「慢心だ。人生にはどれだけ願っても叶わないものがある」
「その言葉、初めて会った時も同じ事言ったの憶えてる?」
「憶えてる」
信じる神なんていない。君と初めて会った時も同じ事を口にした。今よりもずっと華奢で女の子みたいだった君は、帰り際なけなしのお小遣いを賽銭箱に放り込んで、神様に、ムキムキマッチョのスーパーヒーローみたいにしてくださいと声に出して願っていた。それを後ろから見ていた私は困惑した。子供ながらに冷め切っていた私は、なれるわけない願い事を口にする君が不思議で仕方がなかった。
人生にはどれだけ願っても叶わないものがある。幼いながらにそれを理解していた私は、神頼みする日本人の習性が理解出来なかった。だってそうだろう。私がどれだけ願った所で伸びてしまった身長が縮むことはないし、父との関係性が変わる事もない。叔父夫婦に引き取られたいと願っても無意味である事に気付いていたからだ。私が今ここで憶えてもいない母を生き返らせてほしいと願っても、死んだ人が目の前に現れない事は知っていた。
けれど君はそんな現実に見向きもせず願いを口にした。ムキムキマッチョまではいかなかったけれど、あの頃の君よりはずっと大きくなって腹筋も割れた。筋肉を割るのは本人の努力でしかないが、それでも日曜朝の君が憧れたヒーローになった時、神様の存在を感じてしまったのは事実だ。
よるちゃんは願い事しないの?と言われて、信じる神なんていないと言って君を驚愕させたのは二十年近く昔の事なのに今でも思い出せるから不思議だ。私の人生のほとんどを、君が占拠していたからに違いないからだろう。
もう一度言おう。人生にはどれだけ願っても叶わないものがある。君と生きる未来だけが唯一の望みだった。あのマンションの一室で君の帰りを待ちながらテレビに映る君を見て、帰ってきた君に感想を言ってくだらない話をして、私は私で仕事をしながら二人で生きていたかった。特別な事なんて何もいらない。ただ、隣に君がいればよかった。
私は慢心していたのだ。君がどれだけ有名になっても、どれだけ成長してしまっても、当たり前のように私の名前を呼んで息を吸うのと同じくらい一緒にいてくれたから。明日も明後日もその先も、隣にいてくれるものだと思っていた。世界に愛された君の事だから死はずっと遠くにあると思っていた。神様なんていないと断言している私よりもずっと、長生きするのだろうと思っていた。けれど、そうではなかった。死は誰にでも訪れて神様は自分を信じた人ほど連れ去ってしまう。神様を信じなかった私は君のいない世界に取り残された。
今、この状況でさえ神様がくれたチャンスだとも思えない。現実と夢の狭間で、私が見たかった空想が反映されているとしか思えない。可愛げのない回答だ。
「やっぱり神様なんていないよ」
「そうかな、僕はいると思うけど」
「そう答えると思った」
君の言葉に反論する気はない。君は君、私は私の考えがある。何を信仰するかは自由であるし、押し付ける必要があるとは思えない。ただ、君の人生を語った誰かは、確かに神様に愛されているような人生だと思うと言った。けれど私は神様なんて見えもしない存在が君の人生を左右していたとは認めたくなかった。君が自分の手で努力をして切り開いた道が、超常的な存在の手により作られていたなんて思えない。ずっと隣で苦労してきたのを見ていたから尚更だ。ひねくれた私とは違って、君はそこまで深く考えていないのだろうけど。