「勝手に置いて行ったくせに、一人にしたくせに」
「あおい…?」
恐る恐る名前を呼んだ。唇が酷く乾いて動かす度に震えてしまう。君は微笑んで親指で私の涙を拭った。
「うん、久しぶり」
ベッド脇に置かれた椅子に腰かけた君は三年前の姿のままだった。
「あおいだぁ……!!」
君に飛びついてその首に腕を回す。一瞬よろけたが持ち堪えて抱き着いてきた私の背中に手を回した。その手は私以上に力がこもっていて、痛いくらいに抱きしめられた。
肩に顔を埋めていなくならないように必死に力を込めた。涙は止まるはずもなく、君の服を濡らしていく。嗚咽は激しさを増し、それに気づいた君は私の背をゆっくりと撫でていた。
「本物?偽物じゃないよね?」
「本物じゃなかったらよるの名前呼ばないよ」
「私が作った幻かもしれない」
「いや、信じてよ」
少しずつ落ち着いてきた涙を拭いながら、ゆっくりと首に回していた手を緩めた。視線を上にあげれば君と目があって、また涙が零れ落ちた。
「そんなに泣かないで」
服の袖で私の涙を拭く君の瞳にも涙が浮かんでいて、ああ、本物だと思ってしまった。泣き虫な所は変わらないままだ。
「何であおいがいるの?私さっき車にはねられたんだよ」
「知ってる。あれほど横断歩道は走り出すなって言ったのに車にはねられた時は気が気じゃなかった」
「あおいだって人のこと言えないじゃん」
「うん、だから。よるが同じ死に方で死ぬと思うと気が気じゃなかったんだよ」
同じ死に方。その言葉に再び君の目を見た。
「私死んだの?」
君は何も言わない。そうか、死んだなら納得出来る。目の前に死んだはず君がいて、再び会えるなんて、奇跡があっても起きない事案だ。けれど、それでもいいと思った。現実に戻った所で生きたいとは思っていなかったし、死んで君と一緒にいられるのなら私にとってここが世界で一番幸せな場所だ。
「死んでないよ」
「え?」
「死んでない。まだ。今のよるは生死をさまよってる状態」
現実世界のよるはまだ生きてる、と言葉を続けた君に、私は思わずうなだれてしまう。
「何でがっかりしてるの」
「いや、死んでなかったんだなって」
「死にたかったの?」
「死にたかったよ。死にに行ったわけじゃないけど」
だって貴方がいない人生に意味なんて見出せなかったから、と言えば、君は私の肩を掴み自分から引きはがす。
「なに?」
「先に死んだ自分が言えた口じゃないけどさ、僕は生きてほしい」
「嫌だよ、戻りたくない」
「でもどうすればよるが戻れるのか分からない」
頭を抱えた君をよそに、私はもう一度周りを見渡した。先程は気づかなかったが、ここは叔父夫婦の家だ。初めて君に出会った港町にある古い日本家屋で、私がこの町に来る時はいつもこの部屋を使っていた。綺麗なベッドが古びた和室にポツンと置かれている様が少しおかしいが、私はこの部屋が好きだった。
窓の外は街灯が町を照らしている。その上には月が光っていて幻想的だと思った。
「ここは現実?」
「違う、白昼夢。現実と夢の狭間みたいな所」
「白昼夢ならあおいは偽物じゃん」
「だから偽物じゃないって。よるが死ぬかもしれないと思ったらここに来てた」
大体僕だってと小言が始まったから無視した。私が死のうが死ぬまいが、先に置いて行ったのは君の方なのだ。だからどんな小言も説教も聞き入れる気はなかった。
「ここ人はいる?」
「いないよ。さっき見てきたけど叔父さんも叔母さんもいなかった」
「二人きり?」
「多分」
「最高だ」
何てご褒美。神様ありがとうと思わず空に向かって合掌した。君は苦笑していたが私にはこれが一番の幸せで、一番の願望だったのだ。このままここにずっと居続けられるよう願うしかない。死んだとか死んでないとかもうどうでもいい。お願いだからこのまま時を止めておいてほしかった。
「僕はよるに戻ってほしいけどね」
「戻ってもやる事ないもん」
「生きていてほしいよ」
「勝手に置いて行ったのに?ずるいよそれは」
ベッドから立ち上がって家を探索する。戸の建付けは悪くて力を入れなければ開かなかった。暗い廊下が続いて足元を取られそうになる。後ろからついてきた君はまだ、私を戻そうとしているようでそれに腹が立って冷たくあしらった。