「今の私には、やりたいことも叶えたい願いもなかった」
「それで、何か思い出した?」
縁側に座り食べやすい大きさにカットされた西瓜を頬張る。瑞々しい果汁が口の端から零れ急いで口元を拭う。口の中に残った種を庭先に勢い良く飛ばせば隣にいた君も同じように種を飛ばした。
「思い出したように見える?」
「見えない」
もう一口、冷えた西瓜を咀嚼する。舌の上で種を転がしながら数を数える。夜は一層暗さを増していて昨日と変わらず月が空に輝いていた。
「一日で全部思い出せたら忘れた意味がなくない?」
「確かに」
連続で種を飛ばしていく。咲き誇る向日葵に当たって花が僅かに揺れた。
「そもそも何で忘れたのかが分からない」
忘れる理由が分からないのだ。記憶喪失になる理由は外因的なショックと内因的なショックがあるらしいが、前者の場合事故にあった衝撃のせいだと言えるだろう。しかし、もし外因的な要因であればそれまでの事を全て忘れているだろうし、一定の時間が空けば元に戻るはずだ。そう考えると後者である可能性が出てくるが、もし内因的なショックだとすれば私は君の存在を忘れるだろう。それ以外考えられもしなかった。
「僕としては早く思い出して現実世界に戻ってほしい限りだけどね」
「戻る気はないけどね」
頑固だ。君も私も。隣に座っているにも関わらず顔も見ないまま、外の景色を眺めながら西瓜を口にする。赤い部分が無くなってお皿に手を伸ばせば君も同じタイミングで食べ終わったようで一番大きい塊に手を伸ばしていた。その塊を横から奪い取って頬張る。君の嘆きが聞こえたが無視だ。
「大きいやつ取った」
「これ切ったの私。私に権利がある」
「横暴だ」
「どうぞ勝手に言ってください」
私の肩を揺らしてくる君を見ず再び西瓜を口にした。先程口に入れたものよりも温くなっていて夏の暑さがどれだけ強いのかを思い知らされた。既に太陽は落ちたというのにも関わらず蒸し暑さが続いている。昨夜も気温が高い気がした。頬に当たる風が冷たくないからだ。
「何でそんなに戻りたくないの」
君の問いかけに大きく開いた口が閉じてしまう。口元まで運んだ西瓜を膝の上に置いた。視線の先にこぼれた西瓜を狙いに蟻が群がっていた。
「何もないから」
蟻は協力して西瓜を小分けにし、運び始める。彼らの小さな身体では重たいのだろう。横にふらつきながらも懸命に足を進めていた。
「何もない?」
「うん。何もない」
大方西瓜が無くなった頃一匹の蟻が遅れてやってきた。辺りを見渡して跡形もなくなった果実の周りを回り足を止める。その姿に同情してしまって手元の西瓜を爪で小さくちぎり蟻の前に置いた。蟻はそれを持ち上げゆっくりと巣に帰っていった。
「やりたい事も叶えたい願いも無くなった。戻ってもあおいはいないし死んだような毎日を過ごすだけならいっそ死んだ方がまし」
君がいなくなってから、何もかもが灰色になった。世間は君をコンテンツにして私を責め立てた。何もない私から君との思い出まで奪おうとした。君の死は美談となり私の知っている君とはかけ離れた偶像がメディアに流された。




