違えど美しいものであった。
「あおい」
「何?」
「…私何を忘れてる?」
子供のように椅子で勢いをつけて管制室を回っていた君の足が止まる。
「花火。一緒に見たよね?」
「見たよ」
「じゃあ何?何で思い出せないの?あおいが東京に出て来てからも毎年夏に行くって約束した。したのは憶えてる。でも行った?」
「行ったよ」
「でも何か引っかかる。ここまで出かかってるのに出てこない」
懸命に思い出そうとする私を見て君は困ったように笑った。その笑い方は一昨日こちらに来た時と同じ、今にも消えてしまいそうな儚い表情だった。
「僕からは言えないよ」
だってよるが思い出さなくちゃ意味がないんだと言って椅子から立ち上がった君はこちらにやって来る。
「それって凄い大事?」
「めちゃくちゃ大事」
「そんなことを忘れてる私って最低だね」
思い出せないと言って俯く。君に言われるまで思い出すことさえ出来なかったのだ。花火が好きだった事。ここに一度見に来た事。この町にくる度海上花火を見てた事。
「最低ではないよ。よるにとってそれはいい思い出ではないかもしれないから」
「何で?」
「だって忘れたくて忘れたんだ。心の防衛本能ってやつ?悲しくて傷ついて思い出したくもないから蓋をしたんでしょ。どっちかって言うとそれを思い出そうとさせてる僕の方が最低だ」
「そうだね」
「あ、否定してくれないんですね」
「ずっと思ってたから。いくら大切であっても私が忘れたかったから忘れたであろう記憶を思い出させようとするあおいは中々酷いなって」
「だから最初に言ったじゃん。これは僕のエゴだって」
エゴだ。酷いエゴだ。思い出そうとする度頭が痛くなる。思い出すなと言わんばかりに私自身が無意識のうちに脳内で警報を鳴らしている。本当はこのままでいたかった。けれど、もう無理だ。一度引っかかった事は気になってしまう。人間とは浅はかな生き物である。自らが蓋をした記憶を好奇心で再び開けて傷つけようとするのだ。例に漏れず私もその一人であった。




