およそ、3。
金曜日の深夜。郊外に向かう最終電車は、よっぱらいたちの喧騒と週末の疲労感を、同じ箱につめて運んでいる。かくいう俺は、こってりとした残業にやられてしまっていて、だらしなく電車の内壁に寄りかかっている。そしてスマホでぽちぽちとLINEを返信する。目的がないからゴールもない、そんな不毛な会話をずっと前からくり返している。
電車はトンネルに入ったり出たりをくり返す。そのたびにスマホの通信がブツブツととぎれる。必要以上にいらいらするのは、それが今自分が抱えている不毛な仕事を連想させるからだろう。
電車が駅にとまる。せまい電車にどやどやと人が乗りこんでくる。ただでさえせまい電車が、さらにせまくなる。彼らに罪はないが、まとめてどこかに流してしまいたい気持ちがあふれだす。疲れている。イライラがとまらない。
そしてさらにイライラする出来事がおこる。乗りこんできた人たちの中に、大きなカバンを持った女の子がいた。そのカバンのカドが、思いっきり俺のヒザに当たったのだ。ゴツンというにぶい音がしたが、女の子はまるで気がつく様子がなかった。
イライラは頂点に達した俺は、ちきしょう、どんなやつだとチラ見してみる。するとカバンの主は、かわいらしい20歳前くらいの女の子だった。イライラが若干やわらぐ。さらに全身をキュートなロリータ服でかためている。お人形さんみたいだ。一瞬、すべてを許してしまいそうになる。
しかし次の瞬間、そのロリータさんはカバンを床にどすんと置いた。いや、落とした。床とカバンの間に俺の足があった。痛い。彼女はあいかわらず気づく様子もなく、それどころか鼻歌で「in the sky〜♪」などと歌っている。なんだその歌詞は。イライラが復活する。
そんなこんなもあって、俺はしばらくの間、彼女の背中に邪気を送り続けていた。が、それもすぐに飽きたので、気を取りなおしてLINEを返信する。既読がつく。返信があって、それにまた既読をつける。永久機関の装置の一部になったみたいだ。それか、夜中に山の向こうに吠える犬。それに返事する遠くの犬。わんわん。眠たい。
それからしばらくして、電車は大きな駅につく。今度はどやどやと人がおりはじめる。その中に例のロリータ女の子もいた。俺はさっきのことを思い出したので、彼女が駅のホームに足をふみいれた瞬間、最後の邪気を背中にぶつけることにした。
するとその瞬間、小さな奇跡がおこる。ロリータさんの大きなバックから、大量のミニカーがこぼれ落ちたのだ。どういう経緯でこぼれ落ちたのか分からないが、数としては10個くらい。色とりどりのミニカーが、それぞれ思いのまま、四方にシャーと走っていくのだ。
ロリータさんは慌てて回収しようとする。ミニカーに向かって足をふみだす。すると新たな奇跡が起こる。ふみだしたその前足で、拾おうとした黄色いミニカーを踏んづけてしまったのだ。その拍子にロリータさんは後ろに豪快にすっころぶ。踏まれた黄色いミニカーは、レーザー光線のように一直線にとんでいく。ミニカーは生真面目な時刻表にぶちあたって、跳ねっかえる。見事だ。思わず感嘆の声がもれる。
そしてさらにすごいのが、ロリータさん自身だ。後ろにすっころんだロリータさんは、なんとその勢いで華麗にバク転を決めてしまった。つま先の軌跡は、美しい円を描いた。円周率にすると3.14とまではいかないが、かなり近いところまでいくだろう。およそ3、といったところか。それくらい、美しい軌跡だった。
そして最後の奇跡が起こる。時刻表にあたり、はね返ってきた黄色いミニカーが、俺の手元にポーンと飛んできたのだ。それを両手で受け止めると、ロリータさんはあわあわしながら、俺をビシーッと指さした。
「あ、あげますっ!」
扉が静かに閉まる音。まっすぐなレーザー光線と、およそ3のうつくしいバク転。ああ。いいものを見た。
それでも翌日はやっぱりやってきて、不毛なあれこれが俺を動かしている。こいつらが俺の神様なのだろうか。朝食のパンさえも「早く死んじゃえば?」と語りかけてくるしまつだ。
しかし、ポケットの中には黄色いミニカーをいつもいれている。気分が沈んでしまうときには、ポケットに指をしのばせて、そっとさわる。すると自分はいつだってあの駅に旅立つことができる。あのまっすぐなレーザーにも、あのうつくしい曲線にも、いつだって会える。
何一つ自分のものになってくれないこの世界だけれども、あの景色だけは、間違いなく自分のものだと思う。
めでたし、めでたし。