第155話 水を差す女
国王ヘンリック(30)とドジっ娘セシリアちゃん(25)の可愛らしい兄妹トークを盗み聞きしたオレは、ばれないようにその場を離れ再び賑やかな中庭の中心へと戻ってきていた。
「あっ、帰ってきたニャ! 内容はどうだったニャ?」
「貴様には我々に会話の中身を横展開する義務がある、早く話せ」
「……盗み聞きしないのが部下のあるべき姿じゃなかったのか?」
どうやら直接聞かなければセーフ判定らしい。絡まれ続けるのも面倒くさいので、シャオフーとフレデリックにも内容を教えてやることにした。
「セシリア様の慌てている姿か〜、やっぱり覗きに行けば良かったニャ〜」
「おのれ、国王め……! 兄の立場を利用して、セシリア様をからかうなど……」
部下とは思えない感想をそれぞれ口にしているが、セシリアは一体ギルド内でどういう立場なのだろうか。
とにかく用事が終わったので立ち去ろうとすると、背中から凛とした声が響いた。
「おや、珍しい顔がいますね。いつの間に仲良くなったのですか?」
「これはこれは、セシリア君。お誘いのお礼を言いたくて探していたところだ」
オレは一瞬で真顔を作り、今日初めて顔を見ましたという体で話しかける。ポーカーフェイスは大人に必須のスキルなのだ。
「パーティーなんかめったに参加しないからな。珍しい体験ができてうちの子たちも喜んでいる」
「そうですか、それは良かったです。……以前のこともありますので、険悪な雰囲気になっていないかと心配しましたが」
以前の事とは、フレデリックが我がギルドホームを爆破した時の事だろうか。
それについては第1ギルド主導で新築のホームを貰えたので、既に気にするようなことではない。済んだことは水に流すのが天才流という事だな。
「ふっ、男には拳を重ねてこそ深まる仲もあるという事だ。なあ、フレデリック君?」
「……貴様と仲良くなったつもりは無い。気安く肩に手を置くな」
「は?」
社交辞令というものをしらないのかこいつは。セシリアのことを思うなら、デュエットぐらいできるはずだ。
「なるほど、本当に仲良くなったみたいですね」
セシリアは口元に拳を当て、上品に笑みを浮かべる。よかった、誤魔化せたぞ。
「まあ今日はお礼がしたかっただけだ。それではこの辺で」
「皆さま、失礼します!」
オレに合わせてステラもペコリと頭を下げると、2人でその場を後にする。
「ステラ、まだ何も食べてないだろう。王侯貴族のパーティーなら食事も上等のはずだ、適当に食べるとしよう」
「はい!」
少々第1ギルドの所で時間を使い過ぎたようで、宴もたけなわと言った感じだな。美味しい食事が無くなってなければいいが。
「はあ、つまらないわねぇ」
「……ん?」
人混みを掻き分けながら歩いていると、このパーティー会場にそぐわない声が聞こえてきた。無視しようかと思ったが、どこかで聞き覚えのある声だったので、つい足を止めて周囲を見渡す。
「結局ヘンリックが国王ねぇ。セシリアならもうちょっとは面白かったんだけどぉ」
聞く人が聞けば反逆の罪に問われかねない発言をする女がいる。周囲の人にも聞こえているはずだが、チラチラと視線を向けるだけで、意図的に気にしないようにしているようだ。
まあ、それも当然だろう。そこにいたのは第2位ギルド『再誕の炎』のギルドマスター、確かマルジェナと言ったかな?
