第109話 魚を求めて
「ふう、やっと着いたな。ここがハレミア一の巨大湖、ジェレブ湖か」
オレは約半日かけて、巨大な湖へとたどり着いていた。王都を沈めることができるほどの広さがあるというこの湖は噂通りとても広大で、対岸がかすんで見えるほどだ。
周りはほとんど人の手が入っておらず、伸び放題の草木が周囲を取り囲む。
なぜわざわざこんなところに来たかというと、『ファミリー感謝イベント』の第二弾として、ロゼリカへの御褒美を取りに来たのだ。
この前の食事中、それとなく好きな食べ物を聞いたところ、「お魚!」と可愛らしい返事が返ってきた。
どうせなら新鮮な魚を味わわせてやりたい。ロゼリカの喜ぶ顔を見るために、途方もなく巨大な魚を釣り上げてやるとしよう。
「さあて、どこで"殺戮"を始めてやろうか……」
湖の周りを歩き、ベストスポットを探す。どんな魚がいるかはわからないが、大きい魚なら深く暗い所にいるに違いない。
生い茂る草木が邪魔でなかなか歩くのに苦労するが、釣り竿をぶんぶんと振って草を払いながら歩いていく。
「釣りと言っても、どうやって釣ろうか。エサはその辺の虫でいいのか? 小さい海老とかの方が食いつきがいいのだろうか」
正直、釣りは今回が初めてだ。安物の釣り竿一本だけを買って持ってきたものの、少々不安になってきた。
よく考えれば釣った魚はどうやって持って帰るかも考えていない。
錬金術でケースを作って生きたまま持って帰った方がいいか? 〆た方が無難か?
「む……? 網があるな」
ぶつぶつと独り言を言いながらゆっくりと外周を歩いていると、草木が刈り取られ開けた場所にたどり着いた。
中心には簡素な木造の建物があり、近くには網が干してある。
建物から湖の方には木の板で床組みがされており、水上まで続くそこには網が固定されている。
近づいて網を覗いてみると、大きな魚が泳いでおり、時折尻尾で水を叩いている。
「おい、そこで何をやっている!」
珍しかったのでついつい眺めていると、男の声が響いた。そちらの方を見ると髭を蓄えた中年の男が立っている。
どうやらオレに気付き、建物から出てきたようだ。
「ここはオレの養殖場だ、勝手に入るんじゃない!」
「失礼、珍しかったのでな。ここで養殖しているのか?」
「ああそうだ。お前、魚を買いに来たのか?」
どうやらここはおっさんの仕事場だったようだ。元々は魚を釣るつもりだったが、素人が大物を釣り上げるのを狙うよりは買う方が確実かもしれないな。
オレはおっさんにいろいろ聞いてみることにした。
「うちの子が魚が大好物でな。何か珍しいものとかあれば見せて貰えないか?」
「ふうん、金はあるんだろうな」
「もちろんだ」
腰に下げた袋を見せつける。中身は大量の金貨だ。おっさんはそれを一瞥すると、仕事場に手招きした。
「うちは川で飼育できるもんは何でもある。カニやエビもあるが、目玉は何といっても鮭だな」
「しゃけ?」
鮭と言えば、基本は海で生息して産卵の時だけ川を上ると聞く。淡水でも生きられるとは言え、養殖なんて可能なのだろうか?
「はっ、驚いた顔だな! だが無理もない、これはオレだけの専売特許だ」
おっさんはどや顔で話を続ける。何か特殊な技術でもあるのだろうか。
「折角だし見せてやるよ、オレの魔法をな!」
そう言うと両手で円を形作る。その円がまるでワープホールの様に歪み、そこから巨大な鮭が飛び出してきた。
「なっ!? 生物を呼び出せるのか……?」
「はっはっは、驚いたようだな! オレの魔法、『サーモンの召喚』は一日3匹まで鮭を呼び出せる!」
かなりピンポイントだが、とんでもない魔法だ。おっさんは両手で抱えるほどの鮭を生け簀に投げ込むと、それはビチビチと泳ぎだした。
「親父、気に入った! この鮭を1匹丸ごと買えないか?」
「ああ、構わないぜ。だが今日の分は予約が入っている、明日の朝一で渡してやるよ」
残念ながら即ゲットとはいかなかった。だが、なかなかハレミアでは手に入らない鮭、しかも新鮮で大きいこれを持ち帰ればロゼリカも大喜びするだろう。
親父はオレの反応に気を良くしたようで、他の生け簀も案内してくれた。鮭以外も色々な魚介類を飼育しているようだ。
楽しく眺めさせて貰うが、ふと空っぽの生け簀があることに気が付いた。
「ここは何も飼っていないのか?」
「……!? しまった、またやられたか!」
親父は慌てたように、生け簀の壁の役割を果たしていた網を水中から手繰り寄せた。網が破けてしまっているようで、魚が逃げたようだ。
「逃げられたのか?」
「いや、この湖に網を食い破る奴が居やがるんだ。夜の間にこうやって魚を取りやがる!」
湖だから考えにくいが、ワニや鮫でもいるのだろうか? 魔獣の可能性もあるが。
おっさんに網を見せてもらうと、見事にスパッと網が切られている。
「どんな奴が居るんだ?」
「わからねえ。警戒心が強いのか、見張っているときに限って全く姿を現さねえんだ」
なんとも大変だな。せっかく育てた魚を失うなんてたまったものではない。
だが、本当に野生生物の仕業だろうか。少し気になる点もある。
「……どうだ、オレに見張りを任せてみないか? どうせ明日にならないと鮭は貰えなさそうだしな」
「ほう、お前が……? もし成功したらサービスしてやるぜ」
「よし、決まりだな」
この天才がわざわざ仕事するのだ。勝利は確定しているようなものだ。
おっさんと約束を交わすと、一旦生け簀を離れ再び湖の外周を歩き始めた。
*
その夜。
離れた位置にある生け簀を遠くから眺める男がいた。
「へっへっへ、今日も『漣』で魚を盗むとするか」
男は小さく呟くと、水中に体を沈める。まったく音をたてずに、ゆっくりと生け簀の方へ泳いでいく。
「よし、今日は見張りは居なさそうだな」
水面からわずかに顔を出し生け簀の周囲を伺う。人の気配がないことをしっかりと確認すると生け簀に近付き、ナイフで網に切り込みを入れ始める。
そして、自分の網に魚を入れると、再び静かにその場を離れていく。
「へっ! 今日も楽勝がべっ!」
離れた位置で岸に上がろうとした男の顔面に蹴りが飛び、鼻血が噴出した。
「ぐううっ! な、何者だ!」
「網がきれいに切断されていたからな、怪しいと思っていたがやはり人間の仕業だったか」
鼻を押さえる男を、フリードが見下ろす。ぼたぼたと血を垂らしながら魚泥棒はフリードを睨み返した。
「ぐぬ、何故分かった! 音もなければ、明かりも月しか頼りにならないというのに……!」
「ふん、獣が通れば獣道ができるように、人間もまた然りだ。観光地でもないこの湖で人の出入りの痕跡を見つければ怪しいと思って当然だ」
フリードは語りながら、月明かりを頼りに、頭の高さにある木の枝が切られているのを見る。
「邪魔だからつい切ってしまったんだろう? 愚かな奴だ、こんな証拠を残すなんてな、これなら待ち伏せも容易い」
「く、くそおぉぉ!」
男はやけになり、ナイフでフリードに襲い掛かる。だが、既に怪我をし精彩を欠いた攻撃が通用するはずもなく、反撃で顔面に今度は思いっきり拳をぶちかまされた。
「ぐはっ!」
「よし、魚泥棒捕獲完了だ。楽な仕事だったな」
フリードは鎖で魚泥棒を雁字搦めにすると、引きずりながら生け簀の方へ向かっていった。