臨戦
「わざわざこんなところに呼び出してなんの用ですか?」
暗闇。闇に包まれた空間の中で、一人、真っ黒な衣装を纏った少女が、不快な気分が乗った声を発する。
声の先にいるのは、全身を覆うような茶黒のローブを着込んだ何者か。深々と表情を読ませないフードと、足首まで隠しきるそれは、謎、という言葉をその人物に纏わせる。
「・・・まぁ、そんなに話を急がないで。せっかくだから少し話さないかい?」
飾り気のないクリーム色の壁に体を預ける、悠然とした態度を維持するその人物は、少し枯れた高いキーの女声で返答する。
六畳もないぐらいの小さな空間。殺風景な部屋。真新しく表面が滑らかな暗い色調のドアと、床までだらりと垂れるカーテンに閉ざされた窓のみがその部屋にはあった。
そんな何もない部屋で、二人の人物が互いに視線を交わらせていた。
「突然メールでこちらに呼び出したのはあなたですよね。私も忙しいので早く用件を話していただきたい。」
ぱっちりと開く目のハイライトを、じわじわと怒気を滲ませながら凄む彼女からは、年相応とは言えないような覇気が発せられる。
「用件を言えって、実はもう察してたりするんじゃないんですか?リサさん。」
へらへらと、まるで人の気を敢えて逆撫でするような話し方をする彼女は、ローブから覗かせる唇を逆さへの字ににんまりと曲げる。
そんな彼女に、リサと呼ばれる彼女は、落ち着いた態度を崩さずにフードの中の彼女の顔を見つめる。
「なんのことか分からないです。いたずらならこのまま帰ります。」
そう言うリサに対して、フードを被る彼女はわざとらしく慌てるジェスチャーをとる。
「待ってくれよ。君にはここで待っていてくれないと困るんだよね。私が。」
「待ちません、放してください。いたずらに付き合う時間は私にはないので。」
腕につかみかかる彼女の手を、リサは軽々と振り払う。
「会合。私も聞いてたよ。君のことだ、キリサキのことが気になっているだろう?」
その言葉を聞いて、リサは顔色を一変させる。
整然と微動だにしなかった瞳が、焦点がぶれ始めている。
「だとしても、あなたには関係ありません。さようなら。」
「知っている。」
部屋を出ようとするリサの背中に、一言、淡白な言葉が投げかけられる。その言葉は、リサは様々な意味を成す言葉に聞こえた。
いや、それ以前に、「知っている。」というその言葉に対し、反射的なその感覚でリサは振り返る。
「いいね。その表情。ランキング5位のその表情は格別だよ。」
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「おい、紅。分かるか?」
「あぁ。」
様々な喧騒に溢れ、民衆で埋まる巨大な街道を歩く二人は話す。
銀の髪と青の髪が交互に揺れる。幾人もの人が交わる合うこの中でも、ひときわ目立つ恰好をした彼らは、手に広げる羊皮紙の地図に映る点滅しながら映る、薄く《risa》と表示される赤の点を見つめる。
「街の中、それも王都近辺の街で武器を抜くなんてどうかしてるんじゃねぇか、あいつ。」
「蛮族に襲われた、という可能性もあるが、守護兵が見回りしてるところでそんなことするやつはいないだろうし。」
そう短く二人は言葉を交わして、銀のレギンスが擦れる音を途切れさせる。
「なにかしらのトラブルに巻き込まれたかもしれない。どうする、一応確認に行くか?」
紅と呼ばれる赤髪の青年が、その筋骨隆々とした体を、自分より一回り小さい体躯の青年に向ける。
彼の目のハイライトは静かに揺れている。
「キリサキの件もある。あいつのために何かするってのも癪に障るが、念の為だ。行くぞ。」
銀の髪を携え、整った輪郭に鋭い眼光を持つその青年は、いかにも腹立たしいという態度を露にしながら、銀のレギンスを纏った足を動かす。
それに続くように、紅も足を動かす。
「急ぐぞシルヴァ。なにか嫌な予感がする。」
「あぁ。」
そう短く言葉を交わして彼らは走り出した。
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「ここでそんなことをしていいんですかねぇ。私は戦ってもいいですが、王都に火の粉が飛ぶかもしれませんよ?」
ローブを被るその女性は、へらへらと薄っぺらい口調でリサを煽る。
まるでリサが武器を構え、こちらに敵意を表しているのが、ただの脅しだとわかりきっている。と言わんばかりの余裕ぶりで。
「そんなことになったら、あなたも、あなたのクランも一気に信頼をなくすでしょうね。まぁ、無所属の私にそんな心配はないから大丈夫ですけど。」
そう言い放って一歩、リサの方へと近づく。
「あなたのキリサキさんへの異常な執着は知っていますよ。有名ではないですが、一部の人たちの間ではもっぱら話題の中心となっていますからね。」
にやにやとした表情で、口をくの字に吊り上げながら一歩、また一歩とリサに近づいてゆく。
そしてついにリサの目の前へと来た時、彼女は一瞬にして表情を堅くする。
「それ以上近づくと...わかってるだろうな。」
そう言い放ってリサは凄む。見た目は幼気な少女でも、実力は5位といわれるに相応しい力を持つ。その彼女が本気で殺気を発するのだ。誰も触れていないはずのカーテンが静かに揺れる。
さすがに飄々としていた彼女も、リサから発せられる本気の殺気に押されて表情が固まる。恐れでも、武者震いでもないが、彼女のローブの下の白肌が鳥肌立つのを、だれよりも彼女自身が実感していた。
「ふ、ふふ。それぐらいでなければつまりません。」
無理やり作ったとばればれの作り笑顔を彼女は浮かべる。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。」
彼女は手を広げて、笑顔を浮かべて口を開ける。
「私はキリサキ様直属のサポーター兼相棒の、メイと申します。以後お見知りおきを。」
「は?」
言い放つと同時に、フードを乱雑に取り綺麗な赤髪を露にする彼女に、リサは乾いた声を漏らす。
「ではリサさん。」
彼女は、リサの警告を聞いていないわけでもなかった。サキも冗談で警告したわけでもなかった。両人とも本気だとわかった上でのやりとりだった。
しかしメイは、そのわずかに見える華奢な足を進めた。誰でもないサキのもとへと。
まさに目先一寸。これにはサキも一瞬だけ怯む。彼女は思いもしなかった。
まさか自分の殺気をじかに受けても臆しない、しかも自分よりも下位の存在が。そんな存在があるとは思わなかった。
「さようなら。またいつか会いましょう。」
その言葉を皮切りにしたかのように、リサは両手に持った双剣の一本の勢いよく振り切った。
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一時前の街道の喧騒が、まるでなかったことかのように静かな街並みが広がっている。
静かな石畳の上を撫で過ぎ去っていく風が、静寂さを引き立たせている。
物語の中で描写される中世ヨーロッパのような風景が一面に広がる世界に、二人の青年だけがぽつんと存在していた。
「ここか、リサが臨戦態勢に入ってた場所ってのは。」
「あぁ。」
二人の青年の目の前にあるのは、この街並みの中でもひときわ目立つ高級感漂う屋敷である。
レンガ造りの壁に、カーテンで閉ざされ中は見ることができないものの、生活感が感じられないその屋敷は、まるで観光用に存在しているかのようにも思えた。
「こんなところで一体あいつはなにをしていたんだよ。」
シルヴァがマップと現在地を見比べ照合しながら、気だるそうな声を発する。
今現在はマップに映ってはいないものの、履歴を見ればきちんと目の前の館で赤い点がせわしなく点滅している。
「よし、照合もできた。ここであってる。行くぞ。」
そうシルヴァは言って巨大なドアの前に立つ。
見慣れた機構の呼び出し用のインターホンなどはなく、正面に堂々とたたずむ木製のドアには、扉を開けるための金製のドアノブがぽつりと存在しているだけだった。
「おい、誰かいるか?」
ドンドンドンと力強くドアをたたきながら、声を張る。
叩かれたドアからは軋むような鈍い音と、細かい埃がぱらぱらと落ちる音が聞こえてきた。
「おい、気を付けろ。」
ドアを叩いて数十秒後ぐらいに、紅が眼を鋭くしながら警告の声を上げる。
そしてその声からすぐに、ドアがゆっくりと鈍い音をあげながら開いていく。
「やぁ、こんにちは。こんなところに来客なんてめずらしいね。」
真っ白なワンピースというシンプルな服装に、脚の付け根まで伸びた透き通るような美しいルビーのような髪を持った少女が、にこにこと輝くような笑顔を浮かべながらドアの隙間から現れてきた。
ぺたぺたと素足でコンクリート素材の床を歩く彼女は、誰にでも知られているようなトッププレイヤーの二人を前にしても、まったく物怖じする様子は見せず、むしろ余裕を見せるような態度をとっている。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが。」
「あ、立ち話もあれですし、中に入ってどうぞ。」
紅が話を持ち掛けようとすると、少女はまわりをキョロキョロと見まわして、声を重ねるように言う。
「わかった。失礼する。」
そういって紅は屋敷の中へと足を進める。シルヴァは一瞬ためらうような仕草を見せるが、諦めたようにため息をついて、紅に追従するように屋敷の中へと入っていった。
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広い屋敷の中でも、おそらく最も大きいであろう部屋に、二人は案内されるがままにこの部屋に連れてこられていた。きらきらと光るシャンデリアの光が、純白のテーブルクロスを眩しく輝かせている。
部屋の隅から隅まで長々と延びる長方形のそのテーブルを挟み、互いに正面に見合うように座る彼らの表情は柔らかくない。
「この屋敷の中でリサの戦闘反応が出ていた。この場所でリサが戦ったのは確かだが...」
「痕跡が無さすぎる。あいつの蛮族みてぇな戦い方で戦いの爪痕が全く残らないなんてことはありえねぇだろうし、なんか不自然だ。」
確かに彼らは確認していた。この場所でリサが臨戦態勢に入ったということを示す証拠を。共通認識として彼らの脳内に存在するそれと、今彼らが見ている屋敷の中の景色はまったく似通っていなかった。
「本当にあいつがここにいたのか?痕跡の一つもねぇし、家主の彼女は知らないようだったし。」
「シルヴァ、お前もマップを見ていただろ。あいつの位置表示はぴったりここだった。」
二人ともわかっている共通の事実だが、シルヴァはまだ半信半疑である。これがゲーム内である限り、予測できない事象がシステムの不具合として起きる可能性もなきにしもあらずなのだ。それがシルヴァの思考を惑わせている。
たいして紅は、シルヴァとは相対して、むしろここにリサがいたことを確信しているような表情をして、木製のアンティーク調な椅子に座っている。
「お二人の口に合うかはわかりませんが、紅茶を用意しました。」
二人が軽快に似た静寂を部屋の中に敷かせていると、入り口側のドアとは対角線上にあるドアから、湯気立ったコーヒーカップを両手に持った、家の主とみられる幼女が出てきた。
彼女は遠慮がちにそのカップを二人の前へと置くと、自身も椅子に座った、
「もうおわかりでしょうが、私はこの屋敷の主の、メイです。お二人は、シルヴァさんと、紅さんですよね?こんなところに何の用ですか?」
メイと名乗る彼女は、訪問者であり、このゲーム内では全プレイヤーの尊敬と憧憬の対象となっているその存在に、言葉に尊敬のニュアンスを含めながら、しかし遠慮を感じさせない話し方で話しかけた。
「そうだ。用件だが、別に長引かせる気はない。」
目前にある、机の上にあるコーヒーに手を伸ばしながら、しっかりとその眼はメイの方向へと向けながら応答する。
「君も知っているだろうが、私と同じクランにリサという魔女のプレイやーがいるのだが、ここに来ていないだろうか。」
「来てないです。」
紅の短い質問に、メイは短く返事を返す。
「そうか。」
紅はその返事を聞くと、手に持ったカップを再び同じ位置に戻し、すぐに席を立つ。
「帰るぞシルヴァ。」
「は?」
シルヴァは紅の予想外の発言に彼の容姿に似合わない素っ頓狂な声を発する。
「用は済んだ。」
そういって紅は、もっとやりたいことがあるという表情を見せるシルヴァの腕を引っ張って無理やり移動させる。
「急におしかけてすまなかった。」
「いえいえ、直接お二人と話すことができてよかったです。」
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「なんであんなに早く帰ったんだよ。」
メイの屋敷からの帰り道、シルヴァと紅との二人で、夕暮れの中、閑静な住宅街を歩いていると、シルヴァが不機嫌にそう呟く。
紅に引きずられてしょうがなく屋敷を離れることにしたシルヴァだが、内心納得することができていなかった。
「あの家からはリサの気配はなかった。だからあの家にあれ以上滞在する意味もなかった。」
「確かにそうだけどよ...」
基本的なスキルの一つ、「気配探知」。本質的にはモンスターのある程度の位置を把握する、まだ戦闘に慣れない初心者が使うスキルであり、上級者になればなるほど需要はなくなるのだが、この二人ほどに極めると、近辺のオブジェクトの存在を正確に把握することができる。
そのスキルをもってしても、彼らはあの屋敷の中にサキの存在を確認することができなかった。屋敷の中心部にいた彼らにとって、それが絶対の事実であることは明確であった。
「あのコップの中身、お前もわからなかったわけじゃないだろ。」
「あぁ。」
シルヴァが白銀の眼を鋭くしながら言う。
「あの中身、毒の臭いがぷんぷんしてた。鬼人も一発の強力な毒だった。」
二人は不気味なほどに静かな、延々と続く石畳の上を歩きながら言葉を並べる。
「あれは明らかにあの女が仕込んだものだ。間違いない。」
「そうだな。」
「おそらくリサと戦闘になったのもあいつだ。」
シルヴァは語調を段々と速めながら、決めつけるような言葉を発する。
「未確定な事実は真実ではない。まだそのときじゃない、そうだろ。」
深い赤の短髪を揺らしながら歩を進める紅は、焦燥と苛立ちに駆られるシルヴァに相対するように冷静に返事をする。
「俺たちが彼女にやるべきことはあそこで色々と追及することじゃない、彼女の存在をリーダーに知らせることだ。」
彼が言うリーダーとは、彼らが所属するクランのリーダーであり、現ランキング2位の「精霊王」の二つ名を持つエダマメのことだ。好戦的な他の上位のクランメンバーよりも比較的精神年齢の観点から優れている紅の、統率者への報告・連絡・相談を重視する彼の判断である。
「でもよぉ、身内に手を出されたし、毒も飲まされかけた。エダマメもこれだけあれば勝手な行動にも目をつむるんじゃないのか?」
「黙ってろ。基本的に自分より上位の発言を重視するのがこのクランの規則だろうが。」
「...」
平静の中に、怒気を混じらせて発言する紅に、流石のシルヴァも口を閉じる。
表面上は平静を装う紅も、内面は焦っている、そんな心境が言葉に現れているような口調であった。
「ただ、エダマメの決断があったらすぐに俺は行動させてもらう。例えあいつが駄目だと言っても、俺はクランを抜けてでもリサを助ける。」
「ふっ。」
段々と見えてきた商店街の街並みを見据えながら、真剣なまなざしで言葉を発するシルヴァに、紅は思わず吹き出す。
「んだよ。」
不機嫌を露にして、シルヴァは返答する。明らかに馬鹿にしたような紅のその笑いが、シルヴァの機嫌を損ねる。
「いや、なんだかんだリサのことを好きなんだなと、再確認できたからな。」
紅は小さくを口を歪めながら、懐かしい笑いを小さく浮かべる。
「ちげぇよ、仲間意識ってやつだ。」
シルヴァは表情を一切変えずに、冷淡に返事をする。何かを押し殺すようなその口調は、沈みゆく夕暮れのその太陽とともに消えていった。