第116話 大国の聖女
ハレミアの北西に位置する大国、ウイスク。
大陸にある他の国と並んで六大国と呼ばれているが、力関係は対等ではない。
最も広大な土地を持つハレミアと、大陸最強と称される軍を持つウイスクが実質のツートップである。
「……では、ハレミアが邪竜を復活させようとしているという事ですか?」
「ええ、パトリシア様。我々が討伐したメルギスの王侯貴族の生き残りが、ハレミアに亡命したのが何よりの証拠ですよ」
ウイスク王都にある大きな教会風の建物の中で、2人の男女が会話をしている。
パトリシアと呼ばれた女性が、テーブルに乗り出すようにして男に問いかける。吟遊詩人風の男ピエーリオは、リュートの弦を指でなぞりながら答えた。
「同盟国である私たちを裏切って邪竜を復活させようなどと……」
「パトリシア様、ここが決断の時です! 国の、いえ、人類の為に厳しい判断をすべきです!」
「……少し考えさせてください。メルギスとの戦争で兵士たちも疲れていることでしょう」
パトリシアは席を立つと、俯いた表情でその場を去っていった。ピエーリオも教会を出て、街中に出ていく。
「……ピエーリオ」
「おやおや、ユリアン君じゃないか? もしかして僕が心配になってわざわざここまで来たのかな?」
暗がりからの声に反応すると、声のした路地裏へと入っていく。そこには、黒いローブの男ユリアンが腕を組んで立っていた。
「下らん冗談はいい。首尾はどうだ」
「ふふん、僕の『改竄』でパトリシアの意識は書き換えられ始めている。そのうちすぐに彼女は戦争を決断するよ。それがまるで、自分で絞り出した考えかのようにね」
ピエーリオはにこりと笑いかける。ユリアンはそれを無表情で見ていた。
「聖女である彼女が自分の意思で大陸を滅ぼす手助けをするなんて、なかなかの物語だと思わない?」
「……興味ないな。問題ないのならオレはハレミアに戻ろう。貴様の声を聴き続けるとこちらまで洗脳されてしまう」
「アーカイン様に会ったら僕のことを褒めといてね〜」
影に溶けゆく男を軽い口調で見送る。完全に気配が無くなったのを確認してから、ポツリと独り言をつぶやいた。
「……アーカイン。竜と一体化して大陸を支配するなどというくだらない野望を抱く男だ。まあ、最後には僕がその竜さえも洗脳してみせるけどね」
さっきとは違う怪しげな笑みを一瞬浮かべた後、締めるかのようにリュートをポロンと鳴らす。
路地裏を出ると、再び街を歩き始めた。
*
「アルトちゃん、おはよう」
「これはヴァレリー様。おはようございます」
オレはいつものようにギルド管理局へ来ていた。仕事を探すのも目的だが、今日はメルギスの情報も得ておきたいと考えている。
早速、敏腕受付嬢に聞いてみるとするか。
「アルトちゃん、第1ギルドがメルギスに行くって事は知ってるか?」
「ええ、もちろん存じておりますよ。いくつか支援部隊の要請もありますので、我々の方でもいくつかギルドを選定中です」
「なるほど。ちなみに、何故ウイスクがメルギスに攻め込んだか情報とか持ってたりしないか?」
「……いえ、私だけでなく、恐らくこの国の誰にもわからないと思いますよ」
アルトちゃんはこちらに目を向けず、手元にある書類を整理しながら答える。
一応公務員だし、裏情報を持ってないかと聞いてみたが、まあ当然知らないだろうな。
「そうか……。まあいいか、もし選定するのに困っていたらオレのギルドに仕事を回してもいいぞ」
「構いませんが、ヴァレリー様は戦争が好きなのですか? 戦争の仕事を望むなんて」
「そんなわけないだろう。戦争かデートならオレはデートを選ぶつもりだが、どうする?」
「悲しいですが、頑張って国の為に戦ってきてください」
どうやら今回のデートのお誘いも撃沈のようだ。
それより、仕事を回してくれそうなら、今わざわざ別の仕事を入れておく必要はないな。今日の所は帰って、仕事の連絡が来るのを待つとしようか。
「……ヴァレリー様」
「む? やっぱりデートをする気になったか」
「いえ、何でもありません。仕事を依頼することがあればこちらから声をかけますね」
立ち去ろうとしたところで声をかけられるが、その先は聞けなかった。
あのアルトちゃんがわざわざ声をかけてきたのだから、何もないことは無いと思うが。
まあ、言う気がないなら無理に聞くこともない。アルトちゃんに背を向けて、その場を立ち去ることにした。
*
夜。今日は新月のようで、王都のガス灯の明かりが無くては足元も見えない。
私はここで、ある人物を待っている。まったく、こんな路地裏を待ち合わせ場所にするなんて、逆に目立ってしまいますね。
「ここにいたか。待ったか?」
「……いえ、30分ほどしか待っていませんよ」
大分遅れて、目的の男が現れた。見た目は純朴そうな街の青年といった雰囲気。
この男が、ウイスクから来た暗殺者だと気付く人はいないでしょう。
この雰囲気を生み出しているのは魔法ではなく、暗殺者として鍛え上げられたことによる技術だ。
「はっはは、悪いな。それで、目的の物は?」
「こちらです。ハレミアのAランク、Bランク、調べた限りの情報がまとまっています」
私は男にリストを渡す。受付嬢という立場を悪用して集めた、ハレミアのギルド情報だ。
自分の想像を紙に描く『念写』の魔法で、文字だけでなく人相までもしっかり記載されている。
男は手荒に受け取ると、中身をパラパラとめくって感心したようなため息をついた。
「ほう、なかなかいいな。暗殺者としての才能は無かったが、スパイとしては悪くない。お前の父親も喜ぶかもな」
「御冗談を。私の顔も覚えていないでしょう」
最後に父の顔を見たのは13年前だ。
暗殺者の家系に生まれながら、彼の言う通り才能の無かった私は家にいることさえ許されなかった。
スパイとして生きるか、死ぬかを選ばされ、結果的にハレミアに潜入し生きる道を選択した。
……今思えば、あそこで死を選ぶべきでしたね。おかげで、後ろめたさで心を許せる者もいないまま、暗く冷たい人生を歩む羽目になってしまった。
「それで、今更情報を求めるとはどういう風の吹き回しですか? メルギスでの戦闘を想定しているのであれば第1ギルドの情報だけで十分でしょう」
「詳しくは知らないが、聖女様がハレミア侵攻を決断した。第1ギルドをメルギスに釘付けにしている間に別動隊でハレミア本土を強襲する」
「……!」
ハレミアを、襲う? きっと私は今、珍しく驚いた表情をしているのだろう。
「……信じられません」
「オレたちも疑念は抱いているが、そもそもメルギスに攻め込んだのも聖女様の決めたことだ。戦争嫌いの聖女様が何故? って国民皆思ってるよ」
男は少しいらだたしさを見せる。理由もわからず使われることを不快に思っているようだ。
「そんなわけで、お前もハレミアから逃げたらどうだ。6歳で家を追い出され、泣きながら掴んだ命だろ?」
「御忠告感謝します」
男は私の心を抉るようなことを言ってくるが、それでも動じない。もう既に抉り取られた後ですから。
「じゃあ、オレはウイスクに戻る。……一応聞いておくが、このリスト以外に注意した方がいい魔法使いはいるか? 個人能力ならAランクにも引けを取らないような奴だ」
「いませんよ。そんな人がいれば低ランクなどに甘んじてはいないでしょう」
「はっ、確かにそうだな」
男は鼻で笑うと、リストを懐にしまい路地裏を去っていく。
……注意した方がいい魔法使いですか。私は1人の男を一瞬想像してしまった。
まあ、彼の場合は、別の意味での要注意人物ですけどね。
アルトちゃん、といつも私を呼ぶ男。影に住む私をいつも照らす、眩しすぎる男。
まったく、ヴァレリー様は困った方ですね。太陽の暖かさを知らない私にぬくもりを教えたせいで、私は自分が嫌になってしまいますよ。
路地裏に一瞬、ひゅうっと風が吹き込んだ。夏の夜に相応しくない、清涼感のある風が思考を妨げる。
意識を目の前に戻すと、私も路地裏を出ていくことにした。