「君が演じた誰かを描いた。その誰かは世間にとってヒーローだった」
本殿の裏側は軽石が敷かれておらず、むき出しの土のままだった。近くにあった木の枝を拾って落書きをしてみる。
「カモメ」
土の上に描いたものは先程見たカモメだ。飛んでいる瞬間が綺麗だった。我ながら上手く書けたのではないだろうか、開いた羽は今にも羽ばたきそうだ。
「アイス」
次に先程食べたいと話したアイスを描いてみる。子供の頃に食べていたソーダアイスは棒が二本付いていて真ん中で割れる。誰かと食べるために作られたアイスだった。これをよく分け合った。値段にすると約六十円。三十円ずつ出し合って帰り道歩きながら食べた。安っぽいソーダの味が大好きだったが、私たちが大人になった頃、いつの間にかあのアイスは世間から消えてしまっていた。
「どこかの誰かが好きだったスーパーヒーロー」
子供の頃、君が好きだった日曜朝のスーパーヒーローを描く。あの頃はまさか、憧れが現実になるなんて思いもしなかった。
君は何も言わずに私の描いた絵を見ていた。そして私の肩に頭を乗せてくるものだから、熱くて空いた方の手で頭を叩く。けれど君はどかす気がないようだ。
「よるは絵が上手だよね」
「突然喋ったと思ったら何?そんな事?」
「うん、そんな事」
表情は見えなかった。重たい頭に溜息を吐きながら次は何を描こうかと考えるが手が届く範囲の地面はいっぱいになっていて仕方なく一番最初に描いたカモメを足で消した。サンダルの隙間に土が入ったので足を宙に浮かせてバタバタと動かす。土が周りに飛び散ったが、気に留める人間はいないだろう。
「何描こう」
木の枝を持つ手には熱がこもっていて自然と気持ちが高揚していく。絵を描くことがこんなに楽しいのは知らなかった。子供のように地面に落書きしているからだろうか。
「あれ描いて」
「どれ?」
「僕が演じたヒーロー」
その言葉に手を動かす。果たして上手に描けるかは分からない。何せ記憶だけが頼りだ。君が演じたあのヒーローは多分ここにはいない。今日町を歩いてみて分かったが、この世界は私たちが子供の頃のままで時間が止まっている。なぜなら、現実ではもう無くなってしまった建物がこの世界にはまだ存在しているからだ。時代と共に景色は移り変わっていく。叔父夫婦の家だってそうだ。もし現実世界であれば、君が演じたヒーローのポスターが玄関に貼られていた。叔父が嬉しくなってわざわざポスターを買って貼っていた。けれど、この世界の玄関には何もなかった。
憶えている限りで、あのヒーローを描き始める。角はあったか、目はどのくらいの大きさだったか、思い出して悩みながら描くこと五分。何とか形になったそれを見て達成感に襲われた。
「出来た」
これは上手ではないか。自信を持って言える、これはまさにあのヒーローだ。出来たと繰り返し肩に乗った頭を叩く。君はそうだねと返すだけだった。
「上手じゃない?」
「うん、上手」
「それだけ?」
「よるが絵が上手なのは知ってる」
「そう?私このヒーロー描くの初めてだよ?」
初めて描いたヒーローに対し返ってきた言葉に違和感を覚えた。しかし、その違和感も君が続けた言葉によってかき消された。
「よるさ」
「なに?」
「絵描くの楽しい?」
「楽しいよ?こんな風に落書きしたの子供の時以来だし」