第190話 地震
凡才とは常識を知らない者であり、天才とは常識を覆す者である。
――フリード・ヴァレリー
*
「ふう、まずはこんなところか」
「御主人様、何を書いているんですか?」
少しずつ暖かくなり始め、春の訪れを感じさせる今日この頃。
オレがギルドホームで一筆したためていると、3時のコーヒーを持ってきたエミリアが問いかけてきた。
「本を書いているんだ。ウイスクとの同盟の立役者であるオレは今や注目の的だからな。ここで本を出して金儲けという訳だ」
3日前に無事ウイスクから帰還したオレたちは、早速セシリアへ報告した。
実は同時進行で他の国とも同盟の話を進めていたらしく、前例のない六大国同盟がスピーディーに結成されたのだ。
特に懸念されていたウイスクとの同盟も、この天才の活躍で無事に終わったので、これはもう英雄と言ってもいいはずである。
「この天才の名も何もしなければ記憶から失われていく。本を残しておけばこの先も名を轟かせることが出来るからな」
「だからといって、わざわざ恥を残さなくても……」
……恥?
「……まあいいか、少し休憩するか」
一旦筆をおき、コーヒーに口をつけることにする。やはり昼下がりに飲むコーヒーは最高だな。
「御主人様、今日はケーキを焼いてみたんですけど……」
「へえ、珍しいな。もしや、オレの執筆祝いか?」
「そういう訳ではないですけど、ちょっとレパートリーを増やしたくて……」
彼女はそう言いながら、机の上にそれを置いた。
これはどうやらシフォンケーキだな。出来立てのせいか甘い香りが強く立っている。
シンプルなケーキだと侮るなかれ、単純だからこそ腕前の差が出るのだ。
「うわあ、良い匂いがします!」
「何食べてるの?」
やれやれ、良い匂いに誘われて早速略奪者が現れたぞ。ステラとロゼリカが地下から現れ、キラキラした目できつね色のケーキを見つめる。
「安心してください、2人の分もありますよ」
エミリアはそう言うと、包丁でケーキを切り分け始めた。
*
「うーむ、苦みのあるコーヒーと甘いケーキの組み合わせ、誠に美味であった」
ゆっくりとした時間を過ごしながら、各自のケーキと飲み物はすっかりなくなっていた。
テーブルの上にはまだ半分ほど残っている。他のメンバーの為に残してあるのだろう。
「とても美味しかったです! うー、もうちょっと食べたいです……」
ステラは余ったケーキをじっと眺めている。やれやれ、オレのも少し分けてやったというのにまだ足りない様だ。
「そう言うな、他のメンバーの為に我慢するんだな」
「うー……」
オレが窘めると小さな唸り声をあげて、顔を机の上に乗せる。頭ではわかっているようだが、視線がケーキから外せない様だ。
困った奴だなと眺めていると、机の上にあるカップが揺れ始めた。カチャカチャと細かく音をたてている。
「おいステラ、気持ちはわかるが貧乏ゆすりは止めなさい」
「え? 貧乏ゆすりなんてやってないです」
「御主人様! これは、家ごと揺れています!」
「……!? 地震か!」
最初は小さな揺れだと思ったそれは、だんだんと大きくなり始め、ついには椅子に座っていられないほどに家を揺さぶり始めた。
「ステラ、ロゼリカ、頭を下げろ!」
オレはそう言って、2人を机の下に引き込む。エミリアも頭を机の下に入れ、振動が収まるのを待つ。
2階の方からドサドサと何かが倒れる音が聞こえ、キッチンの方では皿が割れる音がした。
……ひどい揺れは数分間続いた後、ぴたりと止まった。何もなかったかのように静けさだけが残る。
「3人とも、無事か?」
「はい、怪我はありません」
「ううー、怖かったです……」
頭を机の下から出しつつ、無事を確認する。どうやらこの場にいた者は無事のようだが、他の者も心配だ。
「……オレは他の皆を見てくる。悪いが散らばったものの片付けと被害の確認を頼む」
「はい、わかりました」
エミリアに家の中のことを頼みつつ、オレは他のメンバーの様子を確認に行くことにした。
*
その夜。
「もう、僕、本当にびっくりしたよ! 地下室にいたから生き埋めになっちゃうかと思った!」
「私もですわ。家の中がめちゃくちゃになってしまいましたわ」
全員揃い、今日も無事に夕食を迎えることが出来た。全員怪我もなく、家の被害もいくつか食器が割れた程度に留まっている。運が良かったと言えるだろう。
皆が会話に熱中しているが、当然地震に関する話ばかりだ。それも当然、ハレミアではめったに地震が起きないのだからな。
「それにしても、本当に凄い揺れでしたね」
「ああ。オレが今まで体験した中で最大の揺れかもしれないな」
本当に皆が無事でよかった。一歩間違えれば大怪我をしてもおかしく無い揺れだったからな。
だが、そうなると今度は街の被害が気になるな。我がギルドホームは新築だったため耐えられたが、崩落した家があってもおかしくない。
今日は皆の無事を確認するので手いっぱいだったが、明日は街に出てみるか。
そう考えながら、オレも夕食に手を付けることにした。
*
フリードたちのいる王都から遠く離れた、北の国境沿い。
ハレミア、ウイスク、フーリオールの3国の国境が交わるそこに、崩れた山と、燃え盛る小さな村。そして上空に、山より大きな巨大な竜の姿が見えた。
「ふーっはっはっは! 体中に漲る魔力、これがかつて世界を支配した、竜の力かっ!」
その竜はまるで死んでいるかのような土気色をしながらも、目に怪しい光を灯し、地上を見据えている。
羽が動くたびに竜巻のような風が周囲に巻き起こる。村があった場所に着地すると、大きく地面が揺れ動いた。
奇妙なことにその竜の額には、1人の老人が上半身を出していた。否、出しているのではなく、まるで寄生するかのように額から生えていた。
「おじいちゃん、すごーい! 一瞬で村が火の海だーっ!」
その竜の足元では、少女が嬉しそうに飛び跳ねている。竜と比べると砂粒のように小さく、少し足を動かすだけで曳き潰されてしまいそうだが、恐怖に怯える様子は全くない。
「この力があれば、この大陸全てを我のモノにできる! ついに今、このアーカインが野望が成就するのだっ!」
老人が野望を口にすると、呼応するかのように竜が上を向き、黒い炎を吐いた。その炎は天を超え、星に届きそうなほどに燃え上がる。
「……だが、まだだ。まだ本調子とは言い難い。心に穴の開いた感覚、心臓が無いからに違いない。……アリス、今からハレミア王都へ向かう! "竜の心臓"を奪い、そのままビストリアの"竜の尾"を手に入れることで全ての力を取り戻すのだっ!」
竜から生えた老人はそう言うと、空高く飛び上がる。そして、ハレミア王都の方角を向いた。
「ここから王都まではまだ3つほど村がある、竜の体に慣れながら向かうとしよう。……さっきは村だけを焼くつもりが、山まで破壊してしまったからな」
「わかった! 私は死体を集めながらゆっくり行くね!」
「ついに来たのだ、我が地上を支配する時が。我が娘を見捨てた、愚かな者たちに裁きを下す時が……!」
アーカインはそう言うと、ゆっくりと羽を動かし王都の方角へと飛び始めた。
「もう、おじいちゃんったら! ママの復讐ができるからって張り切っちゃって」
アリスも小さく呟き、後を追うように王都へと歩みを始めた。