オレは魔法を見たことないが、無敵の魔女の異名を持ち、敗北どころか一度も傷1つ負ったことがないとか。
この会場にそんな女を咎められる勇気のある者はいないようだな。
「お兄様、どうかしたのですか?」
「いや、聞き覚えのある声が聞こえたからな。悪い、食事を探そうか」
ステラに声をかけられて、意識を目の前に戻す。空気の読めない女は放っておいて、食事にありつくとしよう。
再び歩き始めると、非常にオレ好みのテーブルを見つけた。そのテーブルを占領している人間の趣味なのだろうか、酒のボトルがずらりと並べられている。
オレは早速接近し、こちらに背を向けて酒を飲んでいる体格のいい男に話しかける。
「失礼、この酒は何かな? 可能であれば少し頂きたいのだが」
「ふっ、当然だ。ヴァレリーよ」
「……! ローズだったのか」
なんとその男は我が友人ローズであった。当たり前ではあるが、いつもと格好が違うので声を聞くまで気付かなかった。
「おや、珍しい顔でありんすなあ」
「……久しぶりです」
「フェオドラにルナちゃんも。そうか、『ユグドラシル』も誘われていたのか」
「こう見えても第3位ギルドなのでね。それよりもヴァレリーが招待されていたことの方が驚きだが?」
「ついにオレも社交界デビューという事だ」
うちの連中は酒をあまり飲まない奴の方が多いからな。ここはローズたちと飲み交わすとしよう。
ステラは不満顔だが、ルナちゃんと近くで食事をとることにしたようだ。
やはり酒が無くてはな。第2位ギルドのように水を差すなんてもってのほか、必要なのは水ではなく酒という事だ。
「どうだ、ローズ。ここはどちらが多く酒を飲めるか勝負といこう」
「ふっ、この場にはそぐわぬ提案だな。ここは上品に、利き酒勝負といこうではないか」
「利き酒? ふん、良いだろう。ここでも天才であることを証明するとしよう」
パーティーはまだ半ば。友人の前ではくだらない社交辞令を捨て、酒に現を抜かすことにした。
視線の端に、第2位ギルドのマルジェナが中庭を後にする姿が見えたが、もはやどうでもいいことだな。
*
パーティー会場の喧騒とは程遠い、静かな秋風だけが吹き抜ける夜の王都。
街灯の整備された大通りを、従者を伴い歩くマルジェナの姿があった。
「全く、面白くもない騒ぎだったわねぇ。そう思わない?」
「仰る通りです、マルジェナ様」
時折従者に間延びした話をしながら、従順な返事に満足そうに頷く。
「自分で土を触ったこともない連中が、集めた富を嬉しそうに貪る。醜いわぁ、本当に醜い、これが人の上に立つ王侯貴族の姿なのかしらぁ?」
「そのような無能な者たちを誅するために、神は貴女様に最強の魔法を授けたのです」
「そうねぇ。私も無敵だけど不老不死ではないし、そろそろ動くべきかしらぁ」
従者の言葉に眉一つ動かさず、頬に手を当て考えるそぶりをする。恐ろしい言葉を口にしながらも、その表情はまるで夕食の献立を考えるかのような、自然な表情であった。
「待て、マルジェナ!」
「あらぁ、誰かしらぁ?」
突如、静かな夜道に怒りの声が響く。彼女はゆっくり振り返ると、パーティー会場から追ってきたのであろう、上質な燕尾服に身を包んだ男がマルジェナを睨みつけていた。
「パーティー会場での国や王を馬鹿にするような言葉、貴族の端くれとして断じて見逃せん! 国の為に貴様を討つ!」
「あらぁ、真面目ねぇ」
男はマルジェナの態度に更に怒りを増し、彼女に向かって獅子のように襲い掛かる。
「我が魔法『溶解掌』で骨まで溶かしてやる!」
そう言うと、手に怪しい光を纏わせながら、棒立ちするマルジェナを掴みかかった。
*
「……時間の無駄だったわねぇ。こんな男でも綺麗な血をしているのが恐ろしいわぁ。曇りのない鮮血、自分の正義が絶対に正しいかと言わんばかりねぇ」
マルジェナは足元に倒れる燕尾服の男を見下す。その男は外傷が全く無いにも関わらず、血を吐いて絶命していた。
「流石です、マルジェナ様」
「またセシリアに怒られてしまうわぁ。いつものように後処理と第1ギルドへの謝罪よろしくねぇ」
「仰せのままに」
何事もなかったかのように従者に命令を下すと、そのまま自身のギルドホームへと再び歩き始めたのだった。