第163話 修行へ行こう
「いっただきまーす!」
ギルドホームの中で、妹たちの元気な声が響いた。いつもと変わらぬ夕食の風景だ。
エミリアは皆の食事を見て微笑んでいるし、ルイーズは妹たちにお姉さん風を吹かせている。
デットは脇とへそを見せているし、ステラとロゼリカは可愛い。
フラウはニコニコと楽しそうに食事を味わい、アルトちゃんは無表情で岩塩を削っている。
こういう何気ない日常がいつもオレの心を癒してくれている。大切な時間だ。
……だからこそ、決断しなければならない。この日常を守るために。
「皆、聞いてくれーっ!」
「うわっ、うるさい!」
「きゃぁっ! もうっ、突然叫ぶとびっくりしますわ!」
「皆を驚かせて喜ぶなんて、良い趣味とは言えませんよ?」
オレが声を張り上げると、周囲からいわれのない非難を浴びせかけられる。ひどい話だな、全く。
そんな非難は無視して、本題に入るとしよう。
「オレは、修行に行こうと思う」
「修行?」
オレの言葉に疑問符がつけられて返される。何のことかわかっていないという表情だ。
「修行というと、トレーニングですか?」
「何故言い換えたのかはわからないが、その通りだ。最近のことを思い出してみろ、雷に打たれたり、氷漬けにされかけたり、心臓を揉み揉みされたり、虐められていると言っても過言ではない」
「まあ、正直いつ死んでもおかしく無かったよね」
「見ているこっちもいつも冷や冷やですよ……」
オレの言葉に、皆が顔を俯かせる。笑い話のつもりだったのに逆にダメージを与えてしまったようだ。
「今まではほんの少しの幸運と有り余るほどの頭脳で切り抜けてきたわけだが、こんなことではダメだと感じている」
「だから修行をするんですか?」
「そう言う事だな」
オレの気持ちを伝えると、皆も悩み始め、食事の手が止まってしまう。
「すぐに行くわけでは無いが、皆が揃っているときに伝えておこうと思ってな。中断して悪かった、食事を再開しよう」
パンパンと手を叩き、話が終わったことを示す。しばらく困惑の表情を浮かべていたが、やがていつも通りの賑やかな食事へと変わっていった。
*
昼食後のコーヒーと夕食後の酒はなぜこうも格別なのか。
ぼんやりと考え事をしながらワインを少しずつ飲んでいると、エミリアが近くの椅子に座ってきた。
どうやら何か言いたい様で、ずいずいと体を傍に寄せてくる。
「御主人様、修行って危険なことじゃないですよね?」
「安心しろ、今回ばかりは安全だ。何といっても、実績ありだからな」
オレはそう言うと、指輪を机の上に置く。以前、妖精の女王から貰ったものだ。
「これは確か、妖精たちの友好の証でしたね。魔法をはじくミスリルで出来ているとか……」
「そう、妖精だ。彼女たちは魔法に関して、人間の何歩も先を行っている」
人間たちが1人1人魔法を使えるようになったのは、長い歴史から見ると最近のことだ。
ろくに魔法を知らなかった人々が妖精に出会い、知識を与えられたことで今のような魔法社会が出来上がったのだ。
その妖精たちに指南を仰げば、この天才がさらに上の存在、超・天才になれるのは間違いないだろう。
「そうですか……。という事は、しばらくホームを離れることになりそうですね」
「いや、別に旅行じゃないしオレ1人で行くつもりだが」
妖精は人間嫌いだし、大人数で行ってもうざがられるだけだろう。
どうせうちの子たちは妖精を見たら『きゃーっ、可愛い!』なんて大騒ぎをするに決まっている。
見た目は小さくても、当然大人の妖精たちの方が多いのだ。礼儀を持って接しなければならない、リスペクト妖精の精神が必要だ。
「うーん、でも、だけど……いや、やっぱりついて行きます!」
……短い逡巡の結果、ついてくることになったようだ。
という事は、結局……。
「お兄様、私もまた妖精さんに会いたいです!」
「ホントに妖精なんていますの?」
「楽しみだなー、どんな人たちなんだろう!」
全員ついてくる気満々のようだ。
まあ、今回も一緒に行くとするか。流石に今回ばかりは本当に何も起きないだろう。
*
「うー、寒い! もうすっかり冬だな」
「情けないですね、ヴァレリー様。暗殺者たるもの、この程度で弱音を吐いてはなりませんよ」
「いや、オレは暗殺者ではないが。殺すなら正々堂々殺す派だ」
オレたちは馬車の準備が終わるのを、ギルド管理局の前で待機していた。
少し準備が遅れているようで、オレたちは寒空の下で待ちぼうけだ。
「……ときに、ヴァレリー様。エルデット様は暗殺者なのですか?」
アルトちゃんは、遠くに視線をやりながら話しかけてくる。目線の先には、この糞寒い中で半裸の女が見える。
「……いや、ねじは外れているが暗殺者ではない」
「そうですか」
何の意味もない会話を続けていると、やっと馬車が準備できたようだ。
早速出発だ。目指すは、誰かさんの手によって墜落した妖精の森。修行だというのにどこか気分が高揚してきたな。
*
馬車に揺られて8時間。1回休憩は挟んだものの、会話のネタも切れ始めて疲れてきたな。
「お兄様、退屈ですー」
「じゃあゲームをしようか。頭の中で微分積分ゲームだ、オレはこれで脳細胞を体感20%増やした」
「……面白くなさそうです」
なんだと、ステラが反抗期か? このオレに反対意見を述べるなど、信じられん。
だが、これも成長なのだろう。今は素直に喜ぶとしよう。
「あっ、村が見えるよ! フリードさん、あそこが目的地?」
「妖精の森と言うからには、森なのでは?」
フラウが進行方向を見て声を上げる。もう夕方になってしまったが、やっと到着しそうだな。
「あそこが目的地で合っているぞ。この冬場に森でキャンプなど自殺行為だからな、あの村を拠点にする」
ユグドラシルから借りてきた本の情報によると、山と湖が近くにあるのどかな村だとか。ゆっくりするには持って来いのはずなので、修行中は皆くつろいでもらうとしよう。
*
「うわー、きれいな街だねー!」
「わっ、見てフリード! 湖で釣りも出来るんだって!」
「お兄様! あそこの家の庭に羊がいます!」
「おいおい、興奮するのはいいがもう夕方だ。真っ暗になる前に宿に向かうぞ」
全く、子供たちときたら。オレの修行に託けて冬休みを満喫するつもりだな。
オレが子供のころは都会で過ごしたいと思っていたものだが、都会で過ごす人間には田舎が良い場所に見えるようだな。
「御主人様、宿はどの辺りですか?」
「ふっふっふ、本を読んで予習済みだ。なんと湖に面した場所にコテージがあるらしい。本来はなかなか予約が取れないが冬は閑散期だからな、喜んで貸してくれるさ」
「……興奮してるのは御主人様もじゃないですか」
エミリアが失礼なことを言うが、オレはあくまで家族サービスの為に少しでも良い場所を探しているに過ぎない。
決して船を出して湖を楽しんだり、更にはその船上で酒を飲もうなどとは微塵も思っていないのだ。
だが、何をするにしてもまずは宿だな。暗くなる前に借りないとな。
子供たちを窘めつつ、村の奥へと歩いていくことにした。
*
「うわー、広いです! 木の香りもします!」
「わぁぁ……! 窓の下がすぐ湖だ! 家の中からでも釣りができそう!」
もはや子供たちの興奮はピークに達している。これは今夜眠れるかも怪しいな。
まあ、その興奮もわからないでもないが。どうやら閑散期というのは本当のようで、ここのオーナーは喜んでコテージを貸してくれた。
ここは間違いなく、一番いい場所だろう。近くには他に客はおらず、湖ごと貸し切りのようなものだ。
「こんなに広いのに、一泊20万ベルで良いなんて……! 8人ですよ、私たち!」
どうやらここにも興奮している女がいるようだ。普段稼ぎが悪くて申し訳ない気分になるな。
「気持ちはわかるが、まずは夕食だ。デットとアルトちゃんが材料を買ってくるから、その前に荷物の整理と手洗いうがいだ」
「はーい!」
ステラたちはドタバタと準備を始める。やれやれ、まあ今日の所はオレもゆっくりするとするか。
明日から多分、厳しい修行が始まるからな。