第160話 賭け試合
「……そろそろ泣き止んだらどうだ?」
「だって、だって……!」
人の服で涙と鼻水をぬぐうステラを引きはがすと、一旦落ち着くために椅子に座り直す。
机の上には、封筒が置いてある。あの女が置いていったものだ。
「御主人様、その封筒……」
「嬉しくないラブレターだが、読まないわけにはいかないだろうな」
去り際に話していたので内容は大体わかるのだが、わざわざ手紙にしたのだから変なことが書いてあるのかもしれない。
雑に封を開け、中身に目を通し始める。
「……! どうやら、ギャラリーもいるようだ」
オレはそう言って、手紙をエミリアの方へ投げる。
手紙の中身はこうだ。2日後、新国王就任の後夜祭として優秀な魔法使い同士の模擬試合を開催する。
そのメインイベントがマルジェナの試合、という事らしい。
つまりは逃げ場のない状況で俺に選択を迫るという事だろう。恥をかかせるという意味合いもあるのかもしれない。
「こ、こんなの出る必要ありませんよ! 危険すぎます!」
「お兄様、どうするんですか……?」
「そうだな、ケーキを買いに行く予定だった。店が閉まる前に行ってしまおう」
オレはステラにそう言うと、服についたままの液体を拭く。
「こんな時にケーキだなんて、ふざけている場合ではありませんわ! 最悪殺されますのよ!?」
「当日まで部屋の隅で震えているわけにもいかないだろう? ……安心しろ、あの女の底は知れた」
「本当ですか? ハッタリじゃないですよね……?」
「死亡率0%の男を信じろ」
全く、みんなして心配そうな顔をして。この天才が、2日も猶予を与えられて勝てる算段をつけられないと思っているのか。
それに、あの女の魔法の底が知れたのは事実だ。あとは何が通用するのか、策を準備しておくだけ。
周囲の目を気にせず、ステラを連れて街へと繰り出すことにした。
*
当日。
封筒に書いてあった場所へ行くと、普段は何もない広場にステージが作ってあった。
何者かの魔法で作られたのだろうか、継ぎ目のない大理石で丸いフィールドが作られている。
「うう、胃が痛いです……」
「何故エミリアがストレスを感じているんだ? 目の下のクマも凄いぞ」
「普通はこうなるんです!」
エミリアは顔色悪く、足取りも重い。他の者も気分が沈んでいるようだ。
「親父、マルジェナに5万ベル!」
「こっちは10万ベルだ!」
「……ん?」
出店もいくつか並んでおり、何の店か確認すると、財布を握りしめた男たちが何やら叫んでいる。
これはどうやら、賭けも行っているようだ。
オレ以外にも前座の試合があるため、その試合の選手の名前も聞こえている。
「戦いを賭けにするなんて、野蛮ですわ」
「そう言うな、ちょっとオッズを確認してみようか。どれどれ、オレのオッズは……66!?」
何という事だ、どれだけ不人気なんだ、オレは。ちなみにマルジェナは1.015だ、差がありすぎるだろ。
「お兄様、オッズって何ですか?」
「要するに、お金が66倍で帰ってくるという事だ。今すぐお小遣い全てをオレに賭けろ」
「……! はい、お兄様!」
オレの勝利は既に揺るぎないので、先の見えない間抜けどもから金を巻き上げるとしよう。
ステラは手持ちの金貨数枚を持って、店番の親父の下へ走っていった。
「あっ! おい、おっさん!」
「もう、そんなことをしている場合では……」
「悩んでも結果は変わらないんだ、現状を楽しんだ方が良い」
「おいおっさん! 無視すんなよ!」
「……でも、御主人様が勝利すると信じたいですし、私も手持ちの分だけ賭けてしまいましょうか」
「おっ、分かってきたな」
「おっさーんっ!」
「うおっ! ……うるさいな、近くで叫ぶな」
耳がキーンとなりながらも声の出所を見ると、ランベルト少年が立っていた。
自分がおっさんなどと微塵も思っていなかったので気付かなかったが、どうやらオレのことを呼んでいたらしい。
「聞いたぞ、今日の最終戦でマルジェナと戦うんだって?」
「ああ、そうだ。歴史が変わる瞬間を見届けておくがいい」
「……本当に殺れるのか?」
「勝ちはあっても負けは無い、とだけ言っておこう」
オレに殺しを頼もうとしていた人間にすら疑いのまなざしを向けられるが、この天才がみっちりと準備してきたのだ。間抜けな結果になりようはずもない。
「お兄様ー! 4万ベル分のチケットを買ってきました!」
「やったな、すぐに大金持ちになれるぞ」
どうやらステラは無事にオレに賭けてきたようだ。持っている紙が、後々250万ベルを超える大金になるわけだな。
「……! そいつ、お前の妹か?」
「そうだが?」
前オレの家に来た時には会っていなかったのか。同じぐらいの年齢だし、気になったのかもしれない。
「お兄様、この方は?」
「あ、あの、オレ、アルベルトって言う、ます」
ステラに対して少年がもじもじしながら自己紹介する。
さてはこいつ、オレの妹が気になっているんじゃないだろうな。やめてくれ、オレは未成年を殺めたくないのだ。
「……? 初めまして、ステラです……。あっ、そのチケット、私と同じです! 誰に賭けたんですか?」
ステラは真面目なので挨拶を返し、少年のポケットに入っていた紙を見て目を輝かせる。
「ふん、当然オレに賭けたんだろう?」
「あっ、おい……!」
オレは接近し、紙をポケットから抜き取る。
……その紙にはマルジェナの名前が書かれていた。
「……これは?」
「くっ、違う! これは、暗殺の依頼用にもう少しお金を貯めようと……」
少年はしどろもどろになりながら弁明するが、もう遅い。
ステラは少年を失望の目で見る。良かった。
*
今、オレの目の前で第4試合目が終わった。
中央のリングでは血まみれの魔法使いが2人立っている。1人は倒れ、もう1人は拳を天に突き上げている。
「勝つにしてもあんな無様な姿は御免ねぇ?」
オレの横に立つマルジェナがくすくすと笑いかける。今オレたちがいるのは控室だ。
そして次が、第5試合目にして最終試合。つまりは、オレとマルジェナの試合という訳だな。
「安心しろ、次の試合の勝者は無傷だ」
「あらぁ、よくわかってるじゃない」
マルジェナは余裕そうな表情でくすくすと笑っている。いつまでその余裕が続くかな?
『次はついに最終試合っっっ! あのAランクのギルドマスターが登場だぁぁぁっ!』
会場の方から大声が聞こえてくる。オレは知らなかったが、その道では有名な司会が進行をしているらしい。
「さあ、始めるわよぉ」
「……楽しみだな」
ゆっくりと立ち上がると、ステージの中心へと歩いていく。
暗い控室から外へ出たせいか、一瞬目がくらむ。その後に溢れんばかりの観客の姿は見えてきた。
「うぉぉー、マルジェナーっ!」
「全財産お前に賭けたぞーっ!」
やはりマルジェナは人気のようだ。ガラの悪い男たちが怒声に近い大声を上げる。
それに対してオレはというと……。
「引っ込め―っ!」
「ちゃんと負けてくれよー!?」
ブーイングに近いな。仕方のない奴らだ。
「なぁに、ニヤニヤしてぇ?」
「……いや、この会場にいる人間のほとんどが結果に驚くと思うと、気分が高揚してくるな」
「へぇ? その根拠を見せて貰えるか、楽しみにしているわぁ」
マルジェナも人のことを言えない程度に笑みを浮かべている。今から戦いが始まるとは思えないな、お互い。
そう言っている間にも、大声でマルジェナの紹介が行われている。早く始めて欲しいのだが。
『……それでは、第5試合目、マルジェナ対フリード、始めぇぇぇっ!』
やれやれ、やっとか。さて、天才のショーを始めよう。