「どうしようもないと言っておいて、それでも君が好きだとか」
「夜に一人でコンビニ行くなんて危ないよ、何かあった?絡まれた?」
午後十時にもなっていないし、もっと帰りが遅い日もあるんだから心配されるほどでもないと頭の中でツッコミを入れる。君の手を振り解き鍵穴に鍵を差し込んだ。玄関を開け当たり前のように中に入ろうとしてくる君を押してドアを閉めようとするが君は隙間に足を入れ両手で開けようとしてきた。
「いや、何で!?」
「帰って!!」
「だから何で!?」
「会いたくないから帰ってって言ってんの!!」
「僕何かした!?」
「しまくってるから会いたくないって言ってるんでしょ!!」
一枚の扉で押し問答を繰り返すが、こちらが劣勢である事に変わりはなかった。男性の力と女性の力は雲泥の差である。いくら引っ張り合おうともこの扉は閉まらない。
「はあ!?何で!?確かに忙しくて一か月くらい連絡取れなかったけどさ!」
「それもあるけどそうじゃない!!」
「じゃあ何!?言葉にしないと分かんないよ!!」
ど正論の言葉に気を緩めた瞬間扉が開け放たれる。肩で息をする君が一瞬で私の部屋まで入ってきて鍵を閉めた。私は一歩ずつ後退り君から離れていく。閉め忘れた窓から風が吹き込んだ。
「何で」
いつもは怒らない温和な君が珍しく怒っている。眉をひそめ低い声を出し脱いだ靴を放り投げた。手には先程まで私がいたコンビニの袋が下げられていた。
「言ってくれなきゃ分からないんだけど」
握っていた袋が落ち床に転がった。それを拾った君は自分の袋と一緒に机の上に置いた。後退りする足に固い感触が当たりバランスを崩し尻餅をついた。柔らかい感触でいつの間にか自分が窓際に置かれたベッドまで来ていた事を知る。ワンルームの狭い部屋ではここが最後の砦だった。後ろにはもう何もない。ベランダは自家栽培の花壇が置かれているため人一人立てるくらいのスペースしかない。私の逃げ場はあっという間に無くなってしまった。
私の目の前に立ち尽くした君の額からは汗が伝っている。目を見ることが出来ず視線を下げれば、水彩柄の絵がプリントされたシンプルなTシャツとカーキ色の七分丈のズボンが目に入って、雑誌の中で見た君とは違い等身大の君がそこにいた。片手で持っている鞄の中から紙の束が見えて台本である事が伺える。有名になってきたのにも関わらず帽子や眼鏡をかけて変装一つしない君は相変わらずであったが、今はその目を見て話す事が出来なかった。
「よる」
これほどまでに名前を呼ばれて嫌になった事があるだろうか。頭上から重たい空気がのしかかる。君の声に顔を綻ばせていた私は、見た事もない君の姿に口を開く事を忘れていた。普段から温厚な人が怒った時の怖さは君と喧嘩をする中で身に染みて実感していたが、これは違う。重みがまるで違っていた。
「何で?彼氏出来たからとか」
「そんなわけないじゃん!」
思わず顔を上げれば怒りを顔に浮かべながらも傷ついた顔をしている君がいた。その顔をしたいのは私の方だ。何も教えてくれなかったくせに。
「じゃあ何で」
このままでは何も変わらない。逃げ場は既に消えた。君の手から離れて家を出ることも不可能だろう。
観念して溜息を吐いた時、玄関先の攻防の中で止まったはずの涙が再び頬を伝い始めた。とめどなく溢れる涙は視界を歪ませて君の表情を見えなくさせた。両手で必死に拭うも止まる事を知らず熱が零れ落ちていく。太ももに落ちた涙が冷たくなってショートパンツに染みを作った時、君が私の名前を呼んだ。
「…泣かないでよ」
目元を擦っていた私の手を掴んだ君はベッドサイドに腰かけた私の前で膝を立てている。ゆっくりと親指で溢れる涙を拭っていく。しゃっくりのような嗚咽が幾度となく出て肩を震わせた。
「…嘘つき」
「え?」
視界は歪んだままだから、君がどんな表情を浮かべているのかも分からない。滲んではぼやけていく君に、ようやく言えたのは傷つける言葉だった。
「…主役が決まったのも、東京に住み始めたのも教えてくれなかった」
途切れ途切れになりながらも、雑誌で知った真実を口にする。君は何かを言いかけたがそれを遮り言葉を続けた。
「主役が決まったら、一番に教えてくれると思ってた。東京に来るまで待ってて、って言ったから待ってた」
いつかの約束を心待ちにしていた私が馬鹿だったのか。それとも、あの日の出来事なんて忘れてしまったのか。離れていく距離と遠ざかる気持ちはいつだってセットだ。私がもっと可愛げのある女だったら違っていたのかもしれない。新生活を充実させながらも、君に会いたいと正直に言えていれば変わっていたのかもしれない。仕方がないと強がっていたから、こんな結末が訪れたのだ。
「私ずっと待ってたよ、あおいがこっちに来て返事をする日を待ってた。でも教えてくれなかった」
相手のためを思って取らなくなった連絡は、自分のためでもあった。少しずつ離れていく距離に勘づいて自分を正当化させるために君だけのせいにした。私だって忙しかったけれど、話す時間はいくらでもあったはずだ。
「しょうがないと思ってたよ、芸能界には可愛い子が腐るほどいるし好きになるのもおかしくないと思ってた。でも、私のこと好きじゃなくなってあの約束は無効になったなら、一言でもいいから教えて欲しかった」
自分で言った言葉に傷ついて更に涙を流す。しかし、私にも非はあるが、君にだって非はある。いくら忙しいと言えど、慣れない環境であれど、私に手段があったように君にだって手段があったはずだ。
今日来たのだってきっと終わらせる一言を言いに来たのだという事も、もう気づいている。だからこそ先に言いたい事を言ってやろうと思った。言えないまま傷つけられるのは嫌だった。




