地亜竜の元へ
お使い回です
剛健な扉を抜けた先は、玉座の間というよりは執務室の延長線上にあるような実用一点張りの部屋だった。扉の正面に構えられた重厚な黒檀拵えの執務机に向かうのは、今までヴァータが見てきたダークドワーフ達と同じ浅黒い肌、ずんぐりむっくりながらもがっしりとした体躯。そして彼らと違い綺麗に整えられたカイゼル髭の男。
『お初にお目にかかる、アンドヴァリ殿。私はヴァータ。此処には――』
流れるようなヴァータの口上を手で制すアンドヴァリ。その口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。
『つまらんことをペラペラ喋りに来たわけじゃあねえんだろう?宣戦布告か?そうってんなら、こっちにゃ受けて立つ準備もあるんだ』
『……は?』
『うちの行動に地亜竜共をけしかけたのもお前らだろう?黙ってりゃ良いところを態々余計な嘴突っ込もうなんて気概は買ってやるが、俺達の怒りに油を注ぐだけだってのは分かってるんだろうなぁ?』
怒気を滲ませながら言い募るアンドヴァリに面食らったのはヴァータである。まるで心当たりのないことの犯人に仕立て上げられた挙句、このまま下手をすると切り捨てられそうな形勢になっているのだから。
『す、少し落ち着いてくれないか、アンドヴァリ殿。貴方は何か勘違いをしているぞ』
『……聞くだけは聞いてやろう。一体俺が何を勘違いしてるってんだ?』
アンドヴァリの強面に一瞬気圧されかけたヴァータだったが、気を持ち直して確りと目を見返す。此処で視線を逸しでもすればお終いだという強い確信があったからだ。
『俺は貴方が思っているような“どこかの勢力に所属し、その意を汲んで行動するもの”ではない。此処を訪ったのは単なる偶然だし、貴方達ダークドワーフに対しての隔意、害意がある訳ではない』
何かを言いかけたアンドヴァリを視線で制し、ヴァータは更に言葉を続ける。
『言葉で証すことが難しいのは俺もよく理解している。――そこで一つ提案があるんだが……』
『何だ。言ってみるがいい』
『俺がその地亜竜とやらを倒してこよう。討伐の経過に疑問が残るというのなら、そちらから監視をつけてくれても構わん』
プロレスを疑うのなら最初からその可能性を排除してやる。ヴァータの宣言にアンドヴァリはにやりと嗤う。
『つけた監視が邪魔をするとか、虚偽の報告をするとは思わないのか?』
明らかな挑発であった。ヴァータはそれに気づいたが、敢えて乗ることにした。そのほうがうけがいいだろうという計算の下に。
『もし本当にそうするのだとしたら、その程度だと割り切って討伐した上で帰るとするよ。そういう手合と交わす言葉は無いからな』
――正直に言えば、ヴァータが行った一連の交渉は完全にブラフといっても過言ではない代物であった。そもそも地亜竜がどういった存在を知らない上、勝利の目算すら立たないのだから。だが、まったくの無計画というわけではない。
例えば、ダークドワーフの兵士階級たち。アンドヴァリの性格上、身内だけで解決できる事態であれば自分が出張ってでも解決しようとするだろう。だがそれをしていない。となれば、相手は彼らの手に余る程の強さを持っているということに他ならない。
そして竜という相手の性質。……ヴァータは以前、竜種と対峙したことがあった。大蜥蜴と大差ない程度の下位竜種であったが、ちゃんとブレスを吐き、その俊敏さはオークなど比べ物にならないほどであった。当然他の仲間を巻き込んで戦えば被害の拡大は必至であったためにヴァータ単体で戦ったのだが、まだまだ未熟であったかつてのヴァータですら勝てたことからもその竜の弱さが伺えるというものである。つまるところ、この戦闘経験もまたヴァータの持つ強みであった。
アンドヴァリは暫く生意気な口をきいた若造を試すように睨み付けていたが、最終的には膝を叩いて呵々と笑い始めた。
『良いだろう!その生意気な態度に免じて貴様の提案を受け入れようじゃあないか!監視にはギムリをつける。あいつは俺達ダークドワーフの中でも随一の使い手だ。上手くやれよ、犬ッコロ!』
『犬じゃあないんだがなぁ……』
――――――――――――
ミッドファング坑道はダークドワーフ達の管理地であり、彼らが鍛冶作業のための素材を採掘する拠点である。とどのつまり彼らの生活の基盤がここに集約されているということで、
『儂らからすりゃ、此処は首根っこと同じなのよ。誰が地亜竜なんぞ連れてきたのかは知らんが、嫌がらせのやり方は心得ておるようじゃな』
『素材を他所から持ってこようなんてしたら、あっという間に赤字になるのは目に見えてるしな。そう考えると、やはり素材を自弁出来るのは素晴らしいことだな』
ギムリの嘆きに理解を示すヴァータ。彼の前世の経験がそれを助けたのだが、そんなことを知る由もないギムリは呆気に取られてヴァータのことを見つめた。
『……お主、フォレストウルフの癖に随分と賢いんじゃのう。儂らんところの若手でも、アホなのはその辺さっぱり分かっとらんっちゅーのに』
『あー、まあ俺は少し変わり者っていうかな。他の仲間とはちょっと違うんだよ』
『そうじゃろうな。フォレストウルフが皆お前みたいなんじゃったら流石に敵わんわい』
坑道の入口は暫く手入れがされていなかったのだろう。ところどころに付着した汚れが目立つ。奥へと続く通路は魔法の光源によって一定間隔で照らされ、坑道とは思えない明るさを保っている。
『ここの一番奥、新しい採掘区画があるところに大きな空洞が見つかってな。儂らはそこの調査をしとったんじゃ。したらある日突然ヤツが現れよってな』
『奥の洞窟と繋がった……って訳じゃないのか?』
『うんにゃ、その空洞から先に新しい穴が開いたなんて話は聞いておらん。地亜竜の大きさからして外から侵入するなんて芸当も出来ないし、儂らの中じゃ誰かが召喚したか何かであそこに呼び込んだ……ってのが定説になっとる』
その竜の大きさがどの程度かが分からないヴァータであったが、確かに上背の低いダークドワーフが通るのに最低限、体高が彼らよりも高い彼がかなり窮屈な思いをしている。嘗て戦った竜種ですらヴァータよりもだいぶ大きかったことから考えても、ダークドワーフ達の推論はあながち間違いでもないのだろう。
『にしても、随分深いんだな』
『そりゃあな。ここは儂らが先祖代々守り、採掘してきた場所だからのう』
そう話すギムリの表情は誇らしげで、この地での暮らしに対する愛着が感じられた。
『……ところで、なんでアンタたちはダークドワーフなんて名乗ってるんだ?』
『うん?そこも知らんってことは、やっぱりお前さんは通りがかりか』
『最初からそう言ってるじゃないか』
『念のためってこともあるじゃろうが……まあええわい。儂らダークドワーフはな、元々普通のドワーフと同じ種族だったんじゃ。他の連中と袂を分かったのは何ちゅうか、取引先の問題じゃろうな。他の連中は人族相手に商売する連中が殆どだったんじゃが、儂らダークドワーフは魔族相手にも商売をしとったからな。そのせいで同胞からも他の人族連中からも恨まれ、放逐された末にここで魔王様たちの許可を貰って商売を始めたってな訳よ』
彼の語った経歴は人族のエゴに塗れたものであったが、不思議とそこに悲劇的な感情は見られない。彼らの歴史の中で折り合いのついた出来事なのだろう。
『この話は後で幾らでもしてやるわい。――さて、この先に地亜竜が居る。健闘を祈っとるぞ』
狭苦しい坑道が急に途切れた場所で、ギムリが急に立ち止まった。その先は照明が無いのか真っ暗だったが、暗視能力があるヴァータにとってはあまり関係のないことだろう。
『ああ。楽しみに待っててくれよ』
白銀の大狼はギムリを一瞥し、広間の奥へと向かった